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仮説の手前 04

人も企業も、何かを言ったり何かを企てたりする時に、まずはじめに気にすべきことは、反響があるか、バズるか、売れるか、ということよりも「それは品性のあることでしょうか?」という問いを立てることなのではなのではないかと思うようになってきました。

そういう問いを立てていたならば起きなかったような事案が、遠い場所でも近い場所でも程度の差こそあれ立て続けに起きているような気がするんです。

品性:人柄。人品。人格。多く、道徳的な基準で見る場合にいう。また、すぐれた人柄であること。(出典:精選版 日本国語大辞典)

「すぐれた人柄」というのは随分と曖昧でいながらストイックな姿勢のようにも見えます(どうあがいても僕個人としては首を縦に振れそうにない)。

反対に「品がない」というのはなんとなくわかります。誰かを貶めたり、欺いたり、邪な狙いが透けて見えたり...矢印が自分にしか向いていないような言動には「品がない」と映るようです。そして今は、品性の欠落(の発露)はすなわち「退場」を意味するようにもなりました。その傾向はより増していると思います。

で。企業をひとつの人格として考えたとき、その品性を保つための方策がブランディングであって、ひとつのアウトプットの手法がオウンドメディアなのではないか、ということになるわけで、だから最近では特にオウンドメディアが乱立しているのでは?とも思うわけです。

今日はそのあたりの仮説について。

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確たる根拠はないけれど「そうかもしれない」と思うことは、日々の生活や仕事の中で結構あると思うんです。普段は通り過ぎてしまうそういう感覚が後々顔を出してはヒントを与えてくれることも。正解やノウハウばかりが並ぶSNSでは発言することに気が引けてしまう「なんとなく」を月に2回を目処に書き残していきます。読んだ方々にとって、日常の「小さな兆し」に気づくきっかけになれれば。

仮説の手前

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