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寂しさ 【さ_50音】

【寂しい】
1 心が満たされず、物足りない気持ちである。さみしい。「―・い顔つき」「懐が―・い(=所持金が少ない)」「口が―・い」
2 仲間や相手になる人がいなくて心細い。「一人―・く暮らす」
3 人の気配がなくて、ひっそりとしている。さみしい。「―・い夜道」
(出典:デジタル大辞泉)

喧騒のような夏が終わりを迎え、徐々に空気が秋をまとい始める。

ほろ酔いで歩く夜道の風の冷たさとか、週末立ち寄ったカフェで頼んだコーヒーのくっきりとした湯気とか、朝陽と夕陽が色を付ける代わりに髪の毛や瞳の色を抜いていく感じとか。

そんなことに秋の始まりを感じる。同時にこみ上げる寂しさもセットにして。寂しさは胸をつたい、毎年決まった言葉を落とさせる。「良い季節だね」と。

歩くのが気持ちよさそうだからと、君を散歩に誘ったのも秋がもつ寂しさのせいなのだろうか。そして普段よりも肩が近いと思うのは思い過ごしだろうか。

「空が高くて空気が気持ちいいねぇ。やっぱり私は秋が一番好きだな」
ベンチに座った彼女が空を見上げる。数か月前には「夏、最高!」って言ってなかったっけ、とは口に出さずに僕も同意を示すように空を見上げる。

先日の一件以来、彼女と井の頭公園を歩くことが増えた。そろそろ歩くには寒くなる季節になりそうだけど、ブルースカイコーヒーがグリューワインを出すだろうからまだしばらくは歩けそうだな、などと僕は空を見上げながら呑気なこと考える。

「どうして、秋はこんなに気持ちいいのに寂しいと感じるんだろうね」呑気な気分のまま僕は彼女に聞いた。

「あぁ。うん、秋の寂しさは心地いいよね。心地いい寂しさってゆうのはなんだか不思議な感じがするけど」

そこまで話して彼女は「あ」と声をあげる。毎度のように何か思い出したんだろうと僕は続きを待つことにした。

寂しいと言えばさ、谷川俊太郎がね、今の時代を理解するキーワードとして“寂しさ”があるって言ってて」

私はこの時代を理解するキーワードのひとつに、「寂しさ」があるのではないかとひそかに思っている。日本人はかつてなかったほどに、一人一人が孤立し始めているのではないか。大家族はもう昔話だし、核家族という言葉さえ聞かれなくなったくらい家族は崩れかかっている。私もその一人だが独居老人が増えているし、結婚を願わない若者も多い。会社もすでに疑似家族としての機能を失いつつあるし、都会では隣近所も見知らぬ人ばかり。私たちは帰属出来る幻の共同体を求めて携帯電話をかけまくり、電子メールで埒もないお喋りに精を出し、ロックコンサートに群がり、居酒屋にたむろし、怪しげな宗教に身を投じる。(中略)「和」で生きてきた私たちは、「個」の孤独に耐えられないのだ。(ひとり暮らし/谷川俊太郎)

「なるほど。言っていることはその通りであるような気もするけど。でも、なんだか珍しく強い言葉だね」

僕の言葉を受けて彼女はドイツビールの瓶に口を付ける。井の頭公園に向かう道すがらソーセージ屋さんで買ったのだ。少し考えてから話し始めた。

「ここで語られているのは、孤独であることが寂しいという単純な話ではないのはわかるでしょう?ここで言っているのは孤独を埋めるために、“薄いつながり”に身を投じていることを嘆いているということだよね。一見ね」

「一見?」

「うん。だってさ、ここでネガティブに捉えられていると感じる“薄いつながり”に本当の救いがある場合だってあるわけじゃない?それに、断ち切れない血縁でつながった家族にも、昔ながらの疑似家族を演じている企業の中でも孤独を感じる人は確実にいるわけで。これまで当たり前だった“フィジカル”なつながりに正しさを見出すのは乱暴だと思うの」

「たしかに。そうかもしれない」

「そうなの。でもね、ここで語られてるのは、それもわかった上で、私たちはどうすべきか?って問いかけている気がするんだよね。あえて強い言葉を使って」

「わからないな。あえて強い言葉を使ってまで、一体何を問いかけているんだろう?」

「つまりね、孤独を埋めるための選択肢が溢れている時代になったからこそ、ちゃんとした手段を選び取る力を付けなさいってことだと思うの。孤独を遠ざけるものや埋め合わせるものはたくさん身の回りに転がっているし、簡単に手を出せてしまうから。孤独を埋めたあとに虚しくならないように、しっかり選ぶ力をつけなさいて言ってるんじゃないかな」

孤独、手段、虚しさ、選ぶ力...彼女の言葉を空に浮かべて少し考えてみる。

「選ぶ力、か。なんとなくわかる気もするけど、それがどんな力なのかまだ理解し切れていない気がする」と正直に答えた。

僕の言葉を聞き、彼女はふっと笑った。
「その答えは書いてあるじゃない。寂しさだよ」

「え?」

「これを読んで私なりに思ったんだ、寂しさとは“想う”ことなんじゃないかって。私たちに必要なのは寂しさを知ること、想うことなんだよ。何かを、誰かを。あるものを、かつてあったものを」

そこまで話して彼女は、残りのビールを飲み干し、空をいっとき見上げ、「行こっか」と立ち上がった。僕に向けて言ったのか、彼女自身に言ったのか、一瞬わからなくて僕は立ち上がれなかった。

そんな僕の姿を見て彼女は「やれやれ」と笑い、僕の正面に立ち、僕の目を見て「何してるの、早く」と手を差し出した。

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彼女と別れたのは夕方。それから家に向かう道すがら、先ほどの会話を思い出していた。
寂しさとは?想うとは?言葉としては理解できても、それがいったいどんなことなのかが体感としてつかめずにいた。

最寄の駅から家に向かう途中に小さな公園がある。いつもそこを突っ切って帰っている。視界の隅に、夕暮れのオレンジを背負って落ち葉を掃いているおじいさんの背中が見えた。

淡々と落ち葉を掃く背中を見ていたらふと父親の姿が重なった。

父親も秋になると「やらなきゃな」と面倒くさそうに言いながらいつも家の前の落ち葉を掃いていた。リズミカルに落ち葉を掃く表情は、言葉とは裏腹にどことなく嬉しそうで、子ども心に「変なの」と思っていた。

そんな父は昨年病気であっけなく死んだ。
そういえば、最期まで落ち葉を掃いていたときの気持ちを聞くことができなかったな、とぼんやり思った途端「あぁ、寂しいな」と口にしていた。意図せずに、唐突に。

彼女は「かつてあったものを想え」と言った。それが寂しさだと言った。
今その寂しさが形をもって身体の中に居座った。

ほんの少しの温もりを伴って。


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