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手応えのようなもの[6/13〜6/19の日記]

最近夜中にトイレに立つようになりました。
それでは今週の週報です。

6/13(土)

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雨。1週間の消耗が激しかったからか1日何も手につかなかった。昼に蕎麦を選ぶくらいにはバテている。

ぼんやりしているとやさしい味付けの活字が欲しくなるもので、amazonを練り歩いて見つけた荒川洋治さんの『世に出ないことば』と岡本仁さんの『また旅。』を購入。そしてなかなか読み切ることができない『村上さんのところ コンプリート版』をぼんやりと眺めていたら少し回復した。

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6/14(日)

今日は物件探し。3件ほど回る。ひとつ気になる物件があった。庭の広さやリビングの広さが狙っていたものに近かった。まだまだ新居探しは続く。

引っ越すことがだんだんと現実味を帯びてくると今の家に愛着が湧いてくる。なんだか恋愛関係みたいだ。

飼い猫の「にぼし」が明後日避妊手術なので、その景気付けでシャンプーを。暴れ回るにぼしをなだめながらドライヤーをかけていたら気づけば夕方になっていた。

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少しずつ休日らしい休日を手に入れているような気もする。

6/15(月)

通院のため朝一で電車に乗る。以前の80%の乗車率くらいだろうか。ニューノーマルという言葉をよく耳にするし、僕のまわりも積極的に新しい当たり前を作り出そうとしている人がいる中で、こうして普通に前の当たり前に戻っている光景を目の当たりにすると、自分が見ている世界がいかに狭いかがわかる。

今回のコロナで、より一層フィルターバブルは強固になっている。その強固さに安心する人もいるだろうけど僕はどうも不安が勝るらしい。朝無理にでもテレビの情報番組を点けて世の中とのギャップを埋めたつもりでいたけど、外に出たらまたひとつ階層の違う世界が広がっていた。

でもその違いに僕は安心をする。
五感で感じる外の世界は僕には必要なようだ。

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6/16(火)

にぼしの避妊手術のため動物病院へ。病院の空気がわかるのか診察室で走り回る。全力で「嫌」を表現する。怯え切って固まっていた前回とはえらい違いだ。

ちょっとした環境の変化で、同じ怖さや苛立ちを感じていても、固まってしまう時もあれば声を上げる時もある。それは主観に依るところがあるのだけど、その主観を作るのは「どこかで通った」という既視感なのかもしれない。最近の「声を上げる」ムーブメントにも通じるものがあるようにも思う。

信頼できそうな朗らかな獣医さんににぼしを預ける。避妊手術は一泊が必要なのだ。いつも行っている動物病院の獣医さんがみなさん優しそうで安心する。

久々に「にぼし」がいない生活。家の中がしんとしている。これまでずっとそんな暮らしだったのに不思議なものだ。

夕方仕事の打ち合わせ中に動物病院から電話があり、無事に手術は終えたとのこと。一安心だ。

6/17(水)

最近梅雨のせいからかずっと頭痛がしている。薬を飲むほどの痛みでないあたりが余計にモヤモヤとする。

そんな感じだからか、Twitterのタイムラインを眺めながら、まだ会えてない人で「会いたい人」を探してみる。すると写真家、建築家、料理家、作家…僕が会いたい人たちは不思議とみんな「家」がつくことがわかる。「自ら作り上げる人」に面白さはあると思い込んでいる節はあるし、僕自身、そんな「面白い人」になりたいんだったということもわかる。詰まるところその辺に僕のコンプレックスがあるのかもしれない。

昼ににぼしを引き取りに動物病院へ。獣医さんと少し話す。術後の経過を聞けば獣医さんにも喉を鳴らしていたみたいなので少し安心した。そういえば、先日不動産のセールスマンが家に来ても横で寝ていた。飼い主と違って図太い性格で良かった。

「しばらくはぐったりしてるかもしれません」と言われたが、家に連れて帰ってくるなりいきなり走り回る。逆に少し心配になる。それでも疲れはあったのかしばらくすると横になってしばらく寝ていた。

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深夜喉を鳴らす音で目が覚める。珍しくにぼしがベッドに入ってくる。こういう「人間っぽさ」は愛しさが増す。しばし一緒に寝る。

朝起きたらいつものキャットタワーの上で寝ていたけど。

6/18(木)

数ヶ月ぶりに外で人と会って仕事をした。
ずっと温めてきた企画の取材だ。

リアルに会い言葉を交わし、顔色を見ながら、声色を確かめながら、ひとつずつ進めていく仕事は、心地よい疲れを伴った実感を手元に残す。それはすなわち「手応え」だ

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嬉しい反面、この「手応えのようなもの」が多くの人を「満員電車の生活」に戻しているのであれば少しもったいないような気もした。

6/19(金)

たまに、自分自身のやっていることが、ひょっとしたらとんでもなく見当違いなことなのではないかと思えてくることがある。頭痛と胃痛が交互に襲ってきては夜中にトイレに立ったりもする。

この感覚はオーダーが増え手元にボールを持っている時になる症状だ。

逆に手元にボールがなくくすぶっている時は、理想を掲げながら他所の粗を探していればよかった。そうゆう時は言葉も強くなる。そして強い言葉は自然と「とりまき」を増やす。それはそれで気持ち良いこともあるのだけど、結局モヤモヤは残すことになる(あくまで僕の場合だけど)。

どちらがいいかと言われればもちろんボールを持っている方だ。要は無い物ねだりだ。

自身が積み上げた「絶対のもの」がないコンプレックスが、こうゆうときに顔を出すのかもしれない。だから「家」がつく職業に憧れるのかもしれない。そもそも「絶対のもの」なんてないのかもしれないのに。

とはいえ、今日も面白い話は転がりこんでくる。このボールをしっかり吟味して、うまくドリブルとパスをこなして皆が感心するようなボールさばきをすればいいだけだ。なんだか村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』みたいな話だ。

明日は久々に髪を切りに行ける。遠出でもある。楽しみだ。



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