見出し画像

わかろうとすることを手放すこと[3/23〜3/27の日記]

きっかけは若葉晃子さんの『旅の断片』を読み始めたことにあります。

旅先で出会う人々や景色を通して感じたことを、大袈裟に演出することもなく淡々と書き綴った随筆集は、今の季節に読むととても気持ちがいい。

それでも読み進めると、言葉の端々から一度目の前を通ったことは残すことなく身体全体で受け止めて必ず自分の言葉にするんだ、という著者の意思の強さみたいなものを感じたんです。

そんな文章に触れたからか、ふと自分の普段の暮らしの中でも、ちょっとした喜びとか、フッと笑えることとか、小さくイラッとしたことなど、ことさらSNSで公開するようなことでもないけど、「さざなみ」のような感情の揺れって実はたくさんあるなぁと思ったんです。

そしてその「小さな揺れ」を感じ取り、言葉に留めておくことは、大きな不安や苛立ちに溢れた今にこそ必要なんじゃないかと、直感的に、あくまで個人的な欲求として感じました。

なので、いつまで続くかわからないですが、あくまで自分のために、小さな感情の揺れを手元に残しておくために、日記(週報)を始めることにしました。

誰のためでもない個人的な文章です。何の役にも立たない文章です。いつまで続けるかもわかりません。

でも、僕の日記に触れたことで、その方自身が日々の暮らしを振り返り、つぶさな気持ちに光を当て、言葉にするきっかけになれば良いなと思っています。

その作業は、不思議と、ささくれたった気持ちを落ち着かせ、ほんの少し前向きにさせる作用があると思うから(僕自身がそうだから)。

3/23(月)

今年実施予定のとおる企画の打ち合わせのため、午前中は四ツ谷にある出版社に。そこでとある作家さんとはじめてお会いしてお話しすることになった。

事前に送られたその作家さんの作品がとても素晴らしくて(詳細は書けないのだけど)、会うのがとても楽しみだった。

実際にお会いすると、想像通りというか、こういう方だからあれだけの優しさに溢れた物語を紡げるんだなと納得した。

言葉の選び方や間の取り方とか、そういう全体的な雰囲気や所作で人柄というのは感じるんだな、とも。もらった名刺もかわいかった。そうゆうところにも人柄は出る。

「口(だけは)うまいよね」と方々から言われ続けた自身の人生を振り返ると、少しげんなりする。

昼食はいつも行列ができて断念していたトンカツ屋さんに。このご時世だからか少し並ぶだけで入れた。

良いご飯屋さんの条件とか、並べるとキリがないのだけど、そのひとつにあるのは、店全体の「淡々とした雰囲気」があると思う。料理を出す、食べる、この繰り返しの中に余計なことを入れさせまいとする頑固さにも似た空気を感じると「あぁ、美味い」となる、気がする。

画像1

良いお店でなんとも気持ちがよくなって、続きの仕事は四ツ谷の喫茶店「ロン」ですることに。ここにもいい雰囲気が残っていて来る度に安心する。

ほどよく社会と断絶された空間、統一された赤いソファ、灰皿の中に敷き詰められたコーヒー豆、頭上から流れ続けるビートルズ。安心だ。

仕事が捗ったかどうかはわからないけど、そんな空間の中で出てきた言葉は、案外地に足が着いてるのではないかと自身を説得する形で店を出る。

3/24(火)

日中は5件の打ち合わせをこなし、夜は料理家の友人Yさんの家で、いつも仕事をお願いしているAさんとTさんと一緒にご飯会をしてきた。

Yさん宅に向かう電車の中、人身事故が起き電車が停まる。再開は1時間後と告げられ、停車した駅で降り、急ぎタクシーに切り替える。

幸いすぐにタクシーはつかまる。乗り込んだタクシーのドライバーは無口だけれど、ハンドルを握る手に熟練を感じる。案の定google mapで表示された到達時間より少し巻いて待ち合わせ場所に行けた。

食事会はとても楽しかった。仕事の話もプライベートの話もごちゃ混ぜになっても同じトーンでいられる間柄は良いなと、何杯目かのワインでフワフワした頭で思う。

帰り道、声の大きいAさんの「楽しかったー」は、ほんとに楽しそうで、こちらもなんだか嬉しい。いい日だった(あんまり記憶ないけど)。

3/25(水)

次のnoteの記事の取材のため出社。昨日の食事会で一緒だったAさんTさんも参加。

今回取材したのは社内のとあるチームで、おそらく世の中には一度も露出されていないはず(詳細を言えないのが歯痒い)。

とは言えうちの会社で、50年以上の歴史のある取り組みを粛々と続けているチーム。話を聞けば50年前の指針と今の指針がほとんど変わりがないということで、そのことに取材陣一同驚く。

歴史を背負った人の声は時に重たく冷んやりする。それでも「次世代につなげる」という覚悟が顔を出す瞬間の熱さに、思わずこちらもグッとくる。

いい取材だった。そして毎回取材してくれるチームに感謝。こんな不安定な時でも良いチームワークで安心する。

オフィスに戻ると小さな淡い緑色の封筒がデスクに置いてある。先日お会いした作家さんからのお手紙だった。

丁寧な字で書かれた(ここにも人柄が顕れる)「よろしくお願いします」と、便箋に貼り付けられた四つ葉のクローバーにフッと心拍が下がるようなあったかさを感じた。

今日手紙が届いたということは、おそらく会ってその日にしたためてくれた言葉なんだろうな、とわかるから余計に嬉しい。

「言葉の重み」という言葉があるけど、すぐにでも言葉を届かせることができる時代に、わざわざ手間をかけ、人の手を渡り時を置いて届いた手紙を通じて、ようやくわかってきたような気もした。そしてこの企画はなんとしても成功させようと思った。

画像3

帰宅後、少し疲れたのかすぐにソファに横になる。スマホを眺めながら猫と戯れていると、何やらTwitterが騒がしい。

急かされるように都知事の緊急会見を見る。淡々と話す都知事を見ると内容よりも「しっかり話す人なんだね」としょうもない感想を漏らしてしまった。

さて、今週末から来週はどうなるのかな、少し不安を覚えつつ、パートナーと夜の公園を一周分散歩してコンビニに寄ってアイスを買う。こんな時でも甘いものには目がない。

3/26(木)

小鳥の鳴き声がよく聞こえる。henningshtaudt の音楽が心地いい。今日は在宅勤務。

昨夜の会見が頭にこびりついている。正確に言えば、その会見を見た人たちのツイートがこびりついている。

シリアスになっていることはたしかだ。友人のAさんが「日記を始める」と言った。僕も同じようなことを考えていたと返した。そうゆう連なりが少し嬉しい。

昼は豚肉とキャベツとネギがあったのでホイコーローにした。ご飯がなかったのでお米をストウブで炊く。やはり炊き立ては美味しいし、自炊が捗ると気分がいい。食べたあと少し眠気があり30分ほど転寝をする。

鳥の鳴き声はまだ元気がいい。

こんなときなのだけど、夜少し外出の予定があったため夕刻家を出る。SNSで流れてくる「買い占め」の報せが頭にあるからか、駅前のスーパーから出てくる人のビニール袋の中身が気になって思わずすれ違い様に覗き込んでしまう。

何やってるんだろうなとひとり溜め息をつく。
夜空を見上げれば月はしんとするほど綺麗な眉月で、ふとこちらを見て冷笑しているように見えた。

帰り道、乗った電車に腰をかけるはずみで咳が出る。その瞬間、前の人が怯えた顔をして席を移った。こうゆうこともあるんだろうな、とは予想はしてたけど少し「くるもの」があった。次の停車駅で僕も隣の車両に移った。

27日(金)

今日も在宅勤務だった。

ニュースで流れる「買い占め」に怯えながら昼飯を買いに近くのスーパーへ出かける。普段通りの店内だった。一部商品(カップラーメン)は売り切れてたけど、それ以外はふだんのスーパーだった。

資料を作るためノートを開きあーだこーだと絵を描く。パソコンに向かい続ける時間の中でこうしてノートに向き合うのは楽しい。小一時間描き続けたところでピタッとハマる絵を描けた。今日はもうそれだけで仕事をした気になってしまった。

画像2

夕飯のおともは、先日買ったGRAPEREPUBLICのシードルを。『魔女の宅急便』を観ながらチビチビとしていたつもりが、飲みやすさからあっという間に開けてしまっていた。

ジブリ映画は年齢を経るほど泣きたくなるのはなぜなんだろう、といつもこうして再放送がある度に思う。のだけれど、その理由は分かってはいけないとも思うからそのままにして、これからも観るたびにグッとくればいいんだとも思う。時にわかろうとすることを手放すことも必要だ。


ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。