嬉しい記憶を [9/26〜10/2の日記]
明け方の冷んやりとした空気に大学の学祭を思い出します。
それでは今週の週報。
9/26(土)
男3人が自作カレーを持ち寄って友人宅にてカレー会。
昼に集合して解散は23時くらいだった。
こういう会も久々な気がする。
人生の中のどこかのタイミングで、求められる役割を引き受けなくてはいけない時期というのがあって、そういう時に逸らしてしまうと、いつまでも逸らし続けてしまうんじゃないだろうか。そんな話をした。
意識的な無意識的か(誰だって引き受けるのはストレスのかかる行為だ)、逸らしてしまうことを「筋が悪い」とも。
こういう話ができるのもきっと、会って話しているからなんだろうな。良い日になった。カレーも美味しかったし。
9/27(日)
前日の酒を引きずり1日休息。
三品輝起さんの『雑貨の終わり』を読む。
物に目をやることと買い物することがかぎりなく近づき、売り買いされない物がほとんど残っていない世界ー。われわれはそこへ、あと数歩でたどりつくはずだ。
10年後僕は何をしたいのだろう。考える時間が増えそうな問いたちだった。
9/28(月)
今年を振り返りながら来年を画策する日。
紙と鉛筆の1日。
1社目の代理店の頃の後輩と会う。いつも誰かに囲まれていて世話焼きで人たらし。僕とは真反対にいるような奴だ。
僕が誰に対しても飲みに誘えないといったことを話すと、断られることをおそれて声をかけられないなら、それは人に期待しすぎだとバッサリ。
断られるのがこわい時点で応えてほしいと思っているわけだ。
たしかに飲み会以外にも、仕事面でもそうゆうところはあるかもしれない。学びの多い夜だった。
9/29(火)
調整のような1日。
9/30(水)
一度だけ仕事をご一緒した大先輩が今日で退職するということでわざわざ挨拶に来てくれた。
「その節は」と挨拶もそこそこに、とあるブランド(根強いカルチャー寄りのファンが多い反面プロモーションを一切行わないブランド)について「語る人がどんどんいなくなっちゃうから君が残してくれ」と言った。それだけ伝えると「次があるから」と颯爽と去っていった。
嬉しくも重たい宿題が手元に残った。
「なぜこんなに言葉を持っている人たちの言葉が外に“漏れて”こないのだろう?」この会社にきてはじめに感じた違和感。その課題の解決の糸口があるように思って始めたのがnoteだ。そう考えると動機はとてもシンプルだ。
誰かの声を聞くことは僕にとっても嬉しい記憶なのだけど、それが文章になって「表に出る」ということは、話した本人のみならず、その近くにいる人にとっても嬉しい記憶になるのかもしれない。
その記憶を繋ぎとめるかのように、数珠繋ぎで人から人へ話が渡り、僕に「オーダー」という形で声がかかるまでになった。
「嬉しい記憶」を繋げていくこと。僕がこの会社でやること。
10/1(木)
バタバタとした1日。
取材。会議。
今日の取材と昨日の「宿題」の話を受けて思うのは、オウンドメディアを通じて届けるべきなのは、「ストーリー」ではなく「ドキュメンタリー」なのではないかということ。
流行り言葉のように、企業は「ストーリー」を伝えようと煽るけれど、「ストーリーを出したい」と口に出した途端にその人の手元から離れて「誰かが拵える」ものになっているような印象を受ける。
他人任せの言葉は「嬉しい記憶」にならない。
「ドキュメンタリー」にするためには、主観を含めたやってきたことの振り返りが必要になる。その振り返りは「自分の言葉」でしかできない。その先に「嬉しい記憶」となるコンテンツが待っている。
10/2(金)
今日もバタバタとしていた。良い取材だった。同席したメンバーが泣き出すほど。
その後パートナーさん達と打ち合わせ。オーダーが増えたことによるこちらのコミュニケーションミスで「やり直し」が発生していたため、その穴をどうするか?という話だった。息詰まるようなスケジュール感の中でも一切妥協せずにアイデアを出してくれるのを見て安心した。
バタバタとしてる中でもゴールに向けて同じ熱量で動いてくれるチームであれば、「難しい」が「楽しい」に、「多忙」が「夢中」になったりする。良いチームになってきている。
来週は温めてきてきた企画やら熱い記事が目白押しだ。楽しみ。
ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。