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背中 【せ_50音】

1 背の中央。背骨のあたり。また、背。せな。「子供を背中に負う」
2 物の後ろの部分。背面。「冷蔵庫の背中の放熱板」
(出典:デジタル大辞泉)

久しぶりに実家へ帰った。

師走が師走らしく僕を目いっぱい走らせて、ようやく仕事が少し落ち着いて一呼吸したところに、「そういえば母親に会ってないな」とふと気になったわけだ。

3か月前に来たときから実家の雰囲気が変わっているわけではないのだけれど、玄関を開けたときに感じたのは懐かしさよりもよそよそしさだった。ご飯を食べているときも母親と話をしているときも、「お邪魔している」感じがぬぐえなかった。

なんとなく落ち着かない時間をもてあまし、少し早めに切り上げることにした。「ではそろそろ」僕がそう告げると「あ。そうそう」と母親は立ち上がった。近くの棚の抽斗を開ける母親の後ろ姿を眺めて「こんなに背中小さかったっけ」と少し驚いた。と同時に子どもの頃におんぶしてもらった記憶がフラッシュバックしてきて思わず鼻の奥がツンとしてしまった。

「ほら」いつの間にか目の前に向き合っていた母親が差し出していたのは、僕が小学生の頃に書いた作文だった。
「懐かしいでしょう?...持って帰りな」
「え…」
「いいから。持って帰りな」
母親の意図はわからないまま僕は反射的に頷いてその作文を受け取り、逃げるように実家を後にした。

電車の中で開いた原稿用紙のタイトルは「10年後の私へ」。書いた内容はすぐには思い出せなかったけれど、たしかに小学生高学年の頃にそんな課題を出された気がした。「未来の自分を想像してみましょう」そんな先生の甘ったるいかけ声にしぶしぶ応じて書いた記憶がなんとなく残っている。

その時は続きを読む気になれずそのまま鞄の奥にしまった。

「不思議だよね、小さかった頃母親に背負ってもらいながら眠りに落ちたときの匂いとかさ、お風呂に入ったときに父親の背中の大きさに圧倒されたこととかさ、そういう記憶ってずっと残っているよね」

クリスマスソングが流れる緑色のロゴのカフェで、久々に会った彼女は僕の話を聞いてそう切り出した。頭の上ではポールマッカートニーが「ただ楽しめばいいのさ この素敵なクリスマスを」と誘っている。

「うん、そうだねぇ。あとは手の大きさとか、足音とか」
「足音?」
「うん。父親の後ろについて歩いてるときの、父親が砂利道をサンダルで踏む“ギュッギュッ”って音に自分が近づけなくて地団駄踏んでいた記憶がいまだに残っているんだ」
「変なの。でもそれも父親の背中とセットだね」

「たしかに」と僕は思った。
背中は、その人が人生の中で背負いこんだものを映し出す。だから僕らは背中を通して過去を懐かしんだり、将来の自分を重ねたりするのではないだろうか。

そう伝えると彼女は、なんだかタイムマシンみたいだね、と少し茶化してカフェオレに口を付けた。そしてふと思案顔になる。何かを考えている顔だ。

「そういえばさ、哀しい背中とか、背中が怒っているとは言うのに、楽しんでいる背中とか、背中が喜んでいるとは聞かないね」
「言われてみればたしかに。なんでだろう」
「さぁ...。でもあなたが背中に過去と未来を見ように、背中には面と向かって簡単に共有できない気持ちが映し出されるのかもね」

カフェを出て通りに出る。交差点まで来たところで前に立つ若いサラリーマンが電話を耳に当てて何度も頭を下げている。誰かに謝っているのだろうか、礼を伝えているのだろうか。彼の背中からはとんと伝わってこなかった。そして信号が変わった数秒後には彼は人混みの中に消えていった。

家に帰り、鞄を開けると原稿用紙が出てきた。あまり気乗りしなかったが、ソファに座り「10年後の私へ」を読んだ。内容は恥ずかし過ぎるのでここでは公開しないが、400文字いっぱいに書かれた“手紙”の最後はこう締めくくられていた。

「それでもきっと、あなたはあなたらしく、夢に向かって今日という1日を過ごしているのでしょう」

読み終わったときに思ったのは、少年の頃に想像した将来の僕の背中と比べて、今の僕の背中は大きいのだろうか、小さいのだろうか。ということだった。

数秒逡巡したところで「小さいんだろうな...」と皮肉めいた結論が出たとことで、僕は少しだけ背筋を伸ばし、電話を出して母親にメッセージを送った。

「また近々ご飯食べに帰るね」

人の背中は正面より多くのものを私に語ってくれる
 (ソール・ライター)


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