声 【こ_50音】
【声】
① 人間や動物が発声器官を使って出す音。虫の場合は羽などを使って出す音。 「 -を出して本を読む」 「虫の-」
② (生き物に見立てていう)物の立てる音。 「風の-」 「鐘の-」 「雪の解けて筧を伝ふの-/不二の高根 麗水」
③ 言葉にして表した考えや気持ち。 「読者の-」 「非難の-」 「国民の-を聞く」
④ あることが近づく気配。 「秋の-」
(出典:大辞林 第三版)
一度だけ仕事でご一緒したことのある方から1年ぶりくらいに連絡がきた。最近どんな仕事をしていますか?久しぶりに情報交換しましょう、つまりは飲みに行きましょうという誘いの連絡だった。
飲み会ならば賑やかな方が良いと、彼の一声で集まったのは6人。僕にとって初対面の人が4人もいて、さながら合コンのような趣をもって飲み会はスタートした。
彼のことは仕事を一緒にしたときから好感を持っていた。理由はシンプルで、ただ声がハッキリしてとても大きかったからである。それだけで「あぁ。この人は嘘つけないんだな」と信頼できた。
声が大きければ正直者なのか、という問いにはミスチルの「Over」に答えがあるから聴いてもらえればと思う。
さて、飲み会についてだが、久々に会った彼は相変わらず“正直者”で、会は大層楽しいものになった。小ぶりなお店には不釣り合いなその声は、店主から「頼むから声を落としてくれ」と注意が入るほどだった。
「良い会で良かったね。ところでさ、声の大きさってSNSで数値化されるようになったと思うの」
楽しかった飲み会の話をぶった切って彼女は切り出した。僕は飲みかけのコーヒーに手を伸ばし、続きを待つことにした。
「Twitterはリツイートといいねされた数が言葉の下に出てくるよね?たまにね、その数字を見て答え合わせをしてしまうことがあるの」
「答え合わせ?」
「そう。誰かが発言した言葉に共感したときの私の感情が“正しい感情”なのか、出ている数字が大きいと『私は間違ってない』と安心することがある。でもその後すぐに後悔することになるんだけど」
「後悔する?なんでだろう?」
僕の問いに彼女は一瞬目を泳がせる。コーヒーカップに手を伸ばそうとして取っ手に指をかけ、視線はコーヒーカップに置かれたまま、言葉を選ぶようにゆっくり話し始める。
「うん。誰かの勇気をふり絞った主張が、多くの人の共感を得て大きな声になること自体は美しいことだと思っているの。その声に励まされる人も大勢いるわけだから。ただ...」
「ただ?」
「思うのだけれど、誰かの声に共感することを隠れ蓑にして自身の不満をまぶして棚上げしているようなところがあるんじゃないかって。だから後悔するの。数字の大きさを盾にして不満を隠した自分の弱さに気付いてしまうから。私だけなのかもしれないけど」
一呼吸おくようにコーヒーを口に含んで、彼女は続ける。
「それだけじゃないな。共感が増えればその分、非難の声も出てくるじゃない?それもSNS上では目に入ってきてしまう。で、それらは対極にある言葉なはずなのに、私には共感する声も非難する声も、何かに苛立っているという点において同じに見えるんだよね。そうゆうことが見えてしまうとなんだか急に落ち着かなくなる。だから『あぁ、また見てしまった』という後悔もあるのかな」
そこまで聞いて僕は反射的に「公園に行こう」と口に出していた。
彼女がコーヒーを飲み終わるのを待ってから喫茶店を出る。数分歩いて井の頭公園に着き、池のほとりにあるベンチにふたり腰かけた。
ベンチに座って特に何も話さず数分が経った頃
「あぁ。ここには、声があるね」と彼女は頬を緩める。
僕は頷いた。
「色んな声がするよね。かの有名な漫画を読み上げるおじさんの断末魔のような声や、おじいちゃんが歌うフォークソングのしわしわの声や、時間は無限にあると信じて疑わない大学生の笑い声や、子どもの嬌声や犬の鳴き声...そんないろんな声が耳に入ってくる。たまに僕はここに座って、ただ声を聞くんだ。不思議なのだけれど、座ってるだけなのにすごくホッとするんだよね」
うん、と頷き彼女はしばらく公園の池をぼんやり眺めていた。彼女の心拍数が落ち着いていくのが、陽のさした横顔の表情からから見て取れた。
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彼女と別れ、帰りの電車で読みかけの本を開く。
顔には、目と口と鼻と耳の4種類の穴があります。このうち目と口には「みる」という動詞が使われます。味を「みる」といいますよね。そして、耳と鼻は「きく」。香りは、中国(漢文)でも、かなり古い文献から「聞く」という動詞を使っています。(出典:安田登著『あわいの力』)
この先でもう少し詳しく「みる」と「きく」の違いについて書かれている。「みる」器官は自分の意思で閉じることができるのに対して、「きく」器官は自分の意思では閉じられないと説明されている。
彼女は「声が目に入る」と言った。そうであるならば僕らは本来「きく」はずの声も自らの意思で選びとっていることになるのだろうか。
だから彼女は自分の都合の良い声だけを“選びとって”いることに後ろめたさを感じていたのかもしれない。
「落ち着かない」というのは、「みる」ものと「きく」もののバランスのことなのだろうか。どんなバランスが最適かなんてわからないけれど、たぶん本能的に「きく」が足りない、と思っていたのかもしれない。さっきの公園の表情がそれを物語っているような気がした。
しかし今の僕らにとって「きく」とはなんだろう。これだけ声が溢れている中でどうやったら「きく」ことができるのだろう。電車に揺られぼんやり考えていたら、先日の飲み会の“正直者”の彼が言っていたことを思い出した。
飲み会の終盤、SNSをほとんど使っていないという彼に理由を聞くと
「いやー。僕がこれ以上うるさくなったらみんな困るでしょ?ガハハハ」
と笑っていた。
そのときはみんなで茶化していたけれど、今振り返ってみるとなんとなく彼が言いたかったことがわかるような気もした。
電車のアナウンスが最寄の駅にもうすぐ着くと告げる。いつもよりも大きな声のように感じた。
ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。