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失敗を素通りしない

「失敗は成功の母だ」という言葉が示すように、失敗が後に身を助けるということは多々あるように思います。

失敗に学び、そこで得られた経験を次に活かす。これを繰り返した先に成長があり、「成功」につながる。ざっくり言えばそういうことなんだと思うんです。

失敗するにはもちろん理由があります。おそらくひとつの理由ではないでしょう。そもそもゴール設定を間違えた?時代が早すぎた?クオリティーが足りなかった?その他諸々の因子が複雑に絡まり合って失敗となるわけです。

失敗に向き合うことは痛みを伴う作業です。できれば早く忘れて次に行きたい。でもこのときに(徹底して)向き合わないと、結果だけを見て、チャレンジしたことをまるごと「失敗」として烙印を押し、自身の抽斗にしまうことになります。

結果としてどうなるか。それはたとえば新しいアイデアが浮かんだときに「あぁ。あれは以前やったんだけど失敗したからなぁ」と以前の事例を引っ張り出して、新しいチャレンジの芽に対して蓋をして片付けるようになります。

それだけならまだしも、他人のやることのアラ探しをして「失敗するよ」と要らぬアドバイスすらするようになる。

本来であれば、失敗から次のチャレンジが生まれるはずなのに、真逆の結果となる。こうゆう空気を身の回りに感じることもあると思います。

そしてこんな雰囲気が所属するチームや組織に流れると、新しいチャレンジやアイデアが逓減していき、減点主義の体制に様変わりしていきます。

かたや、新しいチャレンジを前向きにとらえ、失敗をしっかりと次のステップに活かしていける雰囲気を持っているチームも、もちろんあります。

その違いはどこで生まれるんだろう。と思ったら前職で旅メディアのプロデューサーをしていた頃を思い出しました。

そのときの上司から言われた言葉は今でもしっかりと憶えています。
君の理想ややりたいことは、正直僕は理解し切れていないかもしれない。でも、僕はそこに可能性を感じるから、とにかく自由にやってほしい。障壁は僕が取り払うから

僕はこの言葉に後押しされるように、新しい取り組みを打ち出しては失敗し、その失敗をさらに新しい取り組みに展開させていったように思えます。

そこで体験した失敗はしっかり成功への道しるべになっていましたし、その経験は今でも活きていて、メディアやコミュニティーで新しい取り組みをしようとしている人たちに対して、僕自身が失敗から学んだことを共有し、次のチャレンジを促せているような気がします。

はい。失敗を成功の源にするために必要なことはとてもシンプルです。

打席に立たせ、思いっきりスイングさせること。そして空振りに拍手をし、次の打席を用意すること。

打席に立つということは多くの人の前に出るということです。多くの人たちの前で華麗に空振りすれば、恥ずかしさを通り越して包み隠さずアドバイスを求めにいける。空振りを目にした人は(時にあざ笑う人もいるでしょうけど)、「あそこが良かったよ」「ここに気を付けて」と具体的な言葉をかけてくれる。

この循環(だけ)が、失敗に強いチームを作り、チャレンジングなチームに育てていくんだと思います。その先に待つのはもちろん、「成功」です。

こんなチームを作っていきたい。

ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。