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“直感”を共有できる組織が今必要な理由

今日はこの「直感」について、少し踏み込んでみます。企画会議ともなれば、当然ながら、そこの場の全員(もしくは決裁者)を説得するためのロジックを揃え資料を拵えて提案することになると思うのですが、ロジックで提案されれば、その反対意見も当然ながらロジックで返すという作法(というか礼儀)があると思います。

ただ、前職では難敵がいまして、上記の「大人の所作」をすっ飛ばして「えー、それなんかつまんなーい」と一刀両断されるベテランの方がいました。決裁権のあるポジションの方ではなく、そのブランドをずっと「見てきた」古参のような方でした。事前にいろんな反論や懸念点を洗い出してQAを用意したことがバカらしくなるくらい、その一言には破壊力がありました。

「その、なにがダメでしょうか…?」と聞いても、「うーん、なんか“らしくない”というか、違和感がある感じ」といった回答でまったく議論になりません。

その言葉が出てしまったら、その方が言語化できないその違和感についてみんなが解釈を持ち寄る議論が始まることになります。会議は確実に一度立ち止まる状態になり、この時点で想定していたプレゼンのプランは消え去ります。それだけならまだしも、結果としてその違和感の正体がわかりきらず、改善する機会すら与えられず(改善すべき点がわからないのだから当然と言えば当然です)、企画そのものが振り出しに戻ったり、最悪企画自体がなくなる、ということもしばしばありました。

当時は歯ぎしりするくらいイライラしていました。なぜあんな人を会議に呼んでいるのだ、誰かあいつを退場させてくれ、と憤慨もしましたが、今改めて振り返ってみると、あの「直感」を吐き出せるオフィシャルな場というのは、「守られなくてはいけない場」だったんだと思うようになりました。

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確たる根拠はないけれど「そうかもしれない」と思うことは、日々の生活や仕事の中で結構あると思うんです。普段は通り過ぎてしまうそういう感覚が後々顔を出してはヒントを与えてくれることも。正解やノウハウばかりが並ぶSNSでは発言することに気が引けてしまう「なんとなく」を月に2回を目処に書き残していきます。読んだ方々にとって、日常の「小さな兆し」に気づくきっかけになれれば。

仮説の手前

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