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ベルトコンベア
最後の日。
何にでも訪れる普遍的なものでありながら、人はこれをどうにか避けることができないか、延ばすことができないか、苦心するものである。
御多分に洩れずこの私も、学生生活の出口に至りこれを如何にして逆流することができないかと、簡単に言えば現実逃避を繰り返していた。
詰まるところ、逃げることはできない。
我々は生まれ落ちた瞬間から、大いなる時間(社会?)という名のベルトコンベアに乗っているのだろう。進む方向とは前であり、先であり、未来であり、一秒後なのだ。
ベルトコンベアを走れ。さらに加速しろ。振り落とされてはいけない。落ちたら自分の力でよじ登れ。落とされたやつなんか助けてたら、自分の足元がおぼつかないぞと、誰かに拡声器でなじられている気がする。
ともかく、我々の生というのがそれほどのスピードでもって加速していくものだというのなら、そのスピードはライフステージごとに変化するのではないだろうか。
私がこれから足を踏み入れる成人という段階においては、きっとその速度がもっとも速く、しんどいものなのだろう。きっと最初にそれを感じ取ってしまった人が、4月1日を「エイプリルフール」に設定するという酔狂を思いついたのではなかろうか。(多分違う)
こんな風に物事を難解かつ遠巻きから考えてしまう悪癖はこの大学生活で治らず、というかむしろ強化され、今の私を良くも悪くも定義づけている特徴だといえる。
この一ヶ月間も私はそのチャームポイントを遺憾なく発揮し、全然note更新できなかったなーとか、マインドセットできなかったなーとか今になってグダグダと考えてしまっている。
しかし意外だったのは、先日友人から「学生生活でやり残したことある?」と質問された際、「そりゃあるよ、、」という後に続ける言葉が思い浮かばなかったことだ。
強いて挙げるなら、彼女とお揃いディズニーとか、クリスマスを祝うとか、温泉旅行とかとか、恋愛面ならちらほら思いつく。だが、それも強いていうならだ。
入学当初、大尊敬する社会学の先生が話していた。「学生生活で良き師と良き友を見つけてください。」
自分のこれまでを振り返れば、良き師と良き友を自分には勿体無いほど得ることができたと、断言できる、いや断言させてください。
だから、後悔はない。
グダグダ言いながらも、その都度やりたいことには足を突っ込んできた。うまくいかないことの方が多かったが、うまくいかないと感じていることが、ベルトコンベアで流されるわけではなく自分の意志で前に進めていることの証明だと、そう信じたい。
この先走り切れるのかどうかという不安は、おそらく足を動かしている限り尽きない。
けれども、だからこそ、そんな自分を支えてくれるのは、自分を見つめてくれる人の存在や言葉、そして自分がこれまでに踏み締めてきた道のりの記憶だ。
そのどれも根拠として確実ではないかもしれないが、一番自分が信じたいものであることは確かだ。
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