幼少期の辛かった経験から生まれた大事な価値観
こんにちは。鈴木貴大です。
大好きな日本酒を通じて、新たな挑戦をしていきたいと以前の記事で紹介させていただきましたが、いまとても大事にしている価値観は、「自分のどんな体験がきっかけで、今のチャレンジをするに至ったのか」をちょっと自分なりに過去を振り返りながら、書いてみました。
親の仕事で3歳からアメリカ生活
親の仕事の都合で、実はアメリカに住んでいたことがあります。3歳~6歳ぐらいの期間をアメリカで過ごしています。当時は英語ペラペラでした。あくまで当時は、、、です。
自分にとって、とても大きな経験で、このような経験をさせてもらった両親にはとても感謝しています。
当時のアメリカ生活の中でも、自分の記憶には残っていないのですが、親が教えてくれたエピソードが、とてもインパクトが強く、そのエピソードを話す時は今でも大きく自分の感情が揺れ動きます。
現地の小学校での特別授業
小学校に通う年齢になると、現地の小学校に通うことになりました。現地の人たちと同じ授業を受けるので、当然授業は英語で進みます。
英語をどう話して、理解していたのか、そもそも理解していなかったのかは全く覚えていないのですが、なんとか生活はしていました。
現地校に通っていましたが、外国籍の子供を集めて、補修授業のような場があり、当然僕もその対象として呼ばれました。一部の授業ですが、僕は現地の仲良くなった友人と、授業を受けられないことがありました。
自分だけなんで?他の友達と自分は違うの?と仲間外れになった感覚を当時の貴大少年は感じていたのかなと思います。
全く記憶には残っていないですが、このエピソードを親が話すたびに、感情がとても大きく動くので、とても大きな出来事だったんですね。
仲間外れにされたというつらい経験を幼少期に体験したからこそ、今では人のつながりを人1倍大事にして、仕事をしたいという僕にとってとても大事な価値観が生まれました。
祖父母が帰国する時に空港で大泣き
この出来事も正直、全く記憶にありません。
でも、家族と当時の思い出話になると、必ずと言っていいほど、話題にあがる我が家でや有名なエピソードです!
空港で親に泣きわめきながら腕に噛みつくという事件なので、シンプルに障害事件ですね!
祖父母のアメリカ滞在が終わり、帰国のため、空港にお見送りに行ったのですが、貴大少年は、「自分も日本へ帰る!」と空港で大泣きをし始めました。両親も僕の気持ちは誰よりもわかっていたと思いますし、その気持ちがわかるからこそ、まだ帰国できないと伝えることもとても辛かったでしょう。
そんな親の気持ちも知らずに、空港で泣きわめいて、親に噛みついていました。
自分にとって、アメリカにもたくさん友達はできましたが、やっぱりルーツは日本ですし、日本が恋しかったのかなと振り返ってみると感じます。
「日本人である自分が日本に帰れない、日本の友達に会えない。なんでみんなは日本にいるのに。。」
ここでもまた仲間外れになるという解釈をしたのだと思います。
仲間外れになる怖さ、人と人のつながりが途切れる怖さを子供ながらに体感しました。
人と人が繋がる社会を創りたい
このような経験が今の自分の大切な価値観に直結していると感じています。
大人になった今振り返ってみると、「仲間外れにされた」という事実は全くありません。
アメリカの現地の学校の出来事も、しっかりと現地の授業についていけるような配慮ですし、空港での出来事も親の仕事で子供のことも真剣に考えたうえでの決断です。決して、仲間外れにしようとしているわけではありません。
子供の僕は「仲間外れにされた」と当時は傷つきましたが、今となってはとても大事な価値観です。
この商品はこの人がこんな想いで造っている、
こんな想いで販売している、
こんな想いで発信している、
何をするにも目の前には、人がいます。
その人が想いを込めて造るから、
それに心が動いて、応援したくなったり、買いたくなる。
もちろんモノがいいからという側面もありますが、
ヒトの想いに心が動いて、買ってみた体験こそが、
造る人、売る人と買う人が繋がることになると思います。
仲間外れにされたと感じた経験があるからこそ、
人と人が繋がる喜びも感じています。
そんな人同士が繋がって、お互いを応援し合うような、
そんなものの売買がされる世の中を創りたいなと思っています。
このような世の中を自分が大好きな日本酒で創ることができたら、僕は幸せです!
憎たらしいぐらいの笑顔ですが、こんな笑顔で溢れる、繋がりのある社会なったらいいですね!
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