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PCR検査物語

今となっては帰国時のPCR検査は昔話となり、早くコロナ騒動も昔話になってもらいたいものだ。今回は、ミラノでやったPCR検査の物語。

初期の頃は水際作戦と言ってコロナウィルスを国内には持ち込まないという断固とした意志が日本政府にはあった。そのため、海外からの帰国時には離陸72時間前以内にPCR検査をして(別の検査でもいい)陰性の証明書が無いと入国出来ないばかりか、飛行機にも乗れないという毅然とした態度を示していた。帰国後の検査で陰性であっても3日とか6日の隔離生活をしなければならない時代もあった。世の中には監禁されるという動詞や、監獄とか牢屋とかの名詞もその用途で登場してきた。3日間の監禁も体験した・・・鍵はかかっていないが、廊下にも出られないんだよ!(廊下には看守もいた)
窓があるだけ有難いという人もいたし(窓無い部屋に3泊4日監禁は辛い)、宿泊施設が無くて羽田とか成田に着陸してからまた飛行機に乗って地方のホテルに行く人もいた・・・凄い時代だった。

アパホテル&リゾート 横浜  ここは景色が良いのが有難い

本当に国内で感染者がゼロかゼロに近い値を示しているのならこの水際作戦も効果あるとは思う。その後爆発的ではないがかなり国内でも感染者が増えて、外から感染者が入る数よりも国内で感染した方の数が多くなった。当時、海外に行く人は極端に少なくて(外国へ行けるという雰囲気ではなかったからね・・)日本人の海外からの帰国者は1日 1万人位だった時に、1日の新規感染者は1万人だった時期の記臆がある。つまり、帰国者全員感染していたとしても、国内で感染する人と同じということだ。多く見積もって帰国者の1%の人が感染していたとしても、100人だ。それに比較して国内新規感染者は1万人だ。

トロイの木馬は、どうしても敵陣内に入れなかった壁を越えるために大きな木馬の中に兵士を隠して敵にプレゼントして、壁の中に入れて中から鍵をあけて攻め入ったお話。既に敵の兵士が壁の中で大暴れしているのに、壁を一生懸命守っても意味がないと思うのだが、かなり長い間意味のない壁を守っていたという無駄な事をしていた。

・・・という理不尽な検査をさせられる事には抵抗があったが、そうしないと帰国出来ないのだから従うしかない。初めて帰国の時はパリでやったのでまだ平和だったのだが、この時はミラノだったので勝手が違う。

事前に調べておいて、かつ市内中心部にあって値段もリーズナブルな所を探して検査をした。書類合格の条件としては、政府発行のフォーマットに沿っているというかなり厳しい条件をクリアしなければならない。例えば 医師のサインが必要とか、検査した病院やらクリニックやらの印鑑がないとダメとか・・

日本では土日でも営業をしている病院はあるけれども、海外ではほとんど無いか全く無いので、72時間前のPCR検査というと3日前なので、月曜の15:30発の便だとすると金曜の15:30以降に検査をしなければならない。PCR検査というのは、抗原検査と異なりその場とか1時間後とかに結果が出るものではない。培養して・色々と処理をして・・・と半日とか1日後に分かる事になる。24時間で回答が出るのはラビード(鉄道なら快速)とかエクスプレス(鉄道なら急行)になり、余計な費用を払わなければならない。もしそれだとしても金曜に検査の場合は土日休みなので月曜の午前中に結果発表というのがある。病院の印鑑と医師の生サインがないとダメだった時代もあったのだが、後半では(この時は既に)PDFの印刷(でも紙出ないとダメ)でもよくなった。

このクリニックで金曜の午後に検査をしておけば、月曜の午前中にPDFを貼り付けたEmailで結果を送ってくる事になっている。土日が入っていなければ24時間で回答が出る。帰国便はミラノからロンドン経由でJALにて羽田というルート。幸いな事にこの時は火曜に出発なので月曜の午前中に検査をすれば出発の日の午前中にDATAを入手できる。それでもあまり余裕があるとは言えない。実際その通りになったが・・・

もちろん陽性だったら帰国どころではないので諦めもつくが、陰性なのに書類の不備で飛行機に乗れないのは諦めがつかない。もちろんこの時も陰性のPDF DATAがメールで送ってきた。書類をホテルで印刷してもらってホテルを出る準備をする。しかしよく見てみると送ってきたPDFには、採取した時刻ではなくて検査した時刻が書いてある、サインもしてない。しかし楽観的な私はコレだけ出来てれば大丈夫でしょう・・と安心していた。

ホテルのビジネスセンター

午前中にJALから検査の書類のチェックするのでDATAを送って下さいとメールが来る。すぐにもらったDATAを転送すると・・・ 電話がかってきて、これでは帰国の便には乗せられません。政府からのお達しで条件を満足しない書類を持っている人は飛行機に乗せられないと言う・・・え! 少し焦ったが 何があれば合格になるのか・・を聞いたら、採取した時刻と医師のサインと病院の印鑑が更に必要という。この時手書きでも良いですよね・・と聞くのを忘れなかった。

これは前回Parisで貰った完全版(これなら合格)

検査前にこの書類の内容を英語で書いてくれますね・・・ サインくれますね・・・  等かなり確認してやったのに。このままでは16:30発の便に乗れない。すぐ検査したクリニックへ行って必要なDATAを入れた書類を入手する必要がある。ここはなんと 12:00-13:00まで昼休で、13:00に行ってすぐもらってもかなりギリギリとなってしまう。しかし今からホテルから出発しても12:00には間に合わない・・が、誰かいるだろうという事で飛んでゆく。

ミラノというのは車を停めるのに一苦労・・路上ですら停められないレベルなのだ。駐車するのに10分も20分もかかる。一応英語と交渉力は少し妻より上だと思われるので、妻に運転させて私は病院の前で飛び降りて走って入り口までゆく。妻はなんとか駐車する場所を探している。しかし・・・入り口は閉まっていて中は暗い。

心まで暗くなり、空港のカウンターで断られている映像がちらつく。その時中に人がいる気配。PDFで送られてきたDATAを印刷したA4の紙を入り口のガラスドアに左手で貼り付けて、右手でドンドンドンドンと緊急性を醸し出しながらその人を呼ぶ。普通外人は休憩時間には仕事をしないものなので、彼女の時間を奪う事になるが、緊急事態なので我慢してもらうという選択をする。いやいやそうに出てきた彼女は、13:00に開くからそれまで待ってろ と言うのだが、ここは押せ押せでこっちの要求を伝える。

出来るというからここに頼んじゃないかぁ〜 と文句を言うが、検体はラボに送って検査してるからここには医者はいないのでサインは出来ない。検査時間ちゃんと書いてあるじゃないの・・ その記入変更も出来ないと言ってきた。それでもごねてるとラボに電話して指示を待つので待ってて下さい・・となんとか前進する事が出来たがあまり楽観は出来ない。

この時、良からぬ考えは持っていた。日本に帰ってしまえばなんとかなる、飛行機に乗れればいい。最悪ミラノから乗り継ぎのロンドンまで飛べればどうにかなる・・ 日本政府は建前でこの書類を出させてるので内容が正しかろうがそうでなかろうが体裁ができていれば良い。良からぬ考えとは、陽性なのに陰性にするのはまずいが、時間をちょっと書くぐらいは書いてあれば疑わしくともOKは出すだろうという考えだ。医者のサインもそれらしいのを自分で書いても誰のサインか分からない・・はず。私文書偽造の罪に問われるかもしれないというリスクはあるけど。

・・・という PLAN B も用意しておいて、ラボの回答を待っていた。13:00はとっくに過ぎてそろそろ出ないとミラノ リナーテ空港のチェックインタイムに間に合わない時刻が迫ってくる。何度もまだかまだか・・と聞いてると、しぶしぶ受付の彼女は医師ではないが、受け付けましたよというゴム印と自分のサインを紙に書いてくれた。ちょっと見ると医者のサインに見える。採取した時刻がブランクだったのでいかにも外人が書きそうな字で本当の時刻を書いておいた。これで体裁は整う。これでOKと彼女にお礼を言ってラボを後にする。

なんとか書類が整ったので、その紙の写真を撮ってjpegにてJALに送りながらリナーテ空港まで移動する。移動中にこれならOKの連絡が入り、ギリギリチェックインに間に合った。時々書類不備で乗れない人もいるという・・・ひどい時代だ。

●エピローグ:こんなに苦労して入手した検査結果は、羽田空港ではあるかどうかだけ見るだけで内容はチェックもしない。こんなに苦労したのに何で・・と思い、忙しくなさそうな人に何故調べないんですか? と聞いたらチェックインの時に現地で調べてあるので羽田では必要無いのです・・・と

その次帰国した時は、一瞬たりとも見なくて回収もしなかった・・・わざわざお金と時間をかけて検査したのに。

そのまた次の時から帰国時のPCR検査は不要となった・・・ めでたし


帰国時のPCR検査はかなりのストレスを伴う  これが、ミラノPCR物語


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