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【読書メモ】「今ーここ」と意識:『ウィリアム・ジェイムズのことば』(岸本智典編著)

『ウィリアム・ジェイムズのことば』を引き続き読み返しています。今回は、意識、心、プラグマティズム、といった内容に関して興味深かった点を書いていきます。

意識の流れ

ジェイムズは意識というものを流れ(stream)として捉えています。この流れを、本書の共著者である岩下弘史さんは「ふわふわ」という言葉で表して『ふわふわする漱石 その哲学的基礎とウィリアム・ジェイムズ』という名著を書かれておられます。

本書では、何に対するアンチテーゼとしてジェイムズが意識を流れとして捉えたのかが解説されています。

ジェイムズによれば、従来の心理学は、心のなかの現象を個々別々の心像や観念と見なし、それらのあいだのつながりや、心像そのものに備わる広がり、周辺部を見落としてきました。しかし、私たちの経験を真摯に見つめなおせば、そこに明確な境界などありません。ある経験にほかの経験が入り込み、多くの経験が分かちがたく結びつき、連続しながら変化していきます。ジェイムズはこのような意識のあり方を「流れ」と表現したのです。

p.57

ジェイムズは、心理現象を細かく切り分けて分析するというアプローチに対して「流れ」という表現を用いて捉え直しを図ったようです。

「今ーここ」と意識

こうした意識の流れという考え方は、フッサール現象学に影響を与えたと著者は解説されています。ここで登場するのが「今ーここ」という捉え方です。

実在の一部である私たちが経験する今・ここの「脈動」、生の一瞬一瞬には、それ以上の時間的・空間的広がりがつねに伴っています。

p.59-60

『組織開発の探究』(中原淳+中村和彦著)で中原先生は、フッサール現象学を「今ーここ」と表現されています。同書を読んだときは、そのように表現できるのだなーと感嘆したものですが、本書でも同様の表現がされていて感動的な思いがしました。

心とプラグマティズム

こうしたアプローチで心に迫ったジェイムズの捉え方は、その後の彼のプラグマティズム思想に繋がっているようです。

ジェイムズは、そのつどの特定の目的と結びつけて生き物の心というものを考えます。目的が異なれば同じ状況でも違って見えます。

p.63

目的との結びつきを重視してジェイムズはプラグマティズムを提唱しています。上記箇所の後にあるコンビニの例がわかりやすいのですが、コンビニの全く同じ情景を見たとしても、夕飯を買いに来た人、おやつを買いに来た人、お金を下ろしに来た人、友人との待ち時間を潰しに来た人、とでは違って見えるということを述べています。このようなわかりやすい喩えを使えるくらい、物事の本質を理解したいものですね。


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