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【読書メモ】文化を動的に捉える文化資本とは何か?:『ブルデュー『ディスタンクシオン』 2020年12月 (NHK100分de名著) 』(岸政彦著)

ブルデューは、文化というものを静的なものではなく動的なものとして捉えているようです。私たち一人ひとりが身につけた文化を資本として捉え、文化資本という概念を創り出しています。

資本という言葉がついているため、ブルデューは、文化資本を獲得されるものであり、蓄積されるものとして捉えていると著者はしています。では、私たち全員が文化資本を平等に増やしていくことができるかというと、そうではない現実があるとブルデューは警鐘を鳴らしています。

文化資本の拡大再生産

文化資本を形成する主な環境として家庭と学校があります。他者との相互交渉からハビトゥスを身につけ、その結果として文化資本が構築されていくと考えればわかりやすいでしょう。

しかし学校は、文化資本の形成の場でありながら、同時に、家庭における文化資本の形成の結果が拡大再生産される場でもあるようです。

学校は優秀な人を効率よくピックアップするための装置ではなく、ただ親から受け継いだ文化資本を、そのまま自動的に親と同じように高い地位に押し上げるための装置だということになります。
p.76

日本社会においても、親の年収が子供の学歴・学校歴に相関を示すという文脈で話題になることが多くなってきました。親の収入が高い家庭で育った人が社会的に良い境遇を得られた場合、自身の努力の結果として捉える傾向があると言われます。しかし、以前にハビトゥスについてnoteで扱った際に触れた通り、努力をするという習慣自体も幼少期の環境によって獲得したものと言えます。そのため、どこまでが「自力」であったかは解釈次第でしょう。

ブルデューの上のような考え方は、救いがない世界のようにも思えますが、必ずしもそうではないようです。こうした現実があることを冷静に捉えた上で、「幻想を持たずに自分を知ることを可能にしてくれる」(p.78)考え方と捉えることはできるはずです。この将来志向の側面について、次回、取り上げることにします。


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