ドラッカーと論語

東洋思想入門 #1 ドラッカーと論語 1/4

「論語読みの論語知らず」という言葉があります。論語を好んで繰り返して読んできた身として常にこの言葉を意識してきました。

しかし尊重しすぎたせいか、人前で論語について語ることを躊躇する気持ちをいつからか持ってしまっていました。その結果、他者と論語を語る機会を持てず、学びを深める機会を阻害しているのかもしれないと思い始めました。

Learning Bar曽根崎で行ってきた『人材開発研究大全』の読書会シリーズを一区切りするタイミングで、次は論語をやりたいなと思いオーナーに相談したところ、ありがたいことに始められることになりました。論語だけに留まらず、東洋思想と呼ばれる領域をシリーズで扱うことになります。

2019年3月29日に行った初回のセッションでは、論語を現代の企業組織の文脈で置き換えて捉え易い安富歩先生の『ドラッカーと論語』を扱いました。何回かに分けてポイントを振り返っていきます。

まず、東洋思想を中心とした古典を学ぶ意義について冒頭で見ていきました。安富先生は著者の中でこのように述べられています。

主体的な読みが大事なのだと理解しました。つまり、客観的に唯一の正しい解釈があると仮定してそれを受動的にインプットするのではなく、自身に引きつけて省みながら読み込むというイメージでしょうか。

但し、その際に自身の意見や主張を都合よくサポートするために古典を引用しようとすることは良くないと著者は警鐘を鳴らします。ビジネス書には我田引水のために古典を引くものも多く辟易とします。他山の石として戒めながら、緊張感を持って古典を読み取ることが肝要です。

安富先生は、論語という古典を学びとるために、ドラッカーの『マネジメント』を参照することに至ったようです。それはなぜでしょうか。

端的にいえば、両者が洞察しようとした対象が似ていたということがあるようです。現代社会は環境変化が激しく、組織における人々のコミュニケーションを円滑にし、組織をマネジメントすることの困難さが増していきながらその重要性も増していることは自明でしょう。

それに対して、孔子が生きた紀元前552~479年という春秋戦国時代もまた、周が弱体化し多くの大組織(国)が勃興していました。人間社会の根幹をコミュニケーションの統御に起き、それによって組織をマネジすることを論語は扱っていると考えると、ドラッカーの『マネジメント』の射程範囲と共通することがわかります。

大著である『マネジメント』のポイントを安富先生は三つに要約しています。

ではドラッカー自身は儒教をどう捉えていたのかというと、深い関心を示していたそうです。

ドラッカーもまた、儒教思想の倫理観の根幹を為す人と人との相互依存関係に着目していたと言います。儒教に対する誤解の一つとして、ルールによって雁字搦めにされる静的な関係性が重視されているというものがあるのではないでしょうか。

しかしこうした誤解は、儒教を国家の統治規範として用いた後世における政権の利用方法が私たちに与えている印象と言えそうです。多様な関係性の中において誠実に振る舞うことを論語は重視し、その関係性は一方通行なものではなく双方向的なものです。

そのための概念装置として学習回路を開くということが主張されますが、長くなるので次回扱います。


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