【読書メモ】経験と純粋経験:『ウィリアム・ジェイムズのことば』(岸本智典編著)
現代の日本において、プラグマティズムや経験といった言葉から連想されるのはジョン・デューイでしょう。私もそうでした。他方でジェイムズもまた経験を語っていて、日本では西田幾多郎が輸入したとされる純粋経験を概念として提示したのもジェイムズです。
推移と項
ジェイムズは経験というものを推移と項に分けて捉えていたようです。推移とは「経験同士の緩やかなつながりと変化」(42頁)であり、項とは「比較的はっきりしていて安定した経験」(42頁)として説明をしています。
経験というものをスタティックな束のようなものとして捉えるのではなく、ダイナミックな変化として捉えるというのはなかなか興味深いものがあります。ここから出てくるのが純粋経験です。
純粋経験
ここからジェイムズは経験Aと経験Bというように峻別することができない経験を純粋経験として提示します。「未分節の混沌とした経験」(47頁)というような表現までくると、老子っぽい気がしてくるのは私だけでしょうか。
ここで著者たちは、大陸合理論としてのデカルト二元論を否定的に捉えて、その先にアメリカのプラグマティズム思想をジェイムズは打ち立てたという流れを説明してくれているようです。
純粋経験といえば西田幾多郎
純粋経験はジェイムズの概念なのですが、私にとっては西田幾多郎で初めて目にした言葉です。それもそのはずで、西田はジェイムズの影響を色濃く受けているのです。『善の研究』の解説本の感想で触れたことがあるので、西田の論調をざっと見たい方は以下をご笑覧ください。
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