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【読書メモ】実在の根底にある神を語る第十章:『実在とは何か 西田幾多郎『善の研究』講義』(大熊玄著)

第十章のテーマはです。神というと構える方も多いかもしれませんが、西田の著作では神は特定の宗教とは関係がなく、むしろ宗教とも関係がない存在です。結論から言えば、実在と関連する存在として述べられているものなので安心してお読みいただける内容です。

実在の根底にある神

西田にとって宗教とは、いわゆる特定の宗教とは異なる存在として捉えていたようです。『善の研究』では、本書籍が対象としている第二編もそうですが、第一編、第三編でも宗教が最後の章で扱われていて、第四編はタイトルそのものが宗教です。

私たちの実在(直接経験の事実)の外に超え出るようなものではなく、むしろまさにこの実在の根底がそのまま「神」だ、としています。実在(直接経験の事実)の根底ですから、そんな「神」には、「主/客」の区別もなく、いわゆる「精神」と「自然」も合一していることになります。

322頁

前章までで詳しく述べられてきた実在の根底には神があるという捉え方を西田はしているようです。

内なる存在としての神

実在の根底としての神という捉え方をする西田は、神の存在証明はできないというスタンスを取ります。そのため、因果論、目的論、道徳論といった西洋哲学による神の存在証明をいずれも退けています。道徳論の箇所では、カントを名指ししてその神に対する考え方を否定しています。

著者によれば、西田は外ではなく内的に向かう存在として神を捉えているようです。その手段として、学問・芸術・宗教といった活動領域で内的にアプローチすることが言及されています。

古代インドの宗教や十五〜十六世紀のヨーロッパでさかんだった神秘主義的な立場では、神を「内心における直覚」に求めていた。これこそが最も深い神の知識なのだ、と西田は言っています。

337頁

ここでの十五〜十六世紀の哲学者として、ヤコブ・ベーメを西田は挙げています。ベーメを取り上げながら、神の無限性について「外へと遠く離れていく無限ではなく、私たち一人ひとりの内側にある無限」(336頁)として西田は捉えているのです。

対立と統一の無限ループとしての神

内に向かって無限に迫っていくことを述べる一方で、実在は精神的なものだけではなく行動的なものでもあるという側面にも西田は改めて言及しています。

たとえ意志によってなんらかの理想が達成できて、理想と現実の統一が果たせても、対立は無限に続くわけですから、私たちは次なる統一を意志し続けます。私たちは、小さく浅い統一だけでは満足できずに、より大きくより深い統一を願うのです。そのようにより大きく深い統一が達せられたとき、より大きくより深い喜び・心地よさが得られることになる、と言います。実在としての神は、ただ知的な考察ですむ話ではない、ということです。

344頁

著者のこのまとめは、前章までの議論を含めた総括的な言い回しのようにも見受けられます。


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