【読書メモ】実在の根底にある神を語る第十章:『実在とは何か 西田幾多郎『善の研究』講義』(大熊玄著)
第十章のテーマは神です。神というと構える方も多いかもしれませんが、西田の著作では神は特定の宗教とは関係がなく、むしろ宗教とも関係がない存在です。結論から言えば、実在と関連する存在として述べられているものなので安心してお読みいただける内容です。
実在の根底にある神
西田にとって宗教とは、いわゆる特定の宗教とは異なる存在として捉えていたようです。『善の研究』では、本書籍が対象としている第二編もそうですが、第一編、第三編でも宗教が最後の章で扱われていて、第四編はタイトルそのものが宗教です。
前章までで詳しく述べられてきた実在の根底には神があるという捉え方を西田はしているようです。
内なる存在としての神
実在の根底としての神という捉え方をする西田は、神の存在証明はできないというスタンスを取ります。そのため、因果論、目的論、道徳論といった西洋哲学による神の存在証明をいずれも退けています。道徳論の箇所では、カントを名指ししてその神に対する考え方を否定しています。
著者によれば、西田は外ではなく内的に向かう存在として神を捉えているようです。その手段として、学問・芸術・宗教といった活動領域で内的にアプローチすることが言及されています。
ここでの十五〜十六世紀の哲学者として、ヤコブ・ベーメを西田は挙げています。ベーメを取り上げながら、神の無限性について「外へと遠く離れていく無限ではなく、私たち一人ひとりの内側にある無限」(336頁)として西田は捉えているのです。
対立と統一の無限ループとしての神
内に向かって無限に迫っていくことを述べる一方で、実在は精神的なものだけではなく行動的なものでもあるという側面にも西田は改めて言及しています。
著者のこのまとめは、前章までの議論を含めた総括的な言い回しのようにも見受けられます。