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【論文レビュー】海外の研究者から見た「三位一体の労働市場改革」の課題と展望とは?:Zou (2024)

先日、石山恒貴先生がご自身がエディターを務めておられる海外ジャーナルの特集号をXで紹介されていました。今回は、そのうちの一つの論文を興味深く読んだので、考えたことを書いてみます。論文情報も下記しますので、ご関心のある方は石山先生のポストにあるリンクから原文を読んでみてください。余談ですが、三位一体の労働市場改革は「The ‘new trinity’ reform of labour markets」と訳されるのですね。語感がちょっとかっこいいです(笑)

Zou, F. (2024). The ‘new trinity’ reform of labour markets in Japan. Asia Pacific Business Review, 1-19.


日本の労働市場改革の現状

著者による日本の労働市場の課題感と解決の方向性に関するまとめは至極真っ当で勉強になります。2023年5月に日本政府が発信した「三位一体改革の労働市場改革の指針」では、「いろんな企業が改革してますよ!成果出てますよ!」と謳っているのですが、著者の評価はやや辛辣です。

The ‘new trinity’ reform documents frequently refer to Hitachi’s example, which is currently at this second step, pointing out that incrementally expanding company participation in these practices may eventually lead to an entire labour market shift towards job-based employment. However, almost all the other company examples mentioned during reform meetings are still at the first stage, and most smaller companies have made no move towards job-based employment because they have no clear guidelines or incentives.

p.585

穿って意訳的にいってしまえば、日立だけうまくいっているが他の企業は仕掛かり中で中小企業は進んでいない、という感じです。過激に意訳しましたし、政府指針の記述にない企業での先進的な取り組みがあることも理解していますが、日本企業の現状は概ね指摘のとおりなのではないでしょうか。

三位一体改革の課題と解決策の方向性

著者は、三位一体改革の課題と解決策について、短期、中期、長期で以下のようにまとめています。必要であればDeepL等で翻訳してください(笑)。

p.589

個人的な所感としては、短期・中期・長期でうまいことまとめておられるなと感じます。政府の指針や補足資料を読むよりも理解が進み、ありがたい限りです。

この表を中心に著者の記述を読んでいると、短期の施策は中期に、中期の施策は長期へと繋がっているように感じます。たとえば、短期の解決策の例にある副業解禁を基に感じた所感を記します。

副業の意義

事業・組織・人に私たちがどの程度貢献できるかに関する市場の評価は、以前は転職の際にしかわかりませんでした。職務経歴書を書き、面接を受け、入社し、次の職場でパフォーマンスを発揮できるかどうか、というプロセスを経るしかなかったわけです。しかし今日では、自社で許可されている場合、副業という選択肢を取ることでもわかります。

副業を経験することで自分自身が自社ではない組織においてどのように・どの程度価値を発揮できるかがわかります。自社での肩書きや学歴・資格なんて関係ないわけです。人によっては、そもそも副業しようとしても案件が見つからないということも残念ながらあるのでしょう。

たとえば、「O社の人材開発部門のマネジャーを務め、立教の中原研究室の博士課程で研究をしている塩川です」と言っても、興味を多少は持ってもらえるかもしれませんが、実際に副業として働けるか、また継続して働き続けられるかは全くわかりません。不安点や疑問点など以下のようにたくさんあるわけですから。

・大企業だと中小企業のことなんてわからないのでは?
・ベンチャーの朝令暮改的なスピード感についていけないでしょ?
・階層が多い企業で働いていて、うちの経営者と直接話せるの?
・マネジャーだとメンバー任せで自身は実務できないんじゃない?
・研修をできても自身の手持ちのものしかできないのでは?
・博士課程で学んでいる人は机上の空論ばっか言うんじゃないの?
・結局、O社や中原先生のブランドに縋っているだけでしょ?

まだまだいくらでも書けそうですが、だんだん凹んできたのでここまでにします(笑)。

越境経験がリスキリングを生む

副業をはじめとした越境を経験すると、従来の方法や既存の知識・スキルで対応できない経験がこれでもかと出てくるものです。少なくとも私の場合はそうでした。その結果、クライエントと自分自身のために必要な知識・スキルを獲得したり自身の強みをさらに強化することになります。

リスキリングという言葉は企業目線で使われるきらいがありますが、本来的には企業から言われて受身的に個人が行うものに限定されるはずがありません。越境経験は、自分起点でリスキリングするためのきっかけになるとも考えられるのです。

「自社」での業務にも還元できる

副業をはじめとした越境経験を通じたバリューアップは、自分自身と副業先にとって役に立つものではありません。バリューアップの効果は「自社」(※)にも還元できます。石山恒貴さんと伊達洋駆さんの共著である『越境学習入門』でも以下のような解説がなされています。
※「自社」としたのは越境するとどこが「自社」かわからなくなるためです

 いい形で越境学習ができている場合は、葛藤を抱えながらも客観的に自分を見直して「越境先で身につけた力は、今の職場でも活かしていけるはずだ」と、自分に対する自信につなげたり、「自分がやっている仕事は、実は社会的にも意義ある仕事だったんだな」などと、自分の仕事の位置づけを見直したりすることができるようになります。

石山恒貴・伊達洋駆『越境学習入門』p.138

越境先での葛藤経験が今の職場での業務遂行やマインドセットにも活きるというご指摘はそのとおりだと感じます。さらに言えば、仕事の意味や意義を見出すことは、自身のキャリアは自身で開発するという長期的なキャリア開発へと繋がるのではないでしょうか。

経験獲得競争社会

こうして考えると、Zou論文で指摘されていた短期の解決策である副業解禁は中期および長期の解決策とも繋がっていると考えられそうです。基本的には良いことなのでしょうが、他方で怖いのはこうした経験を取りに行くことができる人と、できない(あるいはやろうとしない)人とでの差が出てしまうということでしょう。大企業でも「副業をしたくない」「自分はできないのではないか」「でも自分に自信がない」という方はよく見かけます。

十数年前の中原先生のブログになりますが、経験獲得競争社会という言葉を中原先生は使われていました。中原先生のブログの中でも特に印象的な記事の一つです。

中原先生が経験獲得競争にさらされている対象として主に描いておられるのは学生ですが、私が読んだ時に感じたのは社会人も同様ではないか、ということでした。もっと言えば、社会人の方が過ごした年月は長いので、経験獲得競争を経た影響も大きいのではないかという危惧です。端的に言えば、若い時分に越境経験による葛藤を経験した人はさらなる良質な経験を招きやすいのに対して、そうでない人はいざ越境しようとしてもできない、あるいはしようという意識すら持てず一歩をずっと踏み出せない、という状況になるのではないでしょうか。

余談

最後に余談を。最近、中原先生のブログで最も読み返すものは、「わたしには「腰」など「存在」しない」の記事です。中原先生からもゼミで私がぎっくり痛の話をするたびにリンクを貼られ読み返す日々です(汗)。本論文とは全く関係ありませんが、ご関心のある方はどうぞ。


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