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【読書メモ】『現象学ことはじめ 日常に目覚めること[新装改訂版]』(山口一郎著)

現象学の泰斗である山口一郎氏による本書は、第一人者ならではの語り口でフッサールを中心とした現象学を噛み砕いて説明してくれる入門書です。ただ、入門書でありながらも決して理解しやすい書籍ではないのでお気をつけください(少なくとも私は理解しきれませんでした)。なお、山口氏は野中郁次郎氏との共著『直観の経営』でも有名な方なのでそちらでご存じな方も多いでしょう。

現象学とは何か

優れた入門書は序文が奮っています。難しい理論や概念について説明をする場合、導入で「あ、わかるかも!」とか「これなら興味を持てそう!」と思ってもらわないと書籍を読み進めてもらえません。本書の「はじめに」もすばらしい導入となっています。

現象学は、自分と他の人の常識との「ずれ」を感じるとき、その「ずれ」について考え、どうして、その「ずれ」が生じるのか、自分と他の人の「常識の成り立ち」を本当に納得できるまで考え尽くそうとします。

はじめに p.ii

私たちは常識というものを所与のものとして受け容れる傾向があり、かつそれを無自覚に行ってしまいがちです。現象学は、常識として私たちが受け容れているものを他者とのずれから理解するためのアプローチとして著者は捉えているようです。

現象学の方法というのは、各自、自分がほのかに感ずる気づきや、いろいろ推測したり、判断したりすること、つまり、自分のすべての心の働きの「ありのまま」に直面する方法のことです。

はじめに p.ii

ずれに自覚的になることは、フッサール流に言えば常識とは何かを括弧に入れることが可能にします。こうしたアプローチとは、自分に関して言えば自分の「ありのまま」に直面することを意味すると著者は述べているのですね。

自分と他人の意識

著者は、このような現象学の考え方を日常の場面に則して極力具体的にわかりやすく解説してくれようとしています。たとえば第八章では自分の意識と他人の意識について説明を試みています。

まず、フッサールは、他者の意識というものが客観的に存在するという経験路的立場での考え方を取っていません。経験論的立場では「外に現われる、あるいは他の人の身体の内に働く心の活動のありのままを、どうやって観察できるのか、という自然科学的な問い方」(177頁)をすることで他者の意識を捉えようとしていると考えているのです。

そうではなくフッサール現象学では、超越論的現象学の立場で捉えようとしています。

 現象学的問題設定が行なわれて、自己意識の明証性に立ち戻り、他者の意識がどう自分の意識に構成されているかを問うとき、他人がいるのが当たり前の常識の生活に、一旦距離をとることになります。距離をとって、こういった世界は、いったいどうやって自分の意識にとっての当たり前な世界として、疑ったこともないほど自明に成り立っているのかが、問われることになるのです。

177頁

こうして捉えられる他人を超越論的他我、自分自身を超越論的自我と呼びます。このように、日常のわかりやすいところから深掘りして行った先には「ちょっと何言ってるかわからない」領域がすぐに訪れますので、仔細な説明はここまでにします。もっと読み込みたい方はぜひ本書に挑んでみてください!

「らーめんフッサール」のススメ!?

基本的に、私のような普通の人間にとって現象学を理解することは困難です。そのため、おそらく大家からは怒られるかもしれない意訳が含まれるものでも入門書を読んでおくのは現実的にはおすすめです。私が知る限り最もぶっ飛んでいるフッサール現象学の入門書はこちらです。

何度かこれまでのnoteで紹介していますが、入門の入門という位置付けでは個人的には好きです。その上で本書のような書籍で入門し、フッサールの書籍に挑むというのもありかもしれません。


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