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「ちょうどいい」生き方ってどんなだろう

こんにちは、産婦人科医の高尾美穂です。

先日、いただいたレターの中で私の心になんとなく引っかかった言葉を拾っていると、先生にとってちょうどいいとはどういう生き方でしょうかという文章がありました。

今回はこちらについて考えてみたいと思います。

「ちょうどいい」とはどういうことか?

この「ちょうどいい」という表現。

日常生活の中で、何かしらぴったりマッチする状態というのは、なかなかないのかなと感じます。

“ある程度の幅があり、その幅を許容範囲として、自分なりにこのぐらいであればOK”というような、そういった生き方をしている方が多いというよりは私自身がそうなのかなと思ったりするわけです。

しかし、この「ちょうどいい」が、サイズ感のあるものだと分かりやすいのではないかと思います。

例えば、靴です。
一般的に売られている靴だと0.5cm刻み、つまり5mm単位でサイズの準備があり、長さ・幅・甲の高さなどに合わせてちょうどいい靴を選ぶというのが一般的ですよね。

ただ長さは、0.5cm刻みで準備があっても、足幅は日本人の場合は割と幅広の方が多いですが、例えばかかとだけ細い人は、これが靴擦れの原因になってしまいます。

ぴったりフィットする、つまりちょうどいいとは言えないサイズともなるわけです。

そう考えると、足のサイズにきちんと合った靴を履くということは、私たちが普段やっていそうですが、実際のところ合わせられているのは足の長さの部分だけであって足幅・甲の高さなどというところまでちょうどいい状態で履いているわけではない方の方が多いのではないかと思ったりもします。

これが“許容範囲の幅”という意味になるわけです。

つまり、自分にとって縦の長さがマッチしているから若干足幅がマッチしていなくても、甲の高さの部分がちょっと余りがあるなと感じても、靴下で調整すればいいかと考える。

サイズがあるものですら自分の許容範囲ってこんな感じなのではないかなと思います。
これがお洋服ともなれば、もっとアバウトだったりしませんか?

例えば、だいたいMサイズというような感じ。
私だったらラルフローレンなら、だいたい9号というような感じ。

しかし、この9号、ラルフローレンの少しアッパーなラインのウエアというのは、例えばモデルさんが着てロードを歩く準備がされていますから、私が履く際はパンツの丈を30cmほど切っています。

私より30cmも股下が長い人が履くことを想定し準備がされているような、オートクチュールに近いようなものだからしょうがないという考え方ですが、この切ったパンツの丈の部分で布のマスクができできてしまう。

それくらいのイメージなわけです。

このように服のサイズであったとしても、ご自身の体にぴったりのものをオーダーメードで作ってもらっていない限り、一般的にはだいたい合ってるけれどもぴったりフィットではない可能性が高くなってきます。

ちょうどいいわけじゃないけれども、そこまで問題があるわけでもない。
だから、既製品のだいたいのサイズ、Mサイズ、9号サイズ、くらいの分け方のものを私たちは着ているということになる。

こういったもの以外で、「ちょうどいい」かどうかというのは、例えば、食べる量です。

お腹いっぱいになってしまうと、食べ過ぎたと感じて、その後の数時間はしんどさを感じたり、思うように予定を終わらせることが難しかったりなどといったことが挙げられると思います。

トレーニングをしに行こうと思ってたのにお腹いっぱいで動けないというようなことだって起こり得るわけです。

食べている途中で教えてくれるような機能は私達にはほとんどないため、お腹いっぱいになってきたと知るには、ゆっくり食べる必要があります。

つまり、少しずつお腹の中に溜まってきているからもう食べなくていいんじゃないというようなサインが届くだけのことであって、まあまあのスピード感で食べてしまうと、後になってからでないとお腹いっぱいということを自分で感じることができません。

ですので、このあたりも、なかなかちょうどいい状態を探すのは難しいということになるのではないかと思ったりします。

「ちょうどいい」時間の使い方とは?

あとは、時間の使い方です。

ちょうどいい時間の使い方というのは、24時間の中で活動的な時間をどのように時間配分するかにつながってきます。

自分が思うような時間に朝起きて、もう寝た方がいいかなと思うような時間に寝るということに関しても、ある程度ファジーで、幅があるからこそ、いい時間の使い方だったなと思えるのではないかと思います。

ですから、このちょうどいいというものに関しては幅があると考えると、結構自分の中でいろんな部分が楽に考えられるのではないかと思っているというのが一つ。

色々と試してみることが必要

それからもう一つは、自分にとってちょうどいいと感じられるためには色々試してみることが必要なのではないかと思っています。

お腹がいっぱいになるということで言い換えると、このくらい食べるとお腹いっぱいになるということを知っていればそこまで食べ過ぎないようにしようという対策ができるわけです。

しかし、それを知るためには食べ過ぎちゃった、お腹の下の方が痛くなってしまうという経験をするから、私たちはそうならないように、この辺でちょうどいいかなというような考えが及ぶということ。

つまり試してみない限り、ちょうどよさは自分にはなかなか伝わってこないということです。

お風呂の温度もそうだと思います。

夏には熱い湯船に浸かるという方はそんなに多くないかもしれませんが、何度ぐらいが、自分の肌にとってそこまで熱いと感じず、ぬるいと感じないのか、これも試してみないと分からないということです。

温度設定ができるお風呂であれば、39度で設定するか40度で設定するかこれは外気温によってもきっと違うと思います。

自分にとってこれぐらいだったら、好きなように長い時間お湯に浸かっていられるというような温度というのはありませんか?

色々試してみて初めて自分なりに把握ができるものなので、ちょうどいいというような感覚は色々試してみて初めて分かること、というような捉え方をすると色々挑戦してみるのもアリということになるわけです。

もし挑戦してみて、自分なりにちょうどいいと感じられなかった場合、これは失敗と思う必要はなく、次なる成功のためのチャレンジだったというような捉え方をすれば良いと思います

自分なりにちょうどいい感じを知るためのトライアル。

トライしない限り私たちは自分にとってはこれがちょうどいいという感覚はなかなか感じにくいものなのではないかということを知っていただけたらと思います。

エアコンの設定温度なども、本当に今の時期だといろいろ出てきますよね。

この湿度が高い時期が若干不快というような、台風シーズンになりますので、気圧の変動で、身体や頭が痛い、しんどいとかという方も結構いらっしゃるとと思います。

いずれにしても、自分の環境が心地よいと思えるような状態。

自分の体がちょうどいいなと思えるような状態を、自分で把握するためにはいろいろトライをしてみて、トライアンドエラーの中でこれくらいの範囲であれば心地よいなと思えるような部分というのが、ちょうどいいという感覚なのかなと思っている次第です。

まとめ


ちょうどいい生き方って、本当にバランスだと思います。

例えば自分にとって、自分が注力したいからこれは頑張りたいという部分に時間を費やす労力はアリだと思います。

私だったら、本を読むとか、本にお気に入りのカバーをかけるとか、あとはその本にまつわる本を探すなどの、こういったことに関しては大好きなことなので時間を使っていいと思っているわけです。

これが24時間の時間の使い方の中で、ある程度他の部分と調整をしながら、ここにはしっかり時間かけよう、自分の好きなことに対してはしっかり、どっぷりはまるみたいなことでもちょうどいい。

私だったら本に向き合う時間が少ないと、それはちょうどいいと感じられません。

しかし、その時間が社会の一般的な人よりはるかに長い時間を費やしていたとしても、それが自分にとっては満足いかない時間であれば、もっと長く本と向き合いたいと感じる。

そういった、人それぞれ自分にとってのちょうどいいは違うからこそ、自分なりに試してみて、それでその中でちょうどいいなと感じられるような状況を自分なりに把握していく。

こんな生き方が私たちにとって快適と感じられそれが幸せにつながるのかもしれないなんて思っております。

皆さんも、自分なりの「ちょうどいい」を探すきっかけにしていただると嬉しいです。




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産婦人科医 高尾 美穂
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