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ダウントン・アビー/新たなる時代へ

シリーズの関係者やファンからすれば無礼な発言かも知れないが、本シリーズできちんと見たことあるのは劇場版の前作だけだ。
テレビシリーズは夜勤中に職場のテレビに映っていたのをチラッとながら見したくらいだ。

だから、本作について語る資格がないと言われれば、“そうかも知れないですね”としか返答できない。
というか、いくらサービスデーで割引料金で見られるとはいえ、わざわざ、身銭を切って映画館にまで行く必要もないのではと思われても仕方のないことだ。
それに、失礼な言い方ではあるが、本作のかわりに見てもいいと思っている作品だってたくさんある。

なのに、それらの作品を鑑賞候補から外してまでして本作を見ることにした最大の理由は、映画制作について描かれているからだ。

そして、本編を見て驚いた。「雨に唄えば」や「アーティスト」といった名作と同じテーマを描いていたからだ。映画がサイレントからトーキーに移行していった時代に、ルックスは良いけれど声が悪いとか演技が下手などの理由で失職の危機に陥った役者の姿が描かれていた。

それと同時に、お屋敷のメンバーが脚本執筆に必要な文才など映画界で活躍できる才能を発掘され、新たな道へと進むことを決意するというのも映画ファンとしては胸熱な展開だった。

また、はっきりと明示されてはいないものの、おそらくは移民で同性愛者であるハリウッドの人気男優が、同じく同性愛者であると思われる執事の本質を見抜き、自分のパーソナル・スタッフにスカウトするという展開も昨今のポリコレ描写が義務付けられている欧米エンタメ界の流れに沿っているので評価されやすいのではないかと思った。

また、トーキー移行についていけず苦戦する人気女優が元は下流階級出身というのも同様のポリコレ的描写に思えた。

ただ、世界初のトーキー映画とされる「ジャズ・シンガー」について、“あれは本当のトーキー映画ではない”みたいに言う場面があったが、それは黒人のやることは批判してはいけないという風潮が蔓延している今の欧米エンタメ界では批判される要素にも思えた。

そして、本作は映画撮影の話だけではなく、南仏の別荘の相続問題も並行して描かれていた。その別荘の所有者だった侯爵は大奥様と過去に恋愛関係にあったのではないか、つまり、彼女の息子である当主の実の父親はこの別荘の所有者だった侯爵なのではないかという疑惑が持たれるという展開だ。

映画撮影のエピソードがシリーズに馴染みがない人にもとっつきやすいものであるならば、こちらはシリーズのファン向けのものといったところだろうか。

また、大奥様が死を迎える場面も感動的だった。
果たして、今後、このシリーズが続くのかどうかは分からないが、とりあえずの完結編としては文句のつけようのない終わり方だった。
「ちむどんどん」のスタッフはどうやって、ラストを描くべきかを本作から学び、今後の作品に活かしてほしいと思う。

そして、ハリウッドに新天地を求めて屋敷を去っていく人がいたり、大奥様が亡くなったりしたことにより、屋敷内の人員配置も変わることになるが、その際に引き継ぎをして後進を育てるみたいなやり取りがあったのが興味深かった。

やっぱり、英国のようにロイヤルファミリーが存在する国は、日本同様、引き継ぎという概念があるんだなというのを実感した。米国人には分からない概念だろうな…。

《追記》
それにしても最近、ヒューマントラストシネマ渋谷で映画を見る機会が多いな…。超拡大公開でない作品を自分のスケジュールに合った劇場で見ようとすると、ここになることが多いんだよね…。結局、シネコンって売れそうにない作品だと、夜のみとか、誰が行けるんだよみたいな午前8時台とかの上映が多いから、午前9時半あたりから夕方までのアクティブな時間帯で見るには、ここで見るしかないってなってしまうんだろうね。


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