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サイレントラブ

浜辺美波は東宝シンデレラオーディション出身だが、最近は東宝以外の配給会社の映画出演が目立っている。

去年は3作品が公開された。

「金の国 水の国」(ワーナー)
「シン・仮面ライダー」(東映)
「ゴジラ-1.0」(東宝)

このうち、東宝作品はご覧のように「ゴジラ」のみだ。

本作「サイレントラブ」もギャガ配給で東宝配給でない作品となっている。

もっとも、これまでのキャリアを振り返ると東宝作品が圧倒的に多いので、ここ最近になって、やっと東宝のプロモーション期間が終わり他社作品に出るようになったという感じだろうか。

べーやんと同じ2011年の東宝シンデレラ出身で、同年グランプリの上白石萌歌や、同じく同期の上白石萌音(萌歌の姉)、これまた同期の山崎紘菜はブレイク前から東宝以外の作品が多かったので、べーやんに関しては逆に東宝が他社に“貸し出し”したくなかったのではないかという気もする。

東宝としては、長澤まさみのようなポテンシャルを感じていたのかも知れない。ただ、まちゃみは最近は他社作品が増えたとはいえ、いまだに東宝比率が高いので、べーやんに関しては東宝の親離れはちょっと早い気もする。
まちゃみの他社作品は賞レースに絡むような作品やシネフィル受けの良い作品が多いことを考えると、東宝サイドとしてはべーやんはアイドル女優としてはブレイクしたから、今度は演技ができる女優としてもブレイクさせないといけないと判断し、他流試合に出させているといった感じだろうか。




でも、この作品でその試みに成功したとは到底思えなかった。

盲目のヒロイン、しかもピアニストという役だけれど、杖を使ってゆっくり歩いているから盲人っぽく見えているだけという感じにしか思えなかった。

また、ピアノの演奏シーンも引きの画か手元の寄りばかりで、手元からパンナップして顔へ行くというカットはないから、おそらくきちんと演奏はしていないのだろう。

なので、これで女優としてステップアップしたと言うのは無理があると思う。

というか、ツッコミどころだらけの映画だった。

横浜音楽大学という芸術系の大学が舞台となっているが、この大学が自分のところの学生を生徒と呼んでいて笑ってしまった。大学生は生徒ではない学生だ。本作の脚本を書いた人間はピアノ教室と音楽大学の区別がついていないのでは?

それから、清掃員という底辺仕事をしている主人公(山田涼介)やその仕事仲間のおっさん(古田新太)が音楽大学の校内で起きた盗撮事件の犯人扱いされて職を失うことになるが、実はその盗撮を仕込んでいたのは教職側の人間で、しかも、女性だったというフェミ嫌いが“マ⚫︎コ二毛作”とか言って喜びそうな要素を入れる必要はあったのか?

あと、いくら音楽担当が久石譲だからってジブリ作品のテーマ曲っぽい楽曲はギャグでしかないと思う。

ところで、古田新太が主人公にスマホを操作させて唐突に小泉今日子の“The Stardust Memory”を聞き出したのは何?
もしかすると、本作における三角関係の一角を担う青年が暴漢に襲われピアノを弾けなくなったことと、同曲が主題歌となった「生徒諸君!」で主人公の憧れの人が事故で絵を描けなくなったことをかけているのか?

そして、本筋は少なくとも映画好きを名乗る人なら見たことあるかないかはさておき、誰もが名作中の名作であることを知っている「街の灯」をパ⚫︎った…。失礼、元ネタにした作品だと思うのではないだろうか。

現在は目が見えないが治療がうまくいけば見えるようになるというヒロインの盲目設定(本作では何故か、目が見える前から元々、視野が狭かったという設定も追加されているが)

目の見えないヒロインが勘違いしたキャラになろうとする主人公(「街の灯」では富豪に勘違いされたが、本作ではピアノを学んでいる音楽大学の学生と思われてしまった)

貧しい主人公(「街の灯」の主人公はいわゆる放浪紳士だった。同作ではヒロインも貧しかったが本作では何故か音楽大学に通うお嬢様に変えられている)

無実の罪で投獄される主人公(「街の灯」では酔いが覚めると酒を飲んでいる時の記憶をなくす富豪のせいで、富豪からもらった金が盗んだものにされてしまったが、本作は目の見えないヒロインの過失による暴行の罪を被った)

出所後、主人公が目の見えるようになったヒロインと再会(「街の灯」では主人公が放浪紳士であることを知ったヒロインが冷たい目で見るような残酷な描写があり、それが映画史に残る名ラストシーンとなったが、本作ではキスしてハッピーエンディングという安直なものに変更されている)

ボクシング(「街の灯」のボクシングの場面は映画史に残る大爆笑シーンだが、本作では取って付けたように主人公にボクシング経験者という設定が付け加えられている。これは、「街の灯」を翻案した韓国映画「ただ君だけ」や同作をリメイクした日本映画「きみの瞳が問いかけている」の主人公がボクサーだった設定を拝借したのかな)

これだけ、設定を拝借しておきながら、肝心なところは改変してばかりなので、当然、どの登場人物も共感を抱けないキャラになってしまっている。

主人公は喉を切られて話せなくなったのに喫煙しているのも意味不明だし、明らかに深い傷が残っているのに、話したがらない人扱いしている登場人物が多いのも意味不明だ。

ヒロインは完全に性悪になってしまっている。「街の灯」のヒロインは目が見えない時は優しい性格だったのにね。

そして、三角関係の一角を担う青年は金持ちなのに、違法ギャンブルにはまり、その借金がたまりにたまり、裏社会の連中に追われて、主人公のゴーストピアニストになり小銭を稼ぐ生活になるというのもめちゃくちゃな設定だ。金持ちと言っても学生なんだから金や権力を持っているのは親だ。親の金や権力はどうしたんだ?

そんなわけでこんなクソ映画を見て、涙を流している観客のセンスが理解できなかった。

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