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ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス

最近、アメコミ原作映画の長尺化が進んでいる。というか、アメコミ原作ものに限らず、ハリウッド大作映画の長尺化が進んでいる。

配信で映画を見る人が増えたために、ゴージャス感、リッチ感を出すために、尺が伸びていると指摘する人もいる。
1950〜60年代、テレビに顧客を奪われないため、ハリウッドで長尺の超大作が相次いで作られたのはそうした考えに近いと思う。

この時期にアカデミー作品賞を受賞した作品で見てみると、

「80日間世界一周」(1956年)2時間47分
「戦場にかける橋」(1957年)2時間42分
「ベン・ハー」(1959年)3時間32分
「ウエスト・サイド物語」(1961年)2時間32分
「アラビアのロレンス」(1962年)3時間27分
「マイ・フェア・レディ」(1964年)2時間53分
「サウンド・オブ・ミュージック」(1965年)2時間54分

と実に長尺作品がずらりと並んでいる。

最近の長尺映画と異なり、当時は上映時間の長い作品は本編を分割して間にインターミッション(休憩)を挟むものが多かったが、それは、観客の集中力を考えると同時に、休憩時間を増やせば売店収入も増えるという考えもあったのではないかと思う。

しかし、1950〜60年代と違い、現在の映画館というのはシネコンが主流となっている。
昔の単体の映画館であれば、上映作品は基本1スクリーンにつき1番組だが、シネコンでは複数のスクリーンで複数の番組を上映するし、同じスクリーンで複数の番組が上映されるのも当たり前だ。
だから、1日にそのシネコンで上映されるトータルの回数を増やした方が売店収入が増えるという判断になる。なので、長尺作品にインターミッションが入ることはまずなくなってしまった。

そうした上映環境の変化を考えると、長尺映画が増えたのは、配信映画との差別化ではなく、配信で見ることを前提として作っているからだという見方の方が個人的にはしっくりと来る。

それは、一気に鑑賞するのではなく、今日は最初の1時間くらいまで見たから、明日はその続きを見よう。明日、最後まで見られなかったから、その残りは明後日に見ようといった具合に、分割して鑑賞する人が増えたことを意味する。

2019年度のアカデミー作品賞にノミネートされたNetflix映画「アイリッシュマン」が3時間29分もあったのは、明らかに映画館で見ることではなく配信で分割して見る人を意識したものだと思われる。

アメコミ映画を中心とするハリウッド娯楽系大作映画の長尺化もこの流れなのではないだろうか。

ディズニー配給のマーベル作品は劇場公開から45日後にDisney+で配信されるし(去年の「ブラック・ウィドウ」は同時配信された)、ワーナー配給のDCコミックス作品は2020年末から2021年末まではHBO Maxで同時配信されていた(日本は違ったが)。

そうしたことを考えると、アメコミ映画の劇場上映というのは、日本でいえば、OVA(ビデオオリジナルのアニメ)作品の劇場先行上映、いわゆるイベント上映のような存在になっているのではないだろうか。
だから、上映時間が短かろうと、長かろうと関係ないんだよね。

ここ最近のアメコミ映画の上映時間を見てみよう(日付は日本公開日)。

マーベル・シネマティック・ユニバース
「ブラック・ウィドウ」(2021年7月)2時間13分
「シャン・チー/テン・リングスの伝説 」(2021年9月)2時間12分
「エターナルズ 」(2021年11月)2時間36分
「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」(2022年1月)2時間29分

ソニーズ・スパイダーマン・ユニバース
「ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ」(2021年12月)1時間38分
「モービウス」(2022年4月)1時間44分

DCエクステンデッド・ユニバース
「ワンダーウーマン 1984」(2020年12月)2時間31分
「ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結」(2021年8月)2時間12分

DCエクステンデッド・ユニバースに含まれないDCコミックス原作映画
「THE BATMAN-ザ・バットマン-」(2022年3月)2時間56分

ソニーズ・スパイダーマン・ユニバースの2本以外は全て2時間超えとなっている。中には「THE BATMAN」のように3時間近い作品だってある。

本来ならアメコミ原作映画って、気楽に見られる娯楽大作だったはずなのに、上映時間2時間半以上の作品も次から次へと出てくるとなると、睡眠時間の短い日本人は見るのをためらってしまうよね。睡魔に襲われそうな時に暗闇で長時間にわたってスクリーンを見つめ続けるなんて拷問だしね。

世界的にはアメコミ映画をはじめとする長尺映画が大ヒットとなっているのに、日本ではそこまで大きなヒットとなっていないというのは(「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」だって、海外の成績と比べたら物足りないしね)、映画をゆっくり見るだけの精神的・時間的・金銭的余裕がないってことなんだろうね。

勝手に本編映像などを使って違法にアップロードされたネタバレ動画、いわゆるファスト映画を見たり、配信での倍速視聴などをして、なんとなくストーリーを把握したりして、作品を見た気になっている人が多いというのは、余裕がない証だと思うしね。

それにしても、GW中とはいえ、満席の映画館で作品を見たのは久しぶりだったな。劇場版「名探偵コナン」最新作でも自分が足を運んだシネコンでは公開初日なのに満席にはなっていなかったからね。
まぁ、「コナン」の初日は学校も仕事も休みでない普通の金曜日だったし、上映回数も多かったから分散していたというのはあるけれどね。

本作は最近のアメコミ映画としては2時間6分とそこまで長尺でない上に、コロナ禍になってから公開された洋画では現時点で最大のヒット作「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」とストーリーが続いている作品ということもあって、出かけたくて仕方ない若者を中心に動員が良かったのだとは思うが。

それにしても、こっちが予約していた席に勝手に座っていた20代くらいの男はなんだったんだ!
誰も来ないと決めつけ、勝手に座っていたのか?彼女みたいなのと一緒に来ていたのだから、その彼女は自分の彼氏が勝手に他人の席に座っていることくらい分かっていたはずだよね。それを注意できないってことは、この男は男尊女卑的な思考の持ち主で女性に意見を述べさせたがらないタイプの奴なのかな?

というか、コロナ禍なんだから、勝手に他人の席に座って、ウイルスをばらまくんじゃねぇよ!まぁ、若者はコロナは風邪論者だらけだから、何とも思っていないんだろうね。

それから、映画館で中国語とか韓国語を耳にしたのって久しぶりだ。本作のような日本先行とか世界同時で公開されるハリウッド大作であれば、在日外国人も映画館にやって来るってことなのかな。
「ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ」も「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」も日本公開は遅かったからね。

それにしても、最近のアメコミ映画ってマルチバースものが多いな…。

本作はタイトルに“マルチバース”が入っているから当然、マルチバースを題材にした作品だし、本作とストーリー上、大きなつながりを持っている「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」も当然そう。来年、続編が公開予定の「スパイダーマン」のアニメーション映画版「スパイダーバース」シリーズだって、タイトルを見れば分かるようにマルチバースものだ。

しかも、マルチバースものはマーベル映画だけでなく、DC映画でも企画が進行しているから、一種のトレンドと言ってもいい状態となっている。

まぁ、アメコミ映画というのは、リブートを繰り返すことでコンテンツを延命させる文化だからね。

実写版「スパイダーマン」だけでも、この20年で3シリーズが作られているし、「バットマン」も今年公開の「THE BATMAN」がシリーズ化すれば3シリーズ目となる。そして、両シリーズとも、リブートされるたびに設定が変わっている。

そもそも、アメコミというのは、日本の漫画とは異なり、あるタイトルの作品を複数の漫画家が描き継いでいくという形式で出版されているので、そもそも、アメコミという文化自体がリブートを繰り返しているんだけれどね。

だから、作画担当者が変わるたびに新たなバース(次元)になってしまうのは当然といえば当然だと思う。

それにしても、このマルチバースという概念、大人になればなるほど、カタギでない人間であればあるほど、共感できるのではないかと思う。

特に本作はその辺りの描写がストーリーのキモとなっていたと思う。

本作では、ヒーローでなければ、ヴィランでなければ、特殊な能力を持っていなければ、もしかしたら、好きな人と結婚できたかもしれない、家族と小さな幸せの日々を過ごせたかも知れないという描写が何度も出てきた。
それって、多分、本作のスタッフ・キャストに限らず、クリエイティブ職に就いている者なら誰しも一度は考えたことがある、“What if”の世界を反映しているんだと思う。

自分もクリエイティブ職のはしくれだが、もし、この仕事をしていなかったら、結婚して子どもができて、日曜日に公園で子どもと遊ぶような小さな幸せを満喫できていたのではないかって夢想することあるしね。

本作で、夢だと思っていたものが、実は違う次元に生きている自分の行動だったことが分かるという場面があるけれど、夢って、自分がもし、あの時こうしていたら、あの時ああしていなかったらという世界を描いたものなのかもしれないなと思った。

つまり、本作のマルチバースの描き方って、「ラ・ラ・ランド」の終盤と同じなんだよね。

カタギの世界の人には、あの終わり方に納得していない人が多いようだけれど、クリエイティブ職の人間なら、あの終盤の“What if”の世界の描写はめちゃくちゃ共感できるからね。

なので、本作はマスコミ受けがいいのではないかと思う。

とりあえず、あの人が出てくるとか、その扱いはそれでいいのかとか、色々言いたいことはあるが、なるべく、そういう情報はシャットアウトして見た方がいいと思うので、これ以上は内容に深く触れるのはやめておこう。

まぁ、十分、ネタバレしてしまったけれどね。

それにしても、本作に限ったことではないが、マーベル映画って、金をかけたテレビドラマやテレビアニメの劇場版って感じに最近はなっているなというのを改めて実感した。

とりあえず、サム・ライミ監督作品ということもあって、ホラー、オカルト的描写はあるということと、アメリカ・チャベスというヒスパニック系少女が見ているうちに可愛く見えてくるということだけ、最後に言っておきたいと思う。あと、音符攻撃も…。

《追記》
ところで、アメコミ映画を見に来ているのに、しかも、冒頭でエンド・クレジットの後にもオマケのシーンがあるという告知までわざわざしているのに、クレジットが流れ出した瞬間、席を立ち退席する人たちってなんなんだろうか?アメコミ映画をわざわざ映画館まで見に来る意味ないのでは?

※文章中の上映時間はKINENOTE参照

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