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脚色問題を考える【追記】

今回の某テレビドラマを巡り発生した脚色問題って、ジャンルを問わず昔から日本のテレビマンの間に「手を加えないと仕事したことにならない」と考えているアホが多いせいなんだよねと思う。

海外のメディアが報道したり、公式が配信している政治家や俳優などの面白いインタビュー素材があれば、そのまま流せばいいのに、追加でロケ・取材しないと手抜きしたと言われてしまう風潮が日本のテレビ制作現場にはある。

同じ局の別の番組が取材した素材でその番組では放送しなかった面白いコメントがあればそれを使えばいいのにそうしない。自分でロケ・取材しないと手抜きと思われてしまうからだ。

記者会見の場で別の媒体の記者やディレクターがつい先程質問したばかりの内容とほとんど変わらない質問をするのも同じ理由。たとえ同じ局でも他番組の記者やディレクターの質問を使うのは手抜きと思われるからだ。

グラミー賞やアカデミー賞の授賞式をWOWOWで中継する際に現地のCMタイムの穴埋めパートに、授賞式とは全く関係ないジャニーズのタレントが出てきてどうでもいいことを話すのも同じようなものだ。その日の受賞結果を振り返るだけではオリジナルの仕事をしていないと言われてしまう。だから、オリジナルの授賞式にない要素であるジャニタレや日本の俳優のコメントを入れてしまうというわけだ。本当、音楽や映画に対するリスペクトを感じないよね。

そんな考えが蔓延しているから、ドラマを作る際に原作通り映像化すると手抜きだとか仕事していないと思われてしまう。ドラマの脚本家・プロデューサー・監督が原作を改変してしまうのはこうした思想のせいだ。

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