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映画ドラえもん のび太の地球交響楽(シンフォニー)

もし、この世界から〇〇がなくなってしまったらという設定で作られたストーリーというのは大抵、ツッコミどころ満載になる。

たとえば、“言葉がなくなってしまった世界”における言葉は何かということだ。日本語とか英語などの言語がなくなったとしても、人間には口や鼻があるのだから他の動物のように鳴き声や唸り声は発するはずだ。それは言葉ではないのかと誰もが疑問を抱くはずだ。音声を発してコミュニケートしているわけだしね。文明的な言語は必ずしも言葉とイコールではないと思う。

自分は学生時代、何かの公募に出すために“英語がなくなった世界”を描いたファンタジー小説を書いたことがある。確か教育関係の企業が主催していたので安直にこういう設定を思い付いたのだろう。
この草稿を読んだ同級生は“無理がある”と厳しい感想を寄せた。この同級生は自作に関しては自画自賛するくせに、他人の作品に対しては酷評する傾向が強かったので、その評価を聞いた時は腹が立ったが、改めて振り返ると、同級生のジャイニズムを差し引いても確かに強引な展開だったことは認めざるを得ないと思う。

当時、環境保護や人種差別撤廃などリベラル寄りの思想にというか、欧米的な思想にかぶれていた影響もあり、世界中の人間が同じ言葉を使えば争いはなくなるだろう、差別はなくなるだろうなどという甘い考えを持っていたのだと思う。

でも、特定の言語をなくすということは、特定の文化や民族を排除することにもつながる。理想とは真逆の世界なんだよね。
それに、英語がなくなったとしても、普段、日本語話者が使っている言葉には外来語や外来語由来のもの、和製英語も多くある。それは、中国語話者だろうとドイツ語話者だろうと同じようなものだと思う。

同級生から批判された時はジャイニズムあふれる言い方だからカチンと来たが、冷静に考えれば彼の指摘は正しかったと思う。



本作は音楽のなかった世界を描いた作品だ。

これも言葉のなくなった世界同様、ツッコミどころの多い設定だ。

音楽というのは歌ったり楽器を演奏したり作詞したり作曲したりすること、あるいはそうしたパフォーマンスをコンサートやCDなどで聞くことだけではないはずだ。

日常生活の至るところに音はあふれている。音源やコンサートという形で発表されることはなくなっても、人間に鼻や口がある限り、言葉を発する機能がある限り、音楽はなくならないはずだ。

鼻歌を口ずさんだり口笛を吹いたりといった歌ったり演奏したりに近い行為はなくならないだろうし、何かのきっかけでリズミカルに体や周囲のものを叩くことだってあるはずだ。

というか、人間を含むあらゆる生物の行動はリズミカルだ。

ゴリラが胸を叩く行動はドラミングのようだし、歌姫のことを英語で美しい声でさえずる鳥にちなんでソングバードと言うように自然界にはあらゆる音があふれている。

だから、地球上のあらゆる生物から口や鼻、手足が失われ、風や水、火などがなくならない限り音楽というのはなくならないと思う。

そして実際に本編を見てみると心配していた通りのツッコミどころだらけの内容となっていた。

音楽のない世界ではなく、歌や楽器の演奏が鳴り響かなくなった世界なんだよね。だから、クラシック界の大作曲家も人気アーティストもアマチュア・ミュージシャンもカラオケ店も存在はそのまま。かなりのご都合主義だ。

普通なら、のび太(と場合によってはドラえもん)以外は音楽そのものの存在を覚えていないという設定にするはずなんだよね。

でも、メインキャラ5人に音楽を司る星の滅亡の危機を救わせ、そのために楽器を演奏させるというのをストーリーの軸に置いてしまったせいで音楽のない世界というのが矛盾だらけの設定になってしまった。

というか、のび太たちをこの音楽の星に向かわせるため、地球に音楽がなかった日の状態はたったの1日で終わってしまっている。何がやりたいんだかという感じだ。素直に音楽の星の人がユニークな音を奏でるのび太の演奏にひかれて地球に立ち寄って、のび太たちに祖国の救済を依頼するという話で良かったと思う。

本作の上映時間は子ども向けテレビアニメの劇場版としてはやけに長いと言っていい1時間55分もあるが、こういう無駄な展開のせいだと思う。

そもそも、音痴のジャイアンがリコーダーの演奏が下手なのび太をからかうシーンが連発していることに違和感がある。ジャイアンは自分勝手だから別に彼がそういうことを言ってもいいんだけれど、時々、毒を吐くスネ夫に“ジャイアンも人のこと言えないけれどね”みたいに言わせて、ジャイアンが“なんだと〜?”とスネ夫に詰め寄り、スネ夫が適当にごまかすようなシーンを入れるべきだったと思う。

あと、これは本作に限ったことではなく、劇場版ではよくあることなんだけれど、ジャイアンやスネ夫にですら、さん付けしているしずかが外国人(宇宙人含む)になると呼び捨てになるのはなんなんだろうか?しずかは人種差別主義者なのか?

ところで、のほほんメガネと呼ばれるキャラ=のび太をヒーロー扱いしている本作はもしかすると、増税メガネこと岸田文雄のプロパガンダ映画なのだろうか?



そういえば、入場時にTOHOシネマズのスタッフがこちらの電子チケットを確認した際、“いい年こいた大人が1人でこれを見に来たのか?”みたいなバカにした態度を見せたのが気になった。
結局、映画好きでもアニメ好きでもないのにシネコンでバイトしている人って、いまだにそういう見方しかできないんだろうね。子ども向きとされるテレビアニメの劇場版を1人で見に来る大人はキモオタ・変質者の類だと。

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