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ドライブ・マイ・カー

上映時間はギリギリ2時間台の2時間59分もある(本稿における各作品の上映時間はキネノートに準拠)。コロナ禍になってからこれまでに自分が鑑賞した作品で最も上映時間の長い作品だった2時間44分の「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」より15分も長尺だ。
マスクをした状態での映画鑑賞というのは非常に疲れる行為なので、個人的には2時間15分を超える映画を見る気力が起きないというのが本音だ。

一般的に映画館側は長尺ものを好まないと言われている。それは、回転率が低くなる=観客動員数が減るからだ。
2時間の映画ならCM・予告、休憩時間を含めても1つのサイクルが2時間半程度だから、平日でも複数スクリーンを使わなくても1日に5回はかけられるが、3時間の作品だと3回になってしまう。
映画館の収入源は入場料よりもドリンクやフードが重要という声もあるくらいだから、回転率が下がれば、入場料収入のみならず、ドリンクやフードによる収入も減ってしまうからね。

でも、最近はマーベル作品でも平気で上映時間が2時間半を超えていたりする。「エターナルズ」なんて2時間36分もあった。

マーベル以外のハリウッド系大作でも、「DUNE/デューン 砂の惑星」が2時間35分、「最後の決闘裁判」(クソ邦題)が2時間33分と長尺ものが目立つ。

おそらく、ハリウッドでこうした長尺ものが増えた背景には、コロナ前からあった機運ではあるが、アメリカ映画業界の配信シフトがコロナ禍で一気に高まったことがあるのではないかと思う。

特に顕著なのがNetflixだ。2019年のネトフリ映画「アイリッシュマン」は3時間29分もあったしね。

今年、劇場で限定的に先行上映されたネトフリ映画の中にも「ドント・ルック・アップ」が2時間25分、「ザ・ハーダー・ゼイ・フォール 報復の荒野」が2時間17分と長尺ものが含まれている。

ネトフリ以外の従来のハリウッドメジャー系にも上映時間が長い作品が増えているのは、コロナによって、映画を配信で見るという人が増えているからだと思う。

映画館で作品を鑑賞する場合はインターミッションが挟まれる作品を除けば、上映開始から終了まではノンストップだ。
でも、配信だと“今日は眠くなったからこれまで”と途中で鑑賞をストップして、後日、続きを見るといったような鑑賞の仕方をする人も多い。
DVDやBlu-ray、それ以前のVHSでもそういう見方をする人はいたが、スマホやタブレットで見られる配信はDVDプレーヤーなどよりも遥かに楽な操作で、再生の停止や再開ができる。
だから、映画マニアを除けば、そうした分割鑑賞をしている人は多いのではないだろうか。
映画マニアの自分には理解できない鑑賞の仕方だし、こんな見方で見たと言って欲しくないとは思っているが。

また、コロナ禍になって、公開日程の変更も頻繁に起こるようになったことから、ハリウッドのメジャースタジオは劇場公開と同時、もしくは劇場公開から1ヵ月半ほどの短期間で配信を開始するようになった。公開規模が違うだけで、事実上、ネトフリやアマプラの配信映画の先行上映とほとんど変わらない存在になっているのが現状だ。

一方、映画館側としてもコロナ禍になって客足が鈍っていることから(一部作品を除く)、回転率が悪くても話題作ならなんでもいいやという気持ちになっているのだと思う。

邦画に関しは、ハリウッド映画のように同時配信されたり、公開から短期間で配信開始となる作品は少ないが、ここ最近の上映時間の長い作品をみていると、2時間28分の「燃えよ剣」にしろ本作にしろ、きちんと映画として見られる作品に長尺ものが多いようだ。

テレビアニメの劇場版ではあるけれど、テレビシリーズのみならず、旧劇と呼ばれた過去の劇場版や新劇と呼ばれる新たな劇場版シリーズといった、これまでの全ての作品に通じた完結編に仕上げた2時間35分の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」もそうかもしれない。
結局、2時間以内の邦画には説明台詞だらけでテレビドラマみたいな作りのものが多いのは、きちんと映像を作っている時間と予算がないからなんだろうというのを実感する。

それにしても、この「ドライブ・マイ・カー」だが、カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞していたからアカデミー賞の国際映画賞の日本代表として出品されることは予想できたが、ゴールデン・グローブ賞の非英語映画賞(旧・外国語映画賞)のノミネートは可能性は低いと思っていた。
それどころか、本作はニューヨークやロサンゼルス、ボストンといった主要地区の批評家協会賞で外国語映画の方ではなく、メインの作品賞を受賞するなんて、これっぽっちも思っていなかった。

この流れでいけばゴールデン・グローブ賞非英語映画賞受賞の確率はかなり高い。

さらには、日本映画として初めてアカデミー作品賞にノミネートされる可能性も高まったと思う。

ここまで米国で評価されていることには驚きでいっぱいだ。

最初の方は性的な描写も多いし、全編を通じて喫煙シーンも多い。こういうのは最近のポリコレ至上主義の米国エンタメ界では受け入れにくいはずなのに評価されているのは驚きだ。

確かに、ここ最近の邦画とは明らかに画作りが違う。安っぽい日本のテレビドラマのような映像ではなく、きちんと映画としての画作りがされている。
自分の生い立ちを説明台詞で消化してもテレビどドラマっぽくならないのは、単に話している人物の顔を見せるだけといったテレビドラマっぽい画作りをしていないからだと思う。

つまり、米国の批評家にもきちんと映画として見てもらえるだけのクオリティを持っているということだ。

勿論、原作者の村上春樹の知名度が高いから注目されやすいというのはあると思う。
また、タイトルがザ・ビートルズの“ドライブ・マイ・カー”から取られているから、米国人にも馴染みやすいものになっていて見てもらいやすいというのもあるとは思う。

でも、この作品を見ていくと、いかにも米映画賞レースが好みそうな要素がいっぱい含まれているんだよね。

本作の主人公は舞台俳優、妻は脚本家だが、こうしたエンタメ・マスコミ業界の人間を描いた作品って賞レースでは評価されやすい要素でもある。
過去10年間のアカデミー作品賞受賞作を見てみると「アーティスト」、「アルゴ」、「バードマン」、「スポットライト」、「グリーンブック」と半分の5本がエンタメ・マスコミものだ。さらに、「シェイプ・オブ・ウォーター」の主人公は映画館の上に住んでいるという設定だ。アナウンスのミスで一瞬だけ作品賞受賞作になったエンタメ業界もの「ラ・ラ・ランド」なんてのもある。

本作では、主人公が出演する舞台「ワーニャ伯父さん」の展開が、登場人物たちの言動や心理状態とリンクされている。こうした、実在の戯曲と作品のストーリーをリンクさせる手法というのはアカデミー作品賞受賞作である「恋におちたシェイクスピア」でも取り入れられているだけに欧米の批評家の受けは良いと思う。

また、主人公が緑内障という病気を抱えていることや(途中から言及がなくなってしまうのは残念ではあるが)、主人公のドライバーを務める女性が親の虐待を受けていたという設定、さらにはその親も精神障害を抱えていたという設定も、欧米では評価されやすいポイントではないだろうか。

あと、上演される舞台が多国籍キャストが多言語(手話を含む)で演じるものであるというのも賞レース向きの要素に思える。明らかに多様性が必要だというメッセージを込めた描写だしね。

しかも、それぞれの国や地域の人間の描き方も恣意的だ。日本人は若手の役者が暴力的な問題児として、中高年の役者がブーブー文句を言う連中みたいに描かれている。また、台湾人の若手女優は傲慢に見えるようなキャラクターになっている。
一方で演劇祭の運営を担っている韓国人男性は“いい人”的な描かれ方で、しかも、この人物の妻は手話の話者、要は障害者だ。
まるで、日本や台湾はダメで韓国は素晴らしいと言っているようで、ネトウヨが見たら反日映画と言いそうだ。
しかも、女性ドライバーが韓国で生活しているシーンで終わるからね(何故、このシーンだけコロナ禍の描写なのかは謎だが)。
韓国を良く描いているから特定の勢力から批判されずに済んでいるというのはあるのかもしれない。  

というか、多言語演劇で“感情をこめず台詞を読め”という演出をしているのって多国籍の登場人物の演技が上手いか下手かを悟らせないためでは?

まぁ、何よりも3時間近い作品なのに、そこまで長さを感じずに見られる演出、脚本、撮影、演技が良いんだろうけれどね。

ところで、ドライブ・マイ・カーという言葉を直訳すると、“私の車を運転して”になるわけだから、これは確かに主人公とドライバーの関係を言い表しているよねとは感じたりもしたかな。

とはいえ、いかにも邦画的な残念なところもあったんだよね。それは事件を伝えるテレビニュースが流れるシーンなんだけれど、ニュース原稿では“昨年(さくねん)”という言葉は使わないんだよ!いくら社会派ぶった作品を作っていても、全然、ニュースを見ていないのがバレバレだ。

日本映画のリアリティのなさってそういうところなんだよね。

日本の映画監督って、低賃金の長時間労働をしているから、テレビニュースを見たり、新聞を読んだり、勉強したりする時間がないんだろうね。

まぁ、海外の観客は日本のテレビニュースなんて知らないから、手放しで絶賛できるんだろうけれどね。

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