見出し画像

今回も眠たくなる作品だった「ONE PIECE FILM RED」

「ONE PIECE」の劇場版は、最初は東映アニメフェア(旧・東映まんがまつり)の1本として公開されていた。「ドラゴンボール」のように、年に2本も公開されるようなことはなかったが、2000年の1作目から2002年の3作目までは、毎年3月に東映アニメフェアの1本として上映された。

単独の劇場版として公開されるようになったのは、2003年の4作目からだ。子ども向けの“イベント”である東映アニメフェアの1本としての上映だと小学校高学年以上のアニメファンは映画館に行きづらいが、劇場版「名探偵コナン」のように単独で上映すれば、家族連れ以外にも見てもらいやすいというのはあるとは思う。

もっとも、単独興行になってからも、毎年3月公開というのは変わらなかったので、東映アニメフェアという呼称はなくなっても、その延長線で捉えていた人が多かったのも事実だと思う。要は(原則)毎年3月に公開される「ドラえもん」やコロナ前は毎年7月に公開されていた「ポケモン」の映画と同じような扱いだ。

そんな、ワンピ劇場版が本格的に映画作品として認知されるようになったのは、2009年12月公開の「ONE PIECE FILM STRONG WORLD」だと思う。

元々は通常のルーティン通り、3月公開だったらしいが、制作進行の遅れで12月になったということだ。

テレビアニメ放送開始から10周年、劇場版10作目ということで、原作者自ら劇場版用のストーリーを書いたことから、これまでの劇場版よりもスケールアップした内容となった。
また、それまでの劇場版はただの「ONE PIECE」の後にサブタイトルか、「ONE PIECE THE MOVIE」の後にサブタイトルだったが(1作目を除く)、「ONE PIECE FILM」と表記を変えていることから、単なるテレビアニメの劇場版ではなく、これ1本でも単独で見てもらえる映画として作ったんだという気概を感じることはできたと思う。

そして、幸か不幸か、公開時期が変わったことによって観客層を拡大し、ワンピ映画は単なるテレビアニメの劇場版ではないアニメ映画「FILM」シリーズ路線を突き進むことになっていく。

「STRONG WORLD」以降、2011年公開の短編3D映画を除くと、基本的にワンピ映画は3〜4年に1本のペースで公開されるようになった。
その路線が確立されたのは2012年12月公開の「ONE PIECE FILM Z」だ。

そして、客層も劇場版しか見ない人が中心になっていった。それは、「コナン」と同じだ。

「ドラえもん」や「クレしん」、「ポケモン」、「プリキュア」といったテレビアニメの劇場版を見にやってくる大きなお友達は多いが、あくまでも最も多い客層は家族連れや子どものグループだ。だから、彼等のほとんどはテレビシリーズも見ている。

でも、劇場版「コナン」は年々、女子人気が高まるに連れて、劇場版しか見ない人たちがメインの観客層になっている。

これと同じことがワンピ映画でも起きている。
まぁ、コナンにしろ、ワンピにしろ、1000話以上あるテレビシリーズの全エピソードを見ている人なんて、そんなにいないよね…。

そもそも、子ども向けアニメというのは幼稚園くらいの年齢から見始めて、小学4年生くらいで卒業するというのが基本だからね。

コナンやワンピはいつの間にか、子どもでない人がメインターゲットのコンテンツになってしまったけれどね。

というか、2000年以降にテレビシリーズがスタートした作品で、延々と続いている子ども向けアニメって、毎年、主人公が変わる「プリキュア」やコロコロ設定が変わる「妖怪ウォッチ」など数えるほどしかないからね。

ワンピは昔ながらの放送形態で作られている最後の長期放送アニメと言っていいのかもしれないな…。

ということで、脱・子ども向け映画になったおかげで、ワンピ映画は特大ヒットを連発するようになった。最大のヒットは先述の「Z」で興収は68億円を超えている。

ただ、映画としての出来は劇場版「コナン」同様、かなり酷い。

結局、キャラクターのファンを満足させるための“お祭り”映画だから、ストーリーらしいストーリーがないんだよね。
とにかく、レギュラー、準レギュラー、ゲストキャラと大量の登場人物が出てきて、ワイワイガヤガヤやっているだけだからね。

映画マニアやシネフィルが、「クレしん」の映画はほめても、「コナン」や「ワンピ」の映画を酷評するのは、そういうところなんだよね。

そして、本作「ONE PIECE FILM RED」は公開初週の興収が22億円を突破する特大ヒットになっている。
この数字は今年、日本で公開された全ての作品の初週興収を上回るものだ。
5月に公開され、コロナ禍になってから公開された実写映画としては初の興収100億円超えとなった「トップガン マーヴェリック」を超えるのは難しいとは思うが、7月から8月にかけて公開の夏休み映画(シネコン時代になってからは死語かな?)としては最大のヒット作になりそうな勢いだ。勿論、「Z」を超えてシリーズ最大のヒットとなる可能性もある。

このヒットの原動力となっているのが、劇中歌を担当しているAdoだと言われている。

本作は事実上、ミュージカル作品と言ってもいい内容だ。ルフィの幼なじみでシャンクスの娘である歌姫のウタ(歌姫だからウタって安直なネーミングだな…。というか本木の息子か?)を中心に話が進んでいく。

シャンクスというシリーズの重要人物の娘を劇場版のゲストキャラとして出すことに対して、原作やテレビシリーズ、過去の劇場版のファンが反発するであろうことは容易に想像がつく。というか、今後の原作やテレビシリーズはどうするんだ?

また、ウタの歌声はAdoが担当しているのに、演技パートは別の声優が担当していることに対してもAdoに興味がない人が批判することは間違いない。
歌える声優はいくらでもいるし、アニオタ・声豚は反発するかもしれないが、声優が本職でない人で歌と演技の両方ができる人はいくらでもいる。
というか、しょこたんのように非本業でなくても声優演技にも定評がある人がいるしね。

それから、歌姫がゲストキャラとして登場するという設定は劇場版の前作「ONE PIECE STAMPEDE」で既にやっているのに、また同じことを繰り返すのは意味不明だ。

ちなみに前作の歌姫役は指原莉乃だった。声優としての演技は良かったと思う。でも、作中では全然、歌姫として活躍しているようには見えなかった。本当は、彼女に歌わせようと思っていたが、お世辞にも彼女は歌唱力のある人とは言えない。かと言って、元アイドルを声優として起用しておきながら、歌唱部分は別の人に担当させるとなったら、“何故、彼女を起用したんだ?”と批判されてしまう。だから、前作ではミュージカル作品にすることを断念したのではないだろうか?

しかし、原作者側としては、歌姫を中心に据えたミュージカル的展開というアイデアを捨てることができなかった。

だから、今度は歌える人の“キャスティング”を優先し、その人が演技ができなければ、別の人に演技をさせればいいと考えるようになったのではなかろうか?

でも、ミュージカル要素重視というのも、これまでの原作やテレビ版、劇場版のファンからしたら猛反発されるのは必至だよね。

まぁ、本作のサントラのおかげでAdo人気は何とか保たれたって感じはするかな。
“うっせぇわ”の後に、“踊”と“阿修羅ちゃん”もBillboard JAPANのトップ10内に入ってはいるけれど、世間的には一発屋のイメージが強かったしね。

でも、中田ヤスタカをはじめとする様々なプロデューサーやアーティストが提供した楽曲を歌う本作の“ミュージカル・ナンバー”を聞いていると、やっぱり、Adoって他のネット発歌姫と違ってアイドルっぽい感じがするんだよね。
結局、楽曲提供した人の色に染まってしまうんだよね。“うっせぇわ”だって、10代女子が“オッサンどもが古くせぇこと言ってんじゃねぇよ”って言っている歌なのに、実際にこの曲を作っていたのは、オッサンとまではいかないけれど年上の男だしね。
チェッカーズと尾崎豊をパクったような歌詞も年上男の入れ知恵ってことだからね。
歌はうまいかもしれないけれど、所詮は作られたアイドルでしょって言いたくなるんだよね。

まぁ、ヨルシカとかYOASOBIみたいに、男性ソングライター兼サウンドクリエイターと女性ボーカリストのコンビによるパーマネントなユニットとして活動するかわりに、曲ごとにソングライター・サウンドクリエイターを変える活動方針と思えば、そんなに違いはないんだけれどね。
とはいえ、YOASOBIはユニットとして活動している時はikuraはボーカリストだけれど、ユニットの外に出てソロ・アーティストの幾田りらとして活動している時はシンガー・ソングライターだからね…。やっぱり、Adoはアイドル、もしくは顔出ししない職業歌手って感じなのかな。

今回のヤスタカ曲“新時代”なんかも既視感(正確には既聴感)だらけの曲だしね。EGOISTの“名前のない怪物”と基本的な展開は同じだしね。
まぁ、Adoの曲で初めて気に入った曲になったけれど。

画像1

それにしても、ワンピ映画って、何故、毎回毎回、睡魔に襲われそうになるんだ?

これで3作連続、“寝ちゃダメだ!寝ちゃダメだ!”って思いながら、見るハメになっているしね。
というか、上映終了後に、“寝ちゃったよ…”と思わず言っている人や、連れに“寝てたでしょ?”って聞いていた人も結構いたしね。

まぁ、自分は元々、バトルシーンとか、本作で言うところのライブシーンとかのように同じようなシーンが延々と繰り返される作品が苦手だから、睡魔に襲われそうになるんだけれど、少年漫画原作アニメの劇場版ってのは普通はバトルシーンの連続というのはファンに歓迎されるんだから、やっぱり、ワンピ好きにはAdo要素はいらなかったってことなのかな。

というか、予告の時から思っていたけれど、ライブシーンをウリにしている割には画が安っぽいんだよね。観客はテキトーにしか描いていないし、歌唱とリップもきちんと合わせていない。しかも、合っていないのがバレるのが嫌だからなのかどうかは知らないが、広い画でごまかしている箇所が多い。
アイドルアニメに比べたら手抜きでしかない。というか、同じ東映作品の「プリキュア」シリーズの方がしっかりと歌や踊りのシーンは作画しているのでは?

そもそも、ウタが幽閉した人々の前で終わりのないライブを敢行するとか言っていながら、しょっちゅう、歌っていないのはデタラメもいいところ。

あと、ウタがこれまでに登場していないキャラだから、後出しの回想シーンだらけで、ちょくちょくストーリー進行を止めてしまっているんだよね。

それから、田中真弓ってこんな演技だったっけ?何か下手になった気がする。あと、本作にしろ、「コナン」にしろそうだけれど、池田秀一も無理があるよね。
ベテラン声優をリスペクトするのもいいけれどさ、やっぱり、劣化したことはきちんと本人に分からせてあげないとダメだよ。

画像2

それにしても、いつもはガラガラの渋谷TOEIがほぼ満席状態で最前列もかなり埋まっていたことに驚いた。普段だと、この劇場って、観客が一桁なんてことも多いのにね。というか、ここで自分以外に観客がいない状態を2度も経験したことあるしね。
それだけ、ワンピだと普段、映画館に来ないような人たちがやって来るってことなんだろうね。
まぁ、そんなこともあって、上映開始されてから、ゾロゾロとスクリーン前を気にせず横切って入場してくる奴とか、なかなか、スマホをオフにしない奴とか、マナーの悪いのが多かったが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?