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FLEE フリー

デンマーク映画(他国と合作)である本作は第94回アカデミー賞で国際長編映画(旧・外国語映画)、長編ドキュメンタリー、長編アニメーションという3つの作品賞にノミネートされた。

これは快挙と言っていいと思う。でも、日本のドキュメンタリー好きが本作を注目しているようには見えない。それは彼らのこりかたまった思想のせいだと思う。

日本にはドキュメンタリーは素材をそのまま流すことが正しいとの思い込みから演出はやらせだと勘違いする者も多い。
ドキュメンタリーは中立公正でなくてはいけないとの考えがそう思い込ませているのだと思う。
テロップやナレーション、ボイスオーバー、リポート、BGMを極端に嫌うドキュメンタリー好きが多いのはこの思想によるものだと思う。
観察映画をウリにしている想田和弘が絶賛され(全然、中立な立場ではないけれどね)、マイケル・ムーア作品が日本ではエンタメ扱いになっているのはそういうことなんだと思う。

だから、過去のニュース素材などの資料映像か、監督が作品のために取材した映像以外で構成されたものをドキュメンタリーとは認めない至上主義者も多い。

本来なら、テレビのバラエティ番組などでよく見かける驚きの出来事の再現ドラマだって、立派なドキュメンタリーなんだけれどね。
勿論、再現ドラマを実写でなくアニメーションで表現したってドキュメンタリーだ。

顔も声も出せないが発言を使うのは認めてくれた取材対象者のコメントをナレーションやボイスオーバーで処理し、それに写真や資料映像をかぶせるという編集はドキュメンタリーやニュース番組、ワイドショーでよく行われている。要はそれと同じなのに、何故か、再現ドラマ(アニメーション)をドキュメンタリーと認めない風潮が日本にはある。

一方、海外での扱いはというと、これまでにアカデミー国際長編映画賞には、「戦場でワルツを」や、「消えた画 クメール・ルージュの真実」といったドキュメンタリー・アニメーション(アニメーション・ドキュメンタリーか?)がノミネートされている。
いずれも、政治的なメッセージの強い作品だ。おそらくは、作中に登場した人たちの身を守るため、あるいは、映像や写真として残っていないが後世に伝えておくべきであると判断した問題を語るためにそうした手法が取られているのは想像に難くない。

とはいえ、「戦場でワルツを」も「消えた画 クメール・ルージュの真実」も長編アニメーション賞や長編ドキュメンタリー賞にはノミネートされていない。というか、いかにも欧米のリベラル層が好むテーマなのに国際映画賞もノミネートどまりとなってしまっていたのは、おそらく、海外でも、ドキュメンタリー・アニメーション(もしくはアニメーション・ドキュメンタリー)は、ドキュメンタリーなのか?アニメーションなのか?という論争があったということなのだろう。

そんな中、本作は国際映画、ドキュメンタリー、アニメーションの3部門でノミネートされた。

アフガニスタンを離れてロシア経由でデンマークに亡命した男性の話というだけなら、おそらく、「戦場でワルツを」や「消えた画」のように国際映画賞にノミネートされただけで終わったのではないかと思う。

おそらく、その男性が同性愛者だから、欧米の映画賞はこぞって本作を評価したのだと思う。

最近の欧米のエンタメ系の賞は人種や性別、宗教、障害による差別を描いているというだけで高評価されやすいからね。

さらに、本作のヨナス・ポヘール・ラスムセン監督がユダヤ系であるというのも評価されやすい理由だと思う。何しろ、ハリウッドはユダヤ系が圧倒的に権力を握っている社会だからね。欧米エンタメ界がウクライナのゼレンスキー大統領を支持するのも彼がユダヤ系だからという理由にほかならないしね。

そして、本作の“主人公”となった同性愛者の男性も、監督の先祖もロシアで迫害を受け、それから逃れるためにデンマークへと逃げてきたという事実が本作の評価をさらに高めたことは間違いない。

2021年の年末あたりから、ロシアがウクライナ侵攻を計画しているという情報が出回り、年が明けて、今年2月、実際にロシアはウクライナを侵攻したが、ロシアで迫害された人たちの話となれば、リベラル思想が蔓延し、ポリコレ至上主義が展開されている欧米エンタメ界で評価が高まるのは当然のことだ。

とはいえ、最終的にはどの部門でも受賞できなかったところを見ると、ハリウッド、特にアカデミー賞などエンタメ系賞レースの世界ではユダヤ系の力が落ちているのではないかという気もする。

かつてのように、ユダヤものなら受賞・ノミネートは当たり前という時代ではなくなり、それよりかは、障害者や女性を巡る問題、黒人やヒスパニック、アジア系を描いた作品の方が評価されやすいということなのだと思う。

国際長編映画賞は日本映画の「ドライブ・マイ・カー」、長編アニメーション賞はヒスパニック系を描いた「ミラベルと魔法だらけの家」、長編ドキュメンタリー賞は黒人差別問題を扱った「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」といった具合に見事に多様な人種性をうたった受賞結果になっているしね。

ユダヤ人大量虐殺、いわゆるホロコーストは人種問題ではないと発言したウーピー・ゴールドバーグに対して批判の声も上がったが、ユダヤ系差別は人種問題ではないと思っている人が多いのは、この受賞結果からも分かるのではないだろうか。

と、それっぽいことを言ってみたが、実際に見てみたら、そりゃ、ノミネートされただけでも御の字という出来だった。

特に宣伝文句に使われている音楽の使い方もイマイチだった。

“主人公”が記憶に残っている古い思い出として、1984年に少年時代の“主人公”が女装しながらウォークマンで音楽を聞いているシーンが頭の方で出てくるが、この時に流れている楽曲がa-haの“テイク・オン・ミー ”であることに違和感を抱いた。

確かに、この曲は84年にリリースされている。でも、世界的にはこの時点ではほとんどの人がこの曲を知らなかったんだよね。

監督はデンマーク人でa-haの地元ノルウェーに近いから84年時点でこの曲を知っていたのかもしれないが、世界的には85年の再録バージョンで有名になったんだよね。
英国では84年バージョンは100位以内にも入れなかったし、日本では85年バージョンで初めて紹介されたわけだしね。

だから、アフガンの少年が84年バージョンを知っているとは思えないんだよね…。

それから、1995年に“主人公”がデンマークに到着するシーンでロクセツトの“ふたりのときめき”が使われているのもよく分からない選曲だよね。

ロクセツトはスウェーデンのアーティストだし、この曲がリリースされたのは1991年だからね。

監督はこの“主人公”の当時の思い出の曲を使ったらしいが、この“主人公”は難民と認定されるためにデンマーク当局にウソの経歴を伝えていたようだから、そういう偽装生活をしているうちに自分の記憶も改ざんされてしまったのでは?

ただ、ロシアがまだソ連と呼ばれていた90年代初頭に、モスクワにマクドナルドがオープンした話とかは面白かった。
スーパーには何もない、一般市民は貧しい、警察官は汚職まみれ。
そんな状況なのにマックができて、ソ連はロシアとなり、G8メンバーにまでなってしまったんだからね。

まぁ、最近のロシアを見ていると、西側諸国の仲間にすべき国ではなかったというのがよく分かるけれどね。

ロシアはクリミア半島併合により2014年にG8から外されたし、今回のウクライナ侵攻ではマックがロシアから撤退したし、そういう時の流れを顧るという意味では面白かったとは思う。

でも、作品自体は中途半端な出来だった。

実話だから仕方ないのかもしれないが、“主人公”が同性愛者であることは描く必要が全くないんだよね。
“主人公”一家が祖国アフガンを脱出することになったのは政治的な理由だし、たどり着いたソ連(ロシア)で警察当局の嫌がらせを受け、密入国を手引きする悪徳業者に酷い目にあわされたのは不法滞在しているからだし、デンマークに来て肩身の狭い思いをしていたのは難民申請した時にウソの経歴を語っていたからなわけだからね。

それで、最終的には煮え切れない関係だった彼氏との引っ越し計画がうまくまとまりましたで締め括られても、“だから?何?”としか思えない。

というか、本作はデンマークとフランス、ノルウェー、スウェーデンの合作だけれど、ノルウェーやスウェーデンの描き方はかなり酷いよね。大丈夫なのか?

あと、台詞はデンマーク語が中心なのに、本編中のテロップ表記やエンドロールが英語なのもよく分からない…。

そして、本作はあくまでもドキュメンタリーの方に主観が置かれているんだなというのもよく分かった。欧州産のミニシアター系アニメーション映画を見ると、モブキャラでもきちんと動いていて、止め画だらけの日本のアニメ映画とは比べものにならないほど、きちんと映画として作られているなと感心することが多いが、本作はそうではなかったからだ。

まぁ、海外アニメーションって、キャラクターは動き回るくせに、背景、特に草木って全然動かないんだよね。逆にキャラは止め画だらけの日本のアニメの方が背景は動いているくらいだったりする。欧米人と日本人ではアニメーションに求めているものが違うってことなんだろうね。

やっぱり、欧州産アート系映画好きから見ても、海外アニメーション映画好きから見ても、ドキュメンタリー映画好きから見ても中途半端な映画だったね。そりゃ、無冠に終わるわけだ。
とりあえず、同性愛者差別をしていないよというアピールのためだけに各映画賞は本作を評価したフリをしたって感じなんだろうね。

《余談》
アニメで「フリー」と言うと、日本の多くのアニメファンはスペルが違う方の「フリー」を思い浮かべてしまうと思うんだよね。だから、検索で「フリー」と打つと、「Free!」シリーズの方が出てきてしまうんだよね。
特にこの春には新作劇場版が公開されたばかりだし、主要キャラ役の声優が問題を起こしたから、どうしても、そっちの方が出てきてしまう。
邦題は「フリー」という言葉を入れない方が良かったのでは?“FLEE”という言葉を直訳すると、“逃げる”だから、「○○から逃げて」みたいな邦題で良かったのでは?

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