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アンネ・フランクと旅する日記

2008年度のイスラエル作品「戦場でワルツを」は、アニメーションでありながらドキュメンタリーでもあるという画期的な作品だった。
ただ、当時はアカデミー賞の投票資格を持つ人の間でも、この作品の位置付けに関する戸惑いはあったと見られ、長編アニメーション賞や長編ドキュメンタリー賞にはノミネートされず、外国語映画賞(現・国際映画賞)でのみ候補入りを果たすことになってしまった。

それから13年経ち、「戦場にワルツを」と同じくアニメーションでもありドキュメンタリーでもあるデンマーク作品「FLEE フリー」がアカデミー賞の国際映画賞のみならず、長編アニメーション賞や長編ドキュメンタリー賞にもノミネートされることになったのだから、映像表現、演出に関する理解度は増していったということなのだとは思う。

でも、それは世界レベルの話であって、日本では相変わらずドキュメンタリーの定義に関しては凝り固まった考えを持つ人が多い。

おそらく、地上波のニュースショー(ニュース番組ではなくニュースショーと言わせてもらう)やワイドショーの特集コーナーで流れるVTR(ビデオのことをVTRという言い方もおかしな日本の業界用語だけれどね。VTRというのは機材のことなんだからね。しかも、正しい英語はVCRだしね。というか、今はテープはあまり使われなくなっているしね)のような中立な立場で取材したものがドキュメンタリーでなくてはいけないと思っている人が多い。

だから、NHKのBSが放送した五輪の取材をする河瀨直美を追ったドキュメンタリーに対する批判の声が大きかったのだと思う。
勿論、同作では明らかな捏造報道があったので、それは良くないが、思想的には右に寄っていようが、左に寄っていようが構わないのがドキュメンタリーなんだよね。

それから、日本にはドキュメンタリーというのはカメラの目の前で起きたことをそのまま映し出さなくてはいけない、編集以外の演出は悪だと考えている人も多いようだ。

だから、ナレーションもテロップもBGMも入れない想田和弘の観察映画みたいなものが絶賛されやすいのだと思う。

でも、日本のワイドショーで流れる特集VTRだって、ドキュメンタリーだって、事前にディレクターや構成作家が作った台本を基に取材が行われるし、米国の脚本家組合賞にはドキュメンタリー脚本賞という部門があるんだよね。マイケル・ムーア作品なんていうのは、監督自身のナレーションによって作品の面白さが増しているわけだしね。

それに、ドキュメンタリーと言ったって、作中で伝えたいことが全て自分たちで取材した映像やニュース素材などの提供映像だけで構成できるとは限らない。どうしても、イメージ映像や再現ドラマで表現しないとならない場合も多い。

2013年度のアカデミー外国語映画賞にノミネートされたカンボジア作品「消えた画 クメール・ルージュの真実」で、虐殺の成り行きを人形劇で描いたりもしたが、それも一種の再現ドラマだと思う。

つまり、再現ドラマは人間が演じなくてもいい、人形劇やアニメーションでもいいということだ。

勿論、全編再現ドラマの作品に対して、それが実写なら単なる実話を映画化した作品。アニメーションなら実話を基にしたアニメーション作品でしかないのではと言いたくなる気持ちも分かる。

要は、単なる実写映画やアニメーションではなく、ドキュメンタリーでもあるということを納得させるだけの構成力が演出側には求められているということだと思う。

そんな、アート系映画、アニメーション、ドキュメンタリーの垣根をこえた傑作「戦場にワルツを」のアリ・フォルマン監督が、(一応)純粋なアニメーションとしては同作以来となる監督作品「アンネ・フランクと旅する日記 」を発表した。

アンネ・フランクの屋根裏生活を描いてはいるものの実際の主人公は「アンネの日記」に登場する空想上の友人となっていて、ファンタジーの部分も多いので、ドキュメンタリー要素はほとんどないと言っていいと思う。

というか、空想上の友人が現代に現れて騒動を起こすというストーリーとなっているので、よくあるホロコースト系の映画にはなっていない。

勿論、ユダヤ人虐殺も宗教や思想による差別から起きているものだが、どちらかというと、人種や見た目による差別、移民問題など広義にわたる差別や偏見をなくそうという主張の方が主たるテーマになっている。

主人公の空想上の友人が、バカにされやすい赤毛に設定したことを想像主であるアンネに問いただしていたシーンがあったのもそうしたルッキズム問題に関するメッセージの投げかけだと思うしね。

また、アンネをわがままな人物として描いていることや、出版されたバージョンの「アンネの日記」に修正が加えられていることに触れていることからも、本作が単なるホロコーストものでないことは明らかだと思う。

というか、本作って台詞も原題も作中に出てくる文字も全て英語なんだよね。米国映画とか英国映画ではないのにね。
英語吹替版が字幕版として上映されているのではなく、オリジナルが英語音声らしい。
いかにも賞レース向きの内容なのに、本作が米映画賞レースでは無視状態なのは、英語作品だったら、ポリコレ描写も豊富で映像も最新技術を使っている米国製のCGアニメーションがあるから、外国製の手描きアニメーションはいらないよってことなんだろうね。
監督の出身国イスラエルにあわせてヘブライ語、本作の製作国であるベルギーにあわせてオランダ語、フランス語、ドイツ語(オランダ語やドイツ語は作中の舞台にちなんだ言語でもある)なんてあたりで作っていれば、評価されたような気もするな。

言語のついでに言うと、字幕翻訳もイマイチだったな。英語でファーザー、マザーと言っている時に、パパ、ママと訳すのは違うと思うな。
お父さん、お母さん。あるいは、父さん、母さん。もしくは、厳格な家庭ならお父様、お母様だと思うんだよね。ダッド、マムって言った時ならパパ、ママでいいんだけれどね。

それにしても、海外アニメーションはこうしたアート系作品でもモブキャラがちゃんと動いているよね。
止め画だらけの日本アニメは恥ずかしいと思った方がいい。こんなので日本のアニメは世界最高と言っている日本のアニオタは単に海外作品を見ていないだけなんだよ。


《追記》
都内ではTOHOシネマズを中心にした劇場での公開となっているが、自分が見たTOHOシネマズ新宿ではガラガラだった。自民支持が多い、今の20〜30代には「アンネの日記」なんてピンとこないと思うから、左翼思想の中高年や、海外アニメーション好きをターゲットに、イメージフォーラムとかユーロスペース、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館あたりをメインにしたミニシアター公開にした方が良かったのでは?

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