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鬼滅の刃 竈門炭治郎 立志編 特別編集版

テレビアニメやドラマの劇場版の公開時、あるいは、その劇場版のテレビ初放送時にテレビシリーズを再放送するというやり方自体はよくある手法だと思う。
これまで、シリーズを全く見てこなかった人、もしくは、きちんと見てこなかった人にとっては、劇場版に向けた予習になるし、テレビ版を既に見ている人の中にもおさらいしておきたいとか、忘れているところもあるのでもう1回見ておきたいという人はいるから、これは視聴者にとっては非常にありがたいサービスだと思う。

ただ、大抵の場合はテレビ版をそのまま放送するか、総集編(ダイジェスト)として放送するかのどちらかだ。

前者の場合は、1日にまとめて複数話を放送する形だと、各話に共通するオープニングやエンディングなどがカットされたり、全話ではなく厳選したエピソードを放送する形になったりもすることもある。
「新世紀エヴァンゲリオン」が旧劇の公開時に深夜に複数話まとめて再放送された際は、エンディングなどはまとめて最後に流れるだけだったし、「シン・エヴァンゲリオン」の公開に先駆けて去年夏に再放送された際はセレクション放送だった。

後者のパターンとしては、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」があげられる。テレビシリーズ初放送時は、ローカル局やBS局での放送だったが、劇場公開作品である外伝がキー局(日テレ「金曜ロードショー」)で11月5日に初放送されることになり、その前週にはテレビシリーズの総集編がオンエアされる。

ところが、この「鬼滅の刃」では、去年秋の劇場版公開時に、テレビ版の再放送でもなければ、総集編でもない、特別編集版を放送するという形が取られることとなった。

そもそも、テレビシリーズの放送に先駆けて、シリーズ冒頭の5話を一本化し、「兄妹の絆」とサブタイトルをつけた作品が劇場で公開されていた。

全話放送するなり、セレクション形式にするにしろ、テレビシリーズを再放送するとなると、今は昔みたいに朝とか夕方のアニメ再放送枠というのがないから、どうしたって、不規則な編成になってしまう。

でも、映画のような形に編集された作品であれば、そのまま、映画や2時間ドラマ、バラエティの2時間スペシャルなどを放送する枠で流せる。だから、せっかく冒頭5話を一本化した作品があるなら、それを流用しようとなったのではないだろうか。

とはいえ、それだけでは劇場版の公開を前にテレビシリーズを見ていない人に「鬼滅の刃」の魅力を伝えるには不十分だと考えたのだろう。何しろ、頭の5話は主人公が鬼殺隊の試験に合格し、初任務に向かうところで終わってしまうからね。

なので、この「兄妹の絆」と同様の手法で、テレビシリーズで最も人気の高いエピソードとされる「那田蜘蛛山編」を一本化した作品も放送することにしたのだと思う。

そして、これが人気を集めたことから、年末には、劇場版の直前の話でもあるテレビシリーズの終盤をまとめた「柱合会議・蝶屋敷編」の特別編集版も放送された。

さらに、今回は劇場版がテレビ初放送されるということで、元々、作られていた「兄妹の絆」、去年放送された「那田蜘蛛山編」、「柱合会議・蝶屋敷編」に加えて、これまで特別編集版に加えられていなかったエピソードをまとめた「浅草編」と「鼓屋敷編」も放送され、これでテレビシリーズ1期の全エピソードが特別編集版化されることになった。

特別編集版の基本的なつなぎは、テレビシリーズでは毎回流れるオープニングやエンディングをカットして、オープニング曲やエンディング曲はラストにまとめて1回かかるだけの形にし、あとは該当するブロックを頭から順に並べていき、重複するような部分を多少切るだけだ。

というか、「兄妹の絆」は劇場公開を前提に編集されていた=途中でCMが入らないので、重複部分をなくしていたが、新たに作られた特別編集版は、テレビ放送用に作られているので、CM明けにCM前の場面が再度出てくることもあり、実質的にはオープニングやエンディングなどを切っただけのほぼ本編ノーカットに近い状態と言えるのではないだろうか。テレビシリーズをきちんと見ていないので、どこがカットされているとか、どこが追加されているとか、修正されているとか、細かいことは分からないが、特別編集版を一通り見た感じだと、そのように思えた。

それから、テレビシリーズがだいたい5話前後で一区切りがつくような構成になっているから、それぞれのブロックを2時間前後の映画のような感じでまとめやすいってのもあるよね。

2クール放送のテレビアニメを5本の劇場版に再構築しようとしている(現在3作目まで公開済み)「Gのレコンギスタ」に近いのかな?

そして、こういう特別編集版という形で全話が“再放送”され、それが高視聴率を得たということは、そもそも、「鬼滅の刃」というコンテンツは映像作品にそれほど思い入れのない人たちに支持されているんだなということを改めて実感させてくれた。

Netflixなんかは、オープニングやエンディングを飛ばす機能がついているけれど、その機能を使ってオープニングやエンディングを飛ばして、実質1話あたり20分くらいで見終えている人が多いから、こういう特別編集版が各話個別の再放送よりも重宝されるんだろうね。

アニメのオープニングやエンディングを各話ごとにきちんと見てクレジットを細かくチェックしたり、映画は必ずエンド・クレジットも含めて最後まで見るなんて人間は頭のおかしい奴だと思っている人がいかに世の中には多いかってことなんだろうね…。
個人的には、シリーズもののオープニングやエンディング、映画のエンド・クレジットなども含めた全てを見た者だけが絶賛するにしろ、酷評するにしろ、作品を評価する資格があると思うんだけれどね…。

そして、劇場版公開前に、テレビシリーズ版が配信で人気を集めていた時期にしろ、劇場版が公開されてからにしろ、“鬼滅!”“鬼滅!”と騒いでいた人たちのほとんどが他のアニメや映画に興味を持たない理由もこれで納得した。オープニングやエンディング、エンド・クレジットなんかを見ない人は基本、そんなにアニメや映画には思い入れがないからね。

それにしても、1期全26話をまとめた5本の特別編集版と劇場版の計6エピソードを見ただけで、原作も読んでいないし、通常のテレビシリーズも見ていないけれど、これでよく、鬼滅好きの人は熱中できるよねって正直思った。

面白いけれど、話は結構浅いし、主人公・炭治郎の仲間である、善逸や伊之助だって、そんなに出番はない。柱と呼ばれる人の多くはテレビ版の終盤にちょこっと出てきただけなのに、それで、劇場版の煉獄に涙を流せるって、どういうこと?

結局、原作を何度も読み、テレビ版を何度も見ているから、愛着が増しているだけなのでは?

単に原作を1回読んだだけ、テレビ版をシリーズなり、特別編集版なりで1回見ただけの人なら、面白いとか、ちょっと感動したとかは思うけれど、そこまで、大絶賛できる内容でも、キャラクターに感情移入できる作品でもないと思うんだけれどね。

というか、やたらと兄妹の絆をうたっているけれど、禰󠄀豆子の出番も少ないしね。

まぁ、竈門炭治郎のうたが流れるシーンの映像とか、アイキャッチで流れるカットとかを見ると、炭治郎と禰󠄀豆子って、近親相姦の関係なんじゃないかって思えるほど密着しているけれど、本編では、そういうシーンはそんなにないよね。

そもそも、兄妹の関係って、姉弟とか兄弟、姉妹の関係よりも険悪だからね!

こういう、妹を必死に守る兄の物語もそうだけれど、妹萌えのアニメとか、兄妹の近親相姦もののAVなんて現実にはありえないからね!

兄は妹に対してムカついているし、妹も兄に対してムカついているからね。
それは、小学生だろうと、20代だろうと、中年だろうと、老人だろうと変わらない!

でも、禰󠄀豆子は可愛いよね!

そういえば、鬼頭明里の恋愛騒動の続報って入ってこないよね。
バースデーイベントのキャンセル分のチケット販売が行われているってことは、恋愛騒動で離れたファンがいるんだろうね。

花澤香菜くらいのキャリアがある人だって、恋愛騒動が報じられて以降、アイドル的な人気は下降したんだから(実力は評価されているが)、もう少しキャリアを積むまでガマンすれば良かったのにねって感じかな。

まぁ、コロナ禍になって、声優の仕事の仕方や生活の仕方も変わったから、プライベートが充実しやすくなったってのもあるとは思うが。

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