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Arc アーク

朝ドラというのは、20代の俳優が中高生時代を演じたりすることもあり、正直言って、AVのコスプレ一歩手前状態のことも多い。
その一方で、その若手が中高年の役も演じたりするが、映画のように特殊メイクを施したりする時間もないから、ほとんどが白髪まじりのカツラと中高年っぽい服装でごまかしているだけで、正直言って、コントにしか見えないことも多い。

ただ、その一方で、10代から中高年まで演じられることから、若手俳優にとっては、朝ドラは演技力を増強させる絶好の場となっている面もある。

だから、2016年秋から2017年春にかけて放送された朝ドラ「べっぴんさん」で主演を務めた芳根京子にとっては、10代から90歳までの主人公を演じると同時に、主人公の孫役までを担当する本作は適任と言えるのではないだろうか。

と思っていた…。

でも、10代の演技がやけに下手くそに見えたのは何故?10代の頃は自身がないという設定だから?
まぁ、この時代を演じていた時のルックスは可愛いとは思うけれどね。

ただ、年を重ねて自身がついてからの30歳の時の演技は確かに見事で、20代前半の女優ではなく、実際にアラサーの女優が演じているようにも見えた。だから、10代の下手くそ演技はわざとなんだと思う。

でも、不老不死となってからの彼女は全然、30歳の時と見た目も精神面もほとんど変わっていない。正直言って、ガッカリしてしまった。

そして、不老不死の治療?をやめて、135歳になった主人公が登場するが、これを芳根京子ではなく、倍賞千恵子が演じているのも理解できない。
しかも、そのシーンでは芳根京子は主人公の孫として登場している。
映画なんだし、しかも、外資系のワーナー作品なんだから、芳根京子に特殊メイクを施して、135歳を演じさせることだってできたはずだ。

それをやらないということは、芳根京子に見た目も精神面も高齢者の役を演じさせることはできないという判断なのか?
醜い芳根京子を見せたくないということか?それとも、彼女にはそこまでの演技力はないということか?
「累 -かさね-」や「ファーストラヴ」という近作で彼女の演技を買っていたが、それは買いかぶりだったのだろうか?

それにしても、本作はツッコミどころだらけの作品だった。
そもそも、海外文学が原作だから、それを日本で映画化するのは無理があるんだよね。

弟→姉、娘→母、部下→上司など、身分が上の者をファーストネーム呼び捨てにする場面が多かったのは違和感だらけだったな。
ネタバレになってしまうが、5歳の妹が70代の兄をファーストネーム呼び捨てにするシーンなんて、いくら、その時点ではきょうだいだとは分かっていないとはいえ、というか、血縁関係が分かっていないなら尚更、5歳が70代を呼び捨てにするなんてありえないしね。

相手に対して、“君”とか“あんた”、“お前”でなく、“あなた”と呼ぶ人が多いのも、翻訳調って感じだったかな。

それから、大晦日のシーンで花火が打ち上げらることにも違和感があった。
確かに、世界のほとんどの国や地域では、新年のカウントダウン・イベントには花火の打ち上げが必須となっている。というか、それくらいしか目玉がない。
ぶっちゃけ、カウントダウン・イベントの風景が世界基準と異なるのは、日本とニューヨークだけだ。
だから、原作では普通に描写されていた花火の風景をそのまま、本作でも描いてしまったのだろうとは思うけれどね。

あと、不老不死の治療を受けられる人とそうでない人の格差を巡り、暴動レベルのデモが起きていたが、日本じゃ、それくらいじゃ、デモなんて起きないでしょ。というか、日本では鉄道会社のストライキだって、80年代半ば以降まともに起きていないし、普段、デモと呼ばれているものだって、海外から見たら、デモでもなんでもないただの整列行進だからね。

ただ、この治療薬をめぐる描写に関しては非常にタイムリーだと思った。

この不老不死の治療を受けられる人間とそうでない人間の間に格差があったり、治療を受けなかった人間に対して、“何故受けないんだ?”みたいな非国民扱いする空気が流れたり、年齢によって効き目に差があったり、人によっては副作用が出たりといった描写は、このご時世で見ると、嫌でも新型コロナウイルスのワクチン接種を思い浮かべてしまう。

住んでいる自治体や、通っている職場や学校の対応によって、ワクチン接種が迅速に済んでいる人とそうでない人の差が明らかに出ているしね。

また、職場なんかでは、一人一人、接種の意向を確認すると言いながらも、実際は、接種しない人間を非常識な人間扱いする風潮も高いからね。

そういう、今、世の中で起きていることと非常にシンクロしているとは思った。

ところで、作中では、主人公が薬品の入った注射を腹部に打つ描写があったが、本作における不老不死の治療というのは、糖尿病患者のインスリン注射や、トランスジェンダーのホルモン注射のように、半永久的に打ち続けないと効果がなくなってしまうものなのかな?
実際、主人公が治療をやめて高齢者になった描写があるってことはそういうことなんだろうね。

そのほか、色々とおかしな点はあるが、一番おかしいのは登場人物の年齢だと思う。

主人公は17歳で産んだ子どもを捨ててしまった。ところが、30歳の時に、主人公は気づかなかったものの、その子と遭遇している。
でも、明らかに、その場にいた子どもは小学生なのは何故?13年経っているのだから、中学生では?

そして、主人公の夫は、不老不死の治療薬が体に合わなかったので、若くして死ぬことになったが、この夫との間にできた娘が主人公が89歳の時に5歳というのがよく分からない。
保存された精子を使い子作りしたのか?それとも、見た目は5歳だが、実際は不老不死の治療を受けているから違うのか?

でも、主人公が不老不死の治療をやめて135歳になった時には、娘は中年の姿(といっても実年齢よりは若く見える)で登場している。
ということは、ある程度の年齢にならないと不老不死の治療は受けられないということなのだろうか?

そして、作中では40歳になってから治療をはじめたのでは遅いとも言及されている。ということは、主人公の娘はギリギリまで治療を受けるかどうか迷っていたということか?

全く時系列がデタラメな作品だ!

とりあえず、芳根京子のアイドル映画としては、合格点なのかもしれないが、SF映画や死生観を描いたヒューマン・ドラマとしては駄作の極みだった。

とはいえ、コロナ禍になって、自分の死を恐れるようになったのも事実なので、この作品で描かれているテーマは時代とはシンクロしていると思う。

≪追記≫

ちなみに一番気になったのは、作中でラジオのパーソナリティーだかなんだかが、出生率をしゅっせいりつと読んでいたことかな…。

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