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第93回アカデミー賞

アカデミー賞授賞式をきちんと見るようになって今回がちょうど30回目となる。

1992年開催の第64回アカデミー賞授賞式(1991年度)の直前に初任給でBS内蔵のテレビを買ったことにより、授賞式全編を見ることができるようになったからだ。それ以前は、地上波でダイジェスト版が放送されていた時になんとなく見たりしていた程度だった。

そして、この30年間のうち10年連続を含む通算12年間は当時の担当番組で授賞式映像を使って受賞結果を伝えるミニ特集的なコーナーを担当し、宣伝会社などからも一定の評価をもらったりもしていた。授賞式を使わないで結果だけを伝える原稿やVTRの作成を行った年も含めれば、通算15年くらい授賞式の報道に携った。

一般向け、マニア向け、エンタメ寄り、ニュース寄り、それらを全て包括した原稿やVTRの作成なんて自分だからこそできたのだと今でも思っている。ほとんど公私混同だけれどね。

しかし、ここ最近は日本のテレビ局がそういうものを求めなくなっていて、日本関連の受賞結果しか伝えなくなっているので、自分がそういう公私混同した仕事をする機会もなくなってしまった。だから、ほとんどマスターベーションだが、こういう文章を書いている。

まぁ、最近のポリコレ一色の受賞・ノミネート状況には、一般的な日本人よりもポリコレ感覚はあると思っている自分でも嫌気がさしているので、日本とかアジア絡み以外の受賞結果に日本のメディアが興味を持たなくなるのも当然だよなとは思うけれどね。

というか、米国ですら、そうしたポリコレ配慮のアート映画ばかりが受賞・ノミネートされる状況に嫌気がさしているから、ここ最近の授賞式の視聴者数がふるわなくなっているわけだしね。

そして、今回の第93回(2020年度、正確には2020年1月から2021年2月対象)はコロナ禍ということで、そもそも劇場公開作品が少ない上に、劇場公開を予定していた作品は最終的に配信オンリーになってもノミネート資格を得られるという規定に特例で変更されたことから、作品賞には配信映画が3本もノミネートされた上に、その3本を含むノミネート作品8本全てが広義のアート系映画になってしまった。

ここ最近はポリコレ要素はあっても、ホラーの「ゲット・アウト」(2017年度)、音楽ものの「ボヘミアン・ラプソディ」、「アリー/スター誕生」(いずれも2018年度)、アメコミ原作ものの「ブラックパンサー」(2018年度)、「ジョーカー」(2019年度)といった一般観客向け作品がノミネートされていたが、今回はそういう“大衆向け”はゼロだからね…。

ミニシアター系映画が好きな人以外にはほぼ注目されていないと言っていいと思うな。コロナ禍でここ最近のトレンドだった洋画離れがさらに進んだ日本では特にその傾向は顕著だと思う。何しろ、授賞式数時間前になっても、Wikipediaのアカデミー作品賞の日本語ページには、今回のノミネート作品が全く記載されていないからね。

そんな、一般アピールする要素がほとんどない今回のアカデミー賞、授賞式の中継を見た感想は以下に列記する通り。

●今年のWOWOWの中継は本当酷いな。雑だな…。
Qカットの途中でWOWOW側のスタジオに戻したり、現地でCMが明け、本編が始まっても、まだ、WOWOW側のゲストが話していたりとか、本当酷い。それから、WOWOW側のゲストにジャニーズを呼んだりして、映画マニア以外に見させようってことをするの、いい加減にやめてほしい。そういう人って、一時的にWOWOWに加入したとしても、すぐに退会するんだから、何があっても契約し続ける映画マニアが納得いく人をキャスティングしろよって思う。というか、町山にもっと話させた方が良かったのでは?町山自体は嫌いだけれど、こういう場で米国の社会情勢を絡めて作品の背景を語れるのは町山だけなんだからさ。ジャニーズの感想なんていらないんだよ。

●何か今回のアカデミー賞授賞式、プレゼンターのセリフからそのまま、シームレスにノミネート紹介になるパターンが多い。
あと、ノミネート振り返りの際、これまでは作品のクリップと裏方系の部門、たとえば衣装ならデザイン画、脚本ならスクリプトの写しをミックスして紹介したりしていたが、今回は候補者の顔だけというパターンが多い。
演技部門ですらクリップが流れない。クリップが流れたのは作品賞、長編アニメーション賞、長編ドキュメンタリー賞などごくわずかな部門だけ。リモートだと、外に持ち出せない素材とかがあって、編集できないとか、そういう感じなのかな?

●今回は何かダラダラしたスピーチが多い。時間制限はどうなったんだろうか?1回もマキを指示する音楽が流れなかったし…。もしかすると、ポリコレ的な作品ばかりノミネートしてしまったせいで、スピーチ途中でマキを指示するBGMを流すと、ポリコレ的メッセージを発している黒人や女性を蔑視していると捉えられてしまうから、マキを指示できなくなったのか?
完全に今回のアカデミー賞授賞式は、リベラルのマスターベーションだな。ここ最近、米国での中継番組の視聴者数はそのポリコレ色のせいでふるわなかったけれど、これだと、さらに加速するのでは?

●今回、「ノマドランド」のクロエ・ジャオ監督が監督賞を受賞したが、この10年間のアカデミー監督賞受賞者(延べ人数)を振り返ってみると、メキシコ人5回、アジア人3回、フランス人1回、米国人1回って感じで、英語圏の監督が1回しか受賞していないんだよね…。本当、ポリコレ祭のアカデミー賞だな。そして、監督賞のプレゼンターを務めたポン・ジュノ監督だが、相変わらず通訳女性とコンビ芸をやっているのか…。

●短編賞(実写、アニメ、ドキュメンタリーの3部門すべて)のノミネート振り返りの際にクリップを見せないのはどうなのよ?どうせ、注目されない賞だから、そういう扱いなんだってことなら、いっそのこと、短編3賞を統合すればいいのに。まぁ、その場合はノミネート枠は5本より増やす必要はあるとは思うが。

●短編アニメーション賞のノミネート振り返りでパヤオに言及した際に、ハヤオ・ミヤザキではなくミヤザキ・ハヤオって言ったのもポリコレ仕様なんだろうか?欧米式でなくアジア式の呼び方にしようってことなんだろうね。


●ブラピがプレゼンターの時点で助演女優助演受賞者の想像はつくよね。予想通り、彼が製作総指揮を務めた「ミナリ」のユン・ヨジョンが受賞したし。

●「サウンド・オブ・メタル」の音響賞受賞は納得。ところで、以前は録音賞と音響編集賞に分かれていた音響系2賞が統合されたが、WOWOWはその統合された賞の邦訳呼称を音響賞にしたのか。まぁ、音響系2賞の統合は当然だよね。ほとんど、ノミネート作品も候補者もかぶっていて、業界関係者ですら違いをはっきりと指摘できていなかったしね。

●最後に発表する賞が作品賞ではないって、何考えてんだ?
あれだろ、他界した黒人(チャドウィック・ボーズマン)が主演男優賞を受賞して、いかにもなポリコレ祭的なエンディングにしようと思って、作品賞ではなく主演男優賞を授賞式の最後に発表する賞にしようと画策していたのでは?
ところが、受賞したのは、黒人どころかムスリム候補(リズ・アーメッド)でもアジア系候補(スティーヴン・ユアン)でもなかった。しかも、残った白人候補2人(ゲイリー・オールドマン、アンソニー・ホプキンス)のうち、会場にも中継先にもいない方(アンソニー・ホプキンス)が受賞するという非常に盛り下がる結果になってしまった。ざまぁ見ろって言いたくなるな…。
でも、こういうのを見ると、本当にアカデミー賞って、中継番組のスタッフやプレゼンターには事前に受賞結果が伝えられていないんだなというのを実感する。

●ポリコレ祭といえば、ラジー賞まで民主党支持者向けの賞になってしまってガッカリ…。トランプ支持の実業家を主演男優賞、ジュリアーニを助演男優賞に選ぶのみならず、「ヒルビリー・エレジー」を反民主党映画と決めつけてグレン・クローズをワースト助演女優賞候補に選ぶのだから、ありえないとしか言えないな。

●2部門受賞の「ジューダス・アンド・ザ・ブラック・メサイア」って、本当に日本で劇場公開する気ないのかな?作品賞候補なんだから、小規模でもいいから公開しろよって言いたい。

●そういえば、「シカゴ7裁判」は無冠に終わったな…。個人的には現時点で日本で見られる作品賞候補のうち、一番面白いと思ったのはこれなんだけれどね…。一番作品賞向けの内容と思ったのは「マンク」だけれど、ネトフリ映画ってことで受賞はなかったんだろうね(「シカゴ」もネトフリ映画だし)。かといって、いくら劇場用作品であっても「ミナリ」は米国映画であるにもかかわらず、台詞がほとんど韓国語だから、これを選ぶと2年連続韓国勢の作品賞受賞になってしまう。そういう諸々の事情から消去法でいけば、「ノマドランド」の受賞になるのは当然なんだよね。


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