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「おかえりモネ」は本当につまらないのか?

ツイッターで「おかえりモネ」というキーワードで検索しようとすると、“つまらない”という第2検索ワードがサジェストされる。

それだけ、本作をつまらないと思っている人が多いということなのだろうとは思う。

個人的には、朝ドラの前作「おちょやん」や、前々作(東京制作では前作)の「エール」の方がつまらなかったとは思うが、世間的には本作をつまらないと思う人の方が多いようだ。

ネット民はよく、ニュース番組やワイドショーで関東の情報が全国放送されていることを批判しているが、何故か、彼等は関東で制作したものをそのまま垂れ流している地元のローカル局ではなく、その番組を制作している東京のキー局に対して文句を言うことが多い。

本来なら、地元の情報を発信する番組を制作する金も人材もないから東京で作られた番組をそのままネットしているローカル局を批判すべきだと思う。
でも、彼等は東京(首都圏、関東)の不要な情報を全国に流して洗脳しているとしてキー局の批判を熱心にしている。
その背景にあるのは言うまでもなく、東京(首都圏、関東)に対する嫉妬や劣等感だ。

それと同じ感情が朝ドラに対してもあるのだと思う。だから、通常、東京制作の朝ドラはネット民に批判されやすく、その一方で、大阪制作のものは絶賛されやすい傾向がある。

「エール」は後半は絶賛されたが、前半は通常の東京制作作品同様、酷評されていた。
新型コロナウイルスの影響で制作や放送が中断され、通常なら間もなく大阪制作作品にバトンタッチするような時期に放送が再開されたので、おそらく、コアな支持層が入れ替わったというのもあるのではないだろうか。

「エール」の前半もそうだし、その前の東京制作作品「なつぞら」や、さらにその前の「半分、青い。」もそうだが、主人公クラスの人間がワガママだと批判されていたのは、確実に全国的には恵まれた環境にある関東民への嫉妬から来ているものだと思う。

以前から、ツイッターでは、朝ドラに関してハッシュタグをつけてコメントする場合、批判的なコメントをする場合はただのタイトルにハッシュタグをつけたものではつぶやいてはいけないというアホな決まりが作られていた。

特定の人種や性別、宗教、職業などを差別するものでなければ、何をつぶやいてもいいはずのツイッターで、こんなアホなローカルルールを作るのはいかにも日本らしいが、そのアホな決まりのせいで、タグ付きで批判的なコメントをする人は、タイトルの後に反省会という言葉をつけなくてはいけないという決まりになってしまった。本当、バカじゃないのかと思う。

でも、不思議と大阪制作の作品では、反省会タグ付きのつぶやきはのびないんだよね。
東京制作だと、次から次へと批判的なコメントが出てくる上に、「半分、青い。」では“半分白目”、「なつぞら」では“なちゅぞら”、「エール」では“萎エール”といった具合に、反省会タグ以外にも作品名を文字った批判用のタグが作られたりもした。今回の「おかえりモネ」でも既に何パターンかのそういうタグが作られているようだ(そのうち、一本化されるのかな?)。

結局、東京(首都圏、関東)批判したい人が批判しているだけだから、東京制作作品に対する相次ぐ批判コメントというのはあまりあてにならないと思う。

そうしたアンチ東京制作の声が最も可視化されたのは、「半分、青い。」だと思うが、あれは、団塊ジュニアが40歳になるまでを描いた作品であるはずなのに、背景として描かれた風俗が団塊ジュニアのものではなく、大して実力もないのに好景気のおかげでいい思いができたバブル世代のものだったから批判されたんだよね。

あと、主人公が自分勝手な性格だったり、主人公の障害者設定が意味なかったりというのも批判の対象だった。 
それから、脚本家が間違いを指摘されても逆ギレして間違いを認めなかったことも批判の対象になった。

でも、団塊ジュニアが日本の歴史上最も不運だらけの世代であるから、何をやっても思うようにいかないというのは描かれていたし、主人公やその周囲のクリエイティブ職の人間たちの苦悩みたいなものは結構、リアリティある描写がされていた(まぁ、件の脚本家は団塊ジュニアではないから団塊ジュニアの風俗は描けなかったかもしれないが、脚本家はクリエイティブ職だから同じクリエイティブ職に属する人間の描写はきちんと描けるしね)。

それから、「半分、青い。」もそうだし、「なつぞら」もそうだし、「エール」もそうだけれど、せっかく手にした安定した職業を捨てて、クリエイティブ職に就くというのが、非関東民に嫌われる理由であるのかもしれない。

だから、森林関係の仕事をしている主人公が気象予報士になるらしい今回の「おかえりモネ」も批判されているのだと思う。しかも、モネは中学生の頃は音楽の世界で生きていくことを目指していたということだから、転身に次ぐ転身だしね。

同じクリエイティブ職の主人公ものでも、大阪制作の場合は、「おちょやん」の主人公は幼い頃の奉公先からして既に芸能の世界だったし、「スカーレット 」や「わろてんか 」、「べっぴんさん」といったあたりは、幼少時に後に就く仕事へのきっかけをつかんでいる。

「なつぞら」は、いくら主人公が幼少時に米国のアニメーションを見て衝撃を受けたり、絵を描くのが上手な同級生と仲良くなったりと、後の仕事につながる出合い・出会いがあったとはいえ、その後、農業学校に通ってしまった以上は、そこから再びアニメーションの世界に進むのはポリシーのない奴と見られてしまうしね。

結局、非関東民ってのは、この道一筋○年みたいのが好きだし、いわゆるクリエイティブ職をまともな仕事と思っていないのが多いから、職業を転々とした上に、クリエイティブ職に就く主人公が多い東京制作の朝ドラを嫌うんだと思う。

自分も以前住んでいた家の隣人が地方出身者だったが、彼等からは自分のやっているマスコミ関連の仕事に関して、色々と嫌味を言われたしね。

それから、死んだ父親は四国生まれ関西経由で東京に出てきた人間だが、彼も自分の仕事に対しては批判的だったしね。

ここ5年ほどの東京制作の朝ドラで唯一、ネット民の評価が高かった「ひよっこ」は主人公の転職は、就職先の倒産というやむを得ない事情によるものだし、親友は女優になったが、主人公はクリエイティブ職には就かなかったから、そういう面で批判されにくかったのだと思う。

それから、東京制作の朝ドラってイケメン俳優祭になりがちで、そうした俳優のファンがどんなに酷い演出の回でも大絶賛コメントをSNSで連発し、きちんと作品の評価をしないってのも嫌われる理由だと思う。

今回の「おかえりモネ」でも、キンプリのメンバーが出演していることから、ジャニオタがそうしたマンセーをしているからね。
一時期、キネマ旬報がベスト・テンの投票をキネノート経由のネット投票でも実施していたが、ジャニオタの組織票により、ジャニーズ出演映画がやたらと読者投票の上位に来るようになってしまい、全然、映画通を名乗る人たちが求めるランキングでなくなってしまったことから、結局、ネット投票をやめてしまった。

こうした、自分の推しが出ている作品はどんなに酷い内容でもマンセーするという、ここ8年半くらいの風潮は本当、文化をダメにするだけだからやめた方がいいと思う。
どんな酷い政治でも、批判すると反日・在日扱いされるから、自民党批判できなくなったこととまるで同じ流れだよね。
本当、政権批判しにくくなった、この8年半で日本という国はどんどん後進国になっていったしね。

先述したように、「おちょやん」や「エール」だってつまらなかったと思う。でも、登場人物に対して喜怒哀楽の感情を抱いているうちに、作品に対する親近感も増していったんだよね。
「おかえりモネ」は現時点では、登場人物に対して、共感どころか怒りの感情すらわかない。それどころか、何やっているんだろ、この人たち?と思ってしまうというのが最大の難点だと思う。

そうなってしまうのは、「おかえりモネ」が他の朝ドラのように、子ども時代から時系列で描いていき、視聴者が登場人物と一緒に“出来事”を経験するということがないからだと思う。

たとえ、1週間でもいいから、子役が演じる子ども時代や、作中の現在である2014年のシーンを演じる俳優による中学生・高校生時代を描いてから、現在のシーンのストーリーを展開していれば、個々のキャラクターに対する理解も深まっていたと思うんだよね。

そういう、キャラクター描写を掴む上で必要なエピソードを回想にしてしまうから、ストーリーもキャラクター描写も薄っぺらく感じてしまうんだよね。
まぁ、最近のドラマや映画って、回想シーンが多すぎるよね。
昔は、脚本を書く上での基本として、“回想は能のない奴がやる作劇法”って教えられていたんだけれどね。


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