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最近、大物洋楽アーティストの訃報が多い

正確に言うと、自分がキャリアや代表曲を把握し、好きな曲が何曲かあるアーティストの訃報が増えたと言うべきだろうか。
多くのアーティストが亡くなるのは別にここ数年に限った話ではない。
10年前だろうと、30年前だろうと、いつの時代でも多くのアーティストが他界している。
単に自分が年を取ったから、死去が報じられたアーティストの中に自分が知っている人が増えただけの話だ。

とはいえ、訃報を知ってショックを受けるケースが増えたのは事実だ。
それは、リアルタイムでヒット曲や名盤に接していたアーティストの訃報が増えたからだ。繰り返しになるが、自分が年を取るということは、アーティストだって年を取るということだ。だから、自分が10代とか20代の時にヒット曲や名盤を放った当時40代以上だったアーティストの訃報が出るのも当然と言えば当然のことだ。

でも、ヒット曲や名曲と呼ばれる楽曲を何曲も知っているアーティストでも、コンスタントにヒット曲や名曲を放っていた時期が自分が本格的に音楽マニアになる前のアーティストだと、つまり、自分がリアルタイムでその全盛期を経験していないアーティストだと若干、訃報を知っても冷静でいられる面もある。

たとえば、ロニー・スペクター(本稿に登場する故人は敬称略)もそうだ。
彼女がメンバーだったロネッツの“ビー・マイ・ベイビー”は自分が音楽マニア、特に洋楽の道に足を踏み入れてしまった80年代半ばの中2の頃(中二病という言葉って本質を的確に表現していると思う。中2の時にハマったものから一生離れられないってことだからね)、ラジオではオールディーズとしてよく流れていたし、1987年には映画「ダーティ・ダンシング」のオープニング曲として再注目されていた。 

また、この楽曲がロニーの元夫でプロデューサーでもある(殺人の疑いで有罪判決も受けている)フィル・スペクターが手掛けるサウンドの特徴を表す言葉である“ウォール・オブ・サウンド”を代表する1曲ともなっているので、音楽好きなら知っていて当然の楽曲だ。

フィルが去年、ロニーが今年と立て続けに亡くなったのも何かの縁なのだろうか。

余談だが、オールディーズという言葉って死語になりつつあるよね。まぁ、60年代までは短期間で解散するグループも多かったし、ソロだって、人気アーティストでいられる期間は短かったけれど、70年代以降は長期間にわたって現役で活動するアーティストが増えたから、70年代以降の楽曲をオールディーズと呼べなくなってしまったというのはあるけれどね。

話を戻すが、知識としてロネッツは知っていても、全米チャートにヒット曲を何曲も送り込んでいた時代は自分が生まれる前の60年代だ。
だから、自分にとっては歴史上の人物に近い存在だ。

ロック黎明期の重要アーティストの1人であるジェリー・リー・ルイスも今年他界したが、彼もそうした歴史上の存在だ。
代表曲“火の玉ロック”は1986年の映画「トップガン」、そして、36年ぶりの続編として今年公開された「トップガン マーヴェリック」では出演俳優の歌唱バージョンで使われている。
勿論、先述した“ビー・マイ・ベイビー”同様、80年代にはよくオールディーズとしてラジオでこの曲を耳にした。
でも、この楽曲自体は1957年のリリースだ。自分の母親ですら、まだ小学生だった頃の楽曲だ。
なので、自分にとってはロネッツ以上に歴史上の存在に思えてしまう。

今年亡くなったアーティストのうち、ロニー・スペクターやジェリー・リー・ルイスより後の世代でも、自分にとってはリアルタイムで接していないなと感じるアーティストもいる。
オリビア・ニュートン・ジョンはそうしたアーティストの1人だ。

“カントリー・ロード”や“そよ風の誘惑”などといった70年代の楽曲は今でもよく耳にする機会が多い。
また、70年代終盤から80年代初頭にかけての「グリース」や「ザナドゥ」といった主演映画は彼女自身が歌うミュージカルナンバーとともに親しまれている。
また、1981年にリリースされた“フィジカル”は全米シングルチャート10週連続1位という特大ヒットになっている。
でも、1985年の“ソウル・キッス”を最後に全米トップ40ヒットは放っていない。この曲がリリースされた頃がちょうど自分が国内外の洋楽チャートをチェックするようになった頃だけれど、あまり、テレビやラジオでこの曲を見聞きした記憶はない。ぶっちゃけ、日本ではこの時点ではオワコン扱いだったのだろう。というか、全米チャートではトップ40入りしなかった88年の“噂”の方が日本ではラジオでよくかかっていた気がする(エルトン・ジョンが参加していたからかな?)。
なので、オリビアも自分にとっては、歴史上の人物に近い存在となっている。

でも、クリスティン・マクヴィーは違うんだよね。

彼女がメンバーだったバンド、フリートウッド・マックの全盛期は一般的には、70年代から80年代前半とされている。

ビル・クリントンの大統領選キャンペーンで使われた“ドント・ストップ”や2020年にリバイバルヒットした“ドリームス”収録の『噂』(77年)。
“セーラ”など収録の2枚組の『牙』(79年)。
80年代っぽい“ホールド・ミー”収録の『ミラージュ』(82年)。

といった具合にこの時期のアルバムはロック史に残る名盤はがりだからこの時期が全盛期と呼ばれるのは仕方ないとは思う。

でも、自分が洋楽を聞くようになった、音楽マニアになった80年代後半以降もマックはヒット曲を放っていた(ヒットチャートの常連だったのは90年代初頭までだが)。

特に大成功を収めたのが87年のアルバム『タンゴ・イン・ザ・ナイト』だ。
我々、団塊ジュニアにとっては、70年代から80年代前半にかけてリリースされたアルバムと並ぶ名盤だ。というか、リアルタイムで接している分、そうした名盤よりも親近感のあるアルバムだと思う。

リンジー・バッキンガムの“ビッグ・ラヴ”、スティーヴィー・ニックスの“セヴン・ワンダーズ”、クリスティン・マクヴィーの“リトル・ライズ”と異なるリードボーカルによるタイプの違うヒット曲が続々と生まれたからね。

そんなわけで、自分が好きなフリートウッド・マック曲をランク付けするとこんな感じかな。

①リトル・ライズ
②セイヴ・ミー
③ビッグ・ラヴ
④セヴン・ワンダーズ
⑤ドント・ストップ

世間、特に日本の洋楽メディアの連中との感覚はずれているかもしれないが、やっぱり、『タンゴ・イン・ザ・ナイト』およびその前後が好きなんだろうな…。

それから、こうやってランク付けしてみると、クリスティン・マクヴィーが中心となっている曲が好きだということもよく分かった。
というか、“リトル・ライズ”は名曲中の名曲!

それにしても、87年にリリースされたアルバムって、マイケル・ジャクソンの『BAD』とかジョージ・マイケル『FAITH』、デフ・レパード『ヒステリア』、ガンズ・アンド・ローゼズ『アペタイト・フォー・ディストラクション』、U2『ヨシュア・トゥリー』など、ヒット曲を何曲も生んだモンスターアルバムが多いよね。


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