ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ
前作「ジョーカー」はアメコミ原作映画としては異例のベネチア国際映画祭金獅子賞(最高賞)受賞作品となった。
また、アカデミー賞では作品賞など11部門でノミネートされ主演男優賞など2部門で栄誉に輝いた。アカデミー作品賞のノミネート枠が拡大されたのは同じく「バットマン」シリーズの悪役ジョーカーにスポットライトを当てた「ダークナイト」が作品賞候補にならないのはおかしいという声を受けてのものだっただけに、同作が映画祭や映画賞で高評価となったことには感慨深いものがあった。
その一方で同作に対しては批判的な声も多かった。米国ではリベラル層、日本では保守層、正確に言うとネトウヨからバッシングされた。
同作で悪役扱いされたエリート、金持ち、権力者のようなタイプの者が米国にはリベラル層、日本には保守層・ネトウヨに多いから、彼等は自分たちや自分たちのリーダーが批判されたと思ったのだろう。
また、日本の保守層・ネトウヨは小泉政権以降の政権の恩恵を受けられない者は自己責任、左派思想を持つと政権の恩恵を受けられないという洗脳にかかっているため、極端に貧困層を嫌う傾向がある。だから、年老いた母親を養いながら自らも精神的な病を抱えている売れない芸人のジョーカーを毛嫌いしていたのだろう。
そして、本作は前作以上に否定的な感想が寄せられている。
そりゃそうだ。
続編が作られること自体、前作の否定になるからだ。前作が支持された理由には、どこまでが(ストーリー上の)現実で、どこからが空想・妄想か分からないという構成が評価されたというのがあったと思う(さすがに全て空想・妄想ではないと思うが)。
続編が作られたということは、前作で描かれたことは全て現実ということになるわけだからね…。
また、いきなりカートゥーン調のアニメーションで始まったり、ヘタウマ歌唱のミュージカル・シーンが次から次へと出てくるという構成についていけない人もいるとは思う。
自分も最初のアニメ部分を見て、“短編アニメーションの同時上映があるなんて聞いてないぞ”って思ったくらいだ。
でも、ミュージカル・シーンは効果的だったと思う。既発表曲を使ったいわゆるジュークボックス・ミュージカルというやつだが、きちんと、台詞やストーリー展開の役割を果たしていて、選曲のうまさに感心した。
日本でこの続編は米国ほど酷評されていないということを考えると、本作に対する批判の理由は作中における政治思想しか考えられない。
結局、米国のメディアや批評家はプアホワイト(≒トランプ支持者)のジョーカーが完全な悪役として描かれず、それよりも、ジョーカーに心酔して彼を神のように思っていた大衆や、彼を面白おかしく取り上げていたマスコミの方がクソだと描写したのが気にくわないから酷評していただけなのでは?
「シビル・ウォー アメリカ最後の日」が欧米のメディアに評価されなかったのも同じような理由だと思う。
彼等は民主党的なものも共和党的なものもどちらも悪っていう描き方が嫌いなだけ。民主党が100%正義と思っているから、少しでも民主党に対する批判の要素があると酷評するんだろうね。
元々、本シリーズは前作の時点で米国のリベラル層には受けが悪かったのだから、米国のメディアや批評家のことは無視して見ればいいと思う。
まぁ、日本でも前作に影響されて犯罪を起こしたバカがいたから、そういう連中からすると、ジョーカーというかアーサーの弱い部分をさらけだし、彼は神でもカリスマでもないというのを描いた本作はクソ映画なんだろうが。
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