朝ドラワースト作品更新なるか「ちむどんどん」
朝ドラが週5体制になって5作目、そして、コロナ禍になってから放送開始された朝ドラとしても5作目となる「ちむどんどん」がスタートして1ヵ月(4週間)を迎えた。
その5作は以下の通りだ(日付は第1話放送時点のもの。タイトル後の英記号はAKがNHK東京制作、BKが大阪制作)。
2020年3月「エール」AK
2020年11月「おちょやん」BK
2021年5月「おかえりモネ」AK
2021年11月「カムカムエヴリバディ」BK
2022年4月(放送中)「ちむどんどん」AK
個人的には完結していない「ちむどんどん」も含め、全て駄作だと思っている。
コロナ禍に入ってからの5作とコロナ前の5作品に対する個人的な評価は以下の通り(満点は⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎)。1週間まとめや総集編(いずれも基本的には見ていないが)、スピンオフや続編(見ていないものもある)は考慮せず、あくまで、レギュラー放送のみでの評価だ。
コロナ前
わろてんか⭐︎⭐︎⭐︎ BK
半分、青い。⭐︎⭐︎ AK
まんぷく⭐︎⭐︎⭐︎ BK
なつぞら⭐︎⭐︎ AK
スカーレット ⭐︎⭐︎⭐︎ BK
コロナ禍
エール⭐︎⭐︎ AK
おちょやん⭐︎⭐︎ BK
おかえりモネ⭐︎⭐︎ AK
カムカムエヴリバディ⭐︎ BK
ちむどんどん(4週目終了時点)⭐︎ AK
コロナ前はAK作品に対する評価は低いものの(「わろてんか 」の1つ前のAK作品「ひよっこ」は⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎ にしてもいいと思えるほどだったが…)、平均すれば、可もなく不可もなく、平均点レベルの作品という評価をしていた。
しかし、コロナ禍になってからは明らかに評価がAK、BK問わず下がっている。
その理由はやはり、働き方改革という名の事実上の予算削減により、エピソード数が週5回に減ったことに加えて、コロナの影響で放送スケジュールに変更を強いられたことにより、さらにエピソード数が減ってしまったことに起因しているのではないかと思う。
週5放送でも半年間フルに放送されれば全130話(放送期間に年末年始を含んでしまうBK作品は曜日配置によって変動するが、1週間丸々休みとなっても本来なら最低でも125話は放送できる)という構成になるはずだが、コロナ禍になってからの各作品(最終回放送日がアナウンスされていない「ちむどんどん」を除く)の総エピソード数は以下の通りとなっている。
「エール」全120話
「おちょやん」全115話
「おかえりモネ」全120話
「カムカムエヴリバディ」全112話
AK作品では10話分、BK作品では10〜15話程度分、少なくなっていることが分かる。単純計算だが、地上波プライム(ゴールデン)タイムの連ドラなら3〜5話分、予定より早く打ち切られたって感じだろうか。
つまり、その分だけ、本来の構想なら描くことができたエピソードや人物関係が省略されてしまったということだから、ストーリーに無理があるのは当然なんだよね。
そこへ来て、コロナ禍に入り、ロケにしろスタジオにしろ、収録には制限がかかってしまっているため、1つのシーンで登場できるキャラクターの数も絞られてしまうから、脚本の手直しも必要になってくる。
さらに、コロナ前から働き方改革を進めることになっているので、1日に収録できるシーンにも限界がある。
そうした諸事情を鑑みながら、脚本や演出を微調整していれば、そりゃ、本来の構成からずれてしまうのは仕方ないことだと思う。
また、朝ドラ制作者がツイッターやネットニュースでバズることを意識しすぎてしまっていて、脚本の書き方や演出がおかしくなってしまっているということも作品の出来が悪化している要因として指摘すべきだと思う。
たまたま、「おかえりモネ」、「カムカムエヴリバディ」と2作続けてバズったが、この2作品で取り入れられていた、登場人物の謎の言動の意味や消息を途中までしか描かず、後日、その意味や消息を回想シーンや説明台詞で種明かしするという作劇方法は本来はやってはいけないものだ。
脚本や小説の書き方を学んだり、コンテストに応募したりしたことがある者、そうした基本を知った上で映画やドラマを見ているシネフィルのような者からすれば、そんな作劇法はクソでしかない。伏線回収でもなんでもないんだよね。
でも、そうでない人って、こういう脚本で映像化されたものを見て、“すげぇ!謎が解決された!”って思ってしまうんだよね…。困ったことに…。
まぁ、映像の撮影や編集などの仕方でも今なんて、ドラマ・映画、邦画・洋画、大作・低予算作品、実写・アニメ問わず、イマジナリーラインなんて守られていない作品だらけで、そんなのを気にしていたら、新作映画のほとんどがクソ映画みたいになってしまう状況になっているので、伏線回収の仕方も自分が嫌いな回想シーンや説明台詞で種明かしすることが王道になりつつあるのかもしれないけれどね。
そもそも、朝ドラの新作のスタート時の人気や評価というのは、前作の人気や評価を引きずってしまいやすいんだよね。
前作の視聴率が悪ければ、新作のスタート時の視聴率も良くないし(前作の途中で離脱した人が新作のスタート時に戻ってきてくれないから)、前作の評判が良かった場合はどうしても、新作は前作と比較されてしまう(前作を最後まで見たということは、なんらかの気に入った理由があったということだからね)。
また、本作「ちむどんどん」のようにAK作品というのは内容に限らず、元々、酷評されやすいというのもある。
それは、関西民、地方民などの東京・首都圏・関東への劣等感から来る嫌悪感のあらわれだ。
東京・首都圏・関東のやることが気に入らないから、何でもかんでも批判したいだけ。
“東京・首都圏・関東の自然災害のニュースなんて大したことないんだから伝える必要がない”と言う連中と同じ。
雪国の人間からしたら、東京・首都圏・関東の雪なんて、雪と呼べないレベルかもしれない。
でも、そのちょっとした雪が何百万人もの生活に映像を与えるんだよね。地方の雪ではそこまでの影響を与えることはまずない。
それを分からずに、東京・首都圏・関東の雪の報道を批判している連中は無知の塊でしかないと思う。
そもそも、その報道を批判する際に、そのニュースを垂れ流している地元ローカル局ではなく、そのニュースを発信している東京のキー局を批判しているのも意味不明。本来なら、地元用に別のニュースに差し替えて報道すべきなのは地元局だろ!批判するなら、地元局を批判しろよ!
それから、AK作品には主人公が地方から東京(首都圏)に上京するというストーリー展開のものが多いことも、彼等の反東京感情に火をつけているのだと思う。
ここ最近のAK作品で絶賛の声の方が主流だった数少ない成功作である「ひよっこ」は主人公が茨城から東京という関東内での移動しかしていなかったから、批判の声が少なかったのではないだろうか。
BK作品になると、やたらと、ネット民の声が絶賛だらけになるのは、BK作品には主人公の本拠地が関西圏内での移動というものが多いからではないかと思う。
それから、ジャニーズが出演していたり、人気脚本家が台本を書いていたりすると、その信者によって、絶賛の声であふれてしまい、批判の声がかき消されてしまうというのもある。
「ひよっこ」に比べれば、否定的な声も多かったものの、「おかえりモネ」がAK作品でありながらも、マンセー的コメントが多めだったのは、まさにジャニーズと人気脚本家のおかげだし、BK作品だが、「カムカムエヴリバディ」も同じ構図だ。
勿論、その一方で、関東民の中には、BK作品のテイストが好きになれない人がいるのも事実。正直なところ、自分もそのタイプだ。
自己主張が激しく、ずる賢い人間やダメ人間ばかり出てくるBK作品が苦手と感じることもある。
主観も交えつつ、ネットの声も考慮して、なおかつ、一部の信者やステマ寸前の忖度マスコミの配信記事なんかを無視して、コロナ禍になってからの朝ドラを総合的に評価すると以下のような感じなんじゃないかな?
「エール」
いきなり、第1話で原始人が登場したりするメタな構成でダメだと思った人が多数。
久しぶりに男性主人公作品と言っておきながら、実際は妻となる女性をメインにした週もあり、構成に問題ありと感じていた人が多数。
しかし、主人公にとっては、敵に近い存在でもあった大御所作曲家役がコロナで亡くなった志村けんであったこと。
コロナによる撮影中断で新エピソードの放送が途切れていた期間に離脱した人がいた一方で、この期間の再放送で見た人が新たなファンとなった。
タイトルそのものが、コロナ禍を生きる我々へのエールのように感じた人が多かった。
などのコロナ起因による理由で見方が変わり、いつの間にか愛されるドラマになった。
また、朝ドラにしては珍しく、空襲とか原爆だけではない、海外の戦地の様子を描いたことも高評価につながった。
「おちょやん」
正直なところ、最初の1週間はクソつまらなかった。そして、登場人物は性格の悪い人間だらけ。主人公ですら共感できなかった。
でも、関西的な下品なノリではあるものの、次から次へと不幸が訪れるうちに、登場人物を身近な存在として感じるようになり、○したいと思った主人公の父親ですら、死に際には涙を流してしまうようになっていた。
「おかえりモネ」
思わせぶりな言動を見せて途中で投げ出し、しばらくしてから、その理由を回想シーンや説明台詞で種明かしするというパターンが繰り返され辟易していた。
また、単なる気象会社のアルバイトだった主人公が何故か、朝のワイドショーのキャスターになったりするなど、作中に登場する職業に対するリスペクトのなさも批判の対象となった。
それでいて、閉鎖的・閉塞的・排他的・利己的・前近代的な田舎者の性格はリアルに描いていたりもする。
そもそも、東日本大震災を題材にしておきながら、大地震や津波の発生時や発生直後の描写がないから、どうしても雰囲気で語るだけの作品になってしまっていた。
一体、何が言いたいのやら状態で、結局、脚本家の信者とジャニオタのマンセーの声が大きかったおかげで、評価されているように見えているだけだった。
まぁ、坂口健太郎って童貞臭の漂う役が似合うよねと認識させてくれたのはこのドラマのおかげたと思う。今年を代表する実写邦画のヒット作になりそうな「余命10年」(途中までだが)もそうだしね。
「カムカムエヴリバディ」
3世代の100年を描くという構成がうまく機能しなかった作品だった。結局、これも脚本家の信者とジャニオタのマンセーに支えられた作品だった。
まぁ、1世代目の途中までは良かったんだけれどね。通常の放送期間よりも短い期間で3世代のヒロインを描くということは、1人あたりの持ち時間は通常の朝ドラの3分の1以下だから、ストーリーは通常の3倍以上のスピードで進むわけで、最初はそのハイパーな感じがたまらなかった。
しかし、1世代目と2世代目を仲違いさせた辺りからは見るにたえない展開となってしまった。このドロドロした感じが関西テイストなんだろうが、それが苦手な人はこの辺からついていけなくなったのでは?
それから、若者時代も中高年時代も同じ俳優が演じるキャラクターがいるかと思えば、若者時代と中高年時代を別の俳優が演じるキャラクターもいるし、あるキャラクターの子や孫を、そのキャラクターと同じ人物が演じたりと、配役の基準がデタラメなのも作品をダメにしていたと思う。
特に1世代目のヒロインの高齢者バージョンを別の演者にしてしまったのは理解できない。
結局、終盤になって、突如現れた老女が1世代目か否かで視聴者の興味をひきたいから、キャスティングを変えたんだろうが、あまりにも謎とき話を延々と引っ張ってしまう展開が続いていたので、それまでの内容を評価していた人までをも酷評に走らせたほどだった。ラスト2週で離脱者が続出する朝ドラなんて普通ないよ。
とはいえ、出番は多くはないものの、少年に毛の生えた時代から、満身創痍の死に際までを演じた1世代目ヒロインの兄役の濱田岳の演技は素晴らしかったし、3世代目ヒロイン役の川栄李奈は、デキ婚騒動時の逆ギレによる印象悪化という汚名を返上するに相応しい演技を披露したと思う。
高校生時代は本当に高校生に見えたし、英語の台詞もこなしていたし、アイドル出身だから、殺陣も良かったしね。
老け・若づくりでいえば、2世代目ヒロイン役深津絵里が10〜20代を演じる際の見た目を絶賛する人が多かったが、さすがにアレは無理があった。
朝ドラは舞台みたいなもので、画的なリアリティを求めるものではない。だから、コントの扮装にしか見えないカツラやメイクで中高年時代を演じるのもありなんだという見方はある程度理解できる。でも、深津絵里の見た目はどうやっても10〜20代には見えないよね。演技は良かったかもしれないが。
といった感じで、コロナ禍になってからの朝ドラはどの作品も出来は良くなかったと思う。
とはいえ、それでもいくつかは感心したり、再認識したりできるポイントはあったんだよね。
でも、「ちむどんどん」に関してはこの1ヵ月間、何もほめられる点が見つけられなかった。
川口春奈が可愛いというのくらいしかないが、彼女が演じているキャラも共感できないしね。
そもそも、1972年の沖縄返還50周年に合わせた作品であるはずなのに、政治的・社会的な要素がほとんど出てこないのは意味不明。
比較的近い時代を描いた「ひよっこ」や、沖縄返還のちょっと前(「ちむどんどん」4週目時点で舞台となっている時代でもある)1971年生まれの団塊ジュニアを主人公にした「半分、青い。」ですら、戦争絡みの話はあったのに、「ちむどんどん」では、最初の方で主人公の両親が意味深なことを言って以降、戦争絡みの描写はないし、というか、父親の方は死んでしまったから、下手すると、戦争の話は二度と出てこない可能性もある。
「モネ」や「カムカム」は途中で描写をやめた案件でも、その後、真相や後日談を回想シーンや説明台詞で種明かししたけれど、「ちむどん」はマジで投げっぱなしで終わりそうなんだよね。
このまま行くと、朝ドラ最低作品になりそう…。
というか、このドラマって登場人物がクソ人間ばかりだが、もしかすると、沖縄や沖縄県民を嫌いになるように巧妙に仕組まれたプロパガンダなのか?
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