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久しぶりにHDDがスッキリ

数ヵ月ぶりにDVD/Blu-rayレコーダーのHDDがカラになった!
10月期(11月や12月スタートのものも含む)は毎週見ていたアニメが再放送を含めると7本。ドラマが配信でチェックしていたものも含めると3本。
初回SPなど放送枠拡大版を考慮しなければ、単純計算で5時間半分だ。
それを追うのがまず大変というのがHDDに録画されたものがたまっていく要因の一つだった。

自分の仕事のスケジュールや睡眠時間、映画鑑賞やライブ参戦など他の趣味に費やす時間などのことを考えると、個人的には連続もののアニメやドラマに費やす時間は1週間あたり3時間半程度がベストだと思っている。
だから、2時間も多かったため、この期は動画をチェックしたり、CDの付属DVDを見たり、雑誌を読んだりという時間がなかなか取れなかった。

そして、もう一つの録画物がたまりやすい理由というのが年末年始には音楽特番が多いということだ。こうした特番の多くは放送時間が長いものも多い。

レギュラー番組のスペシャル版でいえば、「CDTV ライブ! ライブ!」はクリスマススペシャルと年越しスペシャルと2度の特番があるし、「Mステ」はウルトラSUPER LIVEがある。さらに、深夜番組の「プレミアMelodiX!」も年末スペシャルがある。

年末恒例の単発番組では、12月放送のものに限っても、2週連続放送の「FNS歌謡祭」にはじまり、「明石家紅白」、「日本レコード大賞」、「紅白歌合戦」がある。
また、世界的には11月の放送だけれど、日本ではNHKのBSプレミアムで1ヵ月ほど遅れて12月下旬に放送される「アメリカン・ミュージック・アワード」もこの中に入れていいと思う。

さらに、ライブパフォーマンス系の番組ではないが、毎年12月にスペースシャワーとMTVで洋楽クリスマスソングMVの特集番組をやっているが、これも音楽マニアとしてはチェックしておかなくてはならないプログラムだ。

そして、年始ではウィーン・フィルの「ニューイヤーコンサート」がある。
それから、厳密には音楽番組ではないが、CNNで毎年中継されているNYタイムズスクエアのカウントダウンイベントの様子も音楽マニアとしてはチェックしておかなかくてはならないものだ。

こうしたものを一通り録画しているが、全編見るのは時間的に不可能なので、見たいところだけ見るというのを毎年、年末年始にやっている。

これらの番組の中で気になったものをいくつかあげておこう。

「紅白歌合戦」

東京国際フォーラムを会場にしたことで、カメラ位置と演者の距離が変わったりしたことなども影響しているのか、もしくは、会場が変わったことにより担当スタッフが変わったのかは知らないが、カメラサイズも含めてカメラワークが日本の地上波放送っぽくないなと思った。
どちらかというと、MTVやスペシャなどの音楽専門チャンネルとか、ライブや舞台の再撮モニター用のカメラワークに近いと感じた。
日本の地上波放送の音楽番組って、やたらとアップを撮りたがるけれど、今回はステージ全体で何が起きているかを見せようというカメラワークが多かったように思う。

これは良かったと思う点だが(音楽マニアでない一般人、特にドルオタには不評だったようだが)、悪かったと思う点としてはネット民に媚びすぎだったことをあげたいと思う。当然、ネット民には好評だったんだけれどね。

東京五輪開会式で不評だった劇団ひとりのつまらないスイッチング寸劇を再現して、あの寒い演出をネタにする許容力を見せつけた上で、佐々木宏一派に追い出されてしまったMIKIKOチームの五輪開会式演出案にあった「AKIRA」風の映像を見せていた(まぁ、佐々木も差別的演出が明らかになりクビになったが)。
さらに、障害を持つ同級生に対するいじめを武勇伝として語っていた小山田圭吾が五輪開会式に関わるのは問題だと批判され、事実上のクビになった際にネット民がやたらと、何をやってもポリコレに引っかかるんだったら、これでもやったら盛り上がるだろうと言っていた“マツケンサンバ”まで出すんだから、そりゃ、ネット民は大喜びだろうね。

でも、「AKIRA」も“マツケンサンバ”も古いだろ!ぶっちゃけ、ダサいよ!

それから、前半終了時に「エヴァンゲリオン」風の(というかミサト役の三石琴乃を使ったので“風”ではないか…)番組後半の予告を入れたり、その後半本編の“アニメコーナー”では、三石琴乃をはじめとするキャスト陣に司会の大泉洋いじりをさせるのも、本当、アニオタが多いネット民に媚びているって感じで見ていて寒くなってしまった。

そもそも、この“アニメコーナー”で取り上げた作品は、2021年に話題になった作品という名目で選んでいたはず。
「ドラゴンクエスト」(厳密にはゲームだが)はテーマ曲が五輪開会式で流れたことと、そのテーマ曲の作曲家のすぎやまこういちが他界したこと。
「鬼滅の刃」は劇場版自体は2020年の公開だが、2021年はその劇場版を再編集したテレビ版が放送され、さらにはその続きを描いたテレビアニメの新シリーズ「遊郭編」もスタートしたので、「鬼滅」人気は続いているという意味合いだと思う。
当然、「エヴァ」が選ばれたのは、テレビシリーズ、旧劇、新劇全てをひっくるめた「エヴァ」の完結編となる「シン・エヴァンゲリオン」が公開され、2021年最大のヒット映画となったことが理由のはずだ。
だとしたら、このコーナーで取り上げられる曲が高橋洋子の“残酷な天使のテーゼ”ってのはおかしいよね。
新劇になってからの劇場版4作全ての主題歌を担当している宇多田ヒカルを出すべきでしょ!まぁ、彼女に断られたんだろうけれどさ。

でも、ネット民は大泉いじりと“残酷な天使のテーゼ”で大満足しちゃっているんだよね。

今回、演歌・歌謡曲系の歌手を“リストラ”したことによって、高齢者には“つまらない紅白”と言われたけれど、じゃ、若者が絶賛しているかというとそうでもないと思うんだよね。
若者はYOASOBIやまふまふといったネット発のアーティストやジャニーズ、坂道シリーズ、藤井風は見ても、それ以外はたいして面白いとは思っていないというのが本音だと思う。

今回の紅白は出場アーティストの顔ぶれにしろ、演出にしろ、アラフォーからアラフィフをメインターゲットにしているのは明白だ。司会が出場歌手ではなくアーティストと言っていたことからもそれはよく分かる。

従来、この世代、特にネット民は大晦日には「紅白」ではなく「ガキ使」を見ていた層が多かった。今回は「ガキ使」がなかったので、彼等が「紅白」に流れてくるのは予想がついた。だから、彼等に受けそうなことをするというのは真っ当な戦略であるとは思う。

でも、この演出を絶賛しているのはアラフォーからアラフィフだけなんだよね。若者からすれば、ヒロミ・ゴーや福山なんかはかつての演歌歌手と同じ扱いなんだよね。

つまり、これ以上、高齢者に媚びてもNHKの収入は増えない。アラフォーからアラフィフは今の日本で一番金を使う世代だ。しかも、独身が多いから自由に金を使える者も多い。こうした世代に媚びて、1人でも多く契約させて受信料を払わせるように仕向けたいと思うのは、“企業運営”としては、まぁ、妥当ではあるよね。

というか、SDGsをうたいながら、紙吹雪を舞わせる演出って矛盾だらけだろ!

「NYタイムズスクエア カウントダウン」

イマジン→カウントダウン→蛍の光→ニューヨーク・ニューヨークというコンボを見るのが音楽ファン的な楽しみ方だ。
日付けが変わる10分前を切ったあたりから、有名アーティストによるジョン・レノン“イマジン”のカバー演奏が行われる。
誰がやるのかは音楽ファンにとっての注目ポイントだけれど、今回はKTタンストールだった。久しぶりに見かけたって感じだったが、やけにロッキンな“イマジン”だったな。

そして、カウントダウンを挟んで新年になってから流れる(こちらはパフォーマンスではなく音源が流れるだけ)“蛍の光”と“ニューヨーク・ニューヨーク”だが、前回は一般客を入場させていなかったのでほとんどそういう光景はなかったが、今回は有観客に戻ったこともあり、この2曲が流れている際に恒例となっているキスするカップルの姿を見ることができた。何気にこの様子を見るのが好きだ。

ところで、日本では“蛍の光”は卒業式で歌われたり、閉店BGMに使われたりするし、「紅白」ではエンディングで歌われる。要は“終わり”の曲なんだけれど、海外(特に英語圏の国々)では新年に変わった瞬間に流されるなど“始まり”の曲なんだよね(アジアでは日本同様、“終わり”の曲扱いの国が多い)。

アジア人と欧米人では別れの時の感覚が違うってことなんだろうね。
つまり、終わってしまうものは惜しんでも仕方ない。新しいスタートを切った瞬間に古いものはいったんリセットしようよというのが欧米的考えなのかな?Netflixがデフォルト状態だと、エンドロールが始まった瞬間に勝手に次の動画に移ってしまうのもそういう発想なんだろうね。

「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート」

2年ぶりの有観客開催となった。欧米ではオミクロン株の感染が拡大しているのだから、今年も無観客でも良かったのに、そうしないということは、欧米のエンタメ・アート界はもう活動休止はしない。どうやったって、100%の水際対策なんて無理なんだから、ワクチン接種済みの観客や、PCR検査で陰性結果が出た者は構わず受け入れようっていうスタンスなんだろうね。

でも、観客はマスクを着用しての鑑賞となっているし、今回の指揮者であるダニエル・バレンボイムによる社会的問題に言及した新年の挨拶もそうだが、コロナ禍の開催であることは意識せざるを得ないのは事実だ。

アンコールの定番曲である“美しき青きドナウ”は尺もそこそこあることから、通常はロケ撮影されたドナウ川の風景や、バレエダンサーによるパフォーマンスがインサートされるが、それが今回はなく、演奏風景と場内雑観しか映っていなかったというのは、コロナ禍における映像作品制作の苦労を感じずにはいられない。
そういえば、“ドナウ”の演奏を始めた瞬間に演奏をストップして、新年の挨拶を行い、その後、改めて最初から演奏するというのが、お約束の演出になっているけれど、今回は演奏停止するまでの尺がいつもより長かったよね。何故?

また、ツィーラー作曲“ワルツ「夜遊び好き」”で合唱パートを楽団員が担当したのは、演者を減らして感染リスクを抑えるという狙いもあったのではないかと思う。それにしても楽団員の歌がうまかった!日本だと楽器奏者には歌唱力が微妙な人も多いけれど(小室哲哉とか)、ウィーン・フィルのメンバーともなれば、歌唱力もあって当たり前ってことなのかな?まぁ、左右をキョロキョロしていたメンバーもいたから、全員が歌がうまいわけではないのかもしれないが。

でも、有観客で良かったと思う。

それは、“ドナウ”と並ぶアンコールのもう一つの定番曲“ラデツキー行進曲”でお約束となっている観客の手拍子が復活したからだ。
思わず、その手拍子を聞いて泣いてしまった…。去年の無観客“ラデツキー”はコロナ禍における苦難を思って泣けてきたけれど、今回は手拍子復活の喜びからくる涙だからね。

“ラデツキー”の手拍子はドルオタにおけるMIXやガチ恋口上みたいなものなんだよね。
“ラデツキー”の手拍子が復活したように、“47の素敵な街へ”のガチ恋口上が復活する日が来るといいな…。

ここからは、年末恒例ではない単発番組で全編通して見た番組について触れたいと思う。

紹介するのは2作品。

「MTV Unplugged: Nogizaka46」

パフォーマンス自体を全否定するつもりは全くない。でも、楽器を演奏しないボーカルグループのアンプラグドというのは意味があるのだろうかという気がする。これは、今回の乃木坂46に限らず、BiSHの時も、BTSの時にも抱いた違和感だ。
ドルオタというのは推しのためなら出費を惜しまない。推しの出演をきっかけにMTVと契約する人も増えるという発想なんだとは思う。だから、アイドルなどボーカルグループを出演させているのだろう。

でも、クリエイティブな面から見ると、“うーん…”と言わざるを得ないかな。

多少アレンジは変えてはいるけれど、所詮は普段のカラオケのかわりにバックバンドの伴奏をつけただけのパフォーマンスでしかないんだよね。
要は、坂道シリーズのようなアイドルでもハウスバンドによる伴奏で歌うことが多い「うたコン」とやっていることは同じ。

というか、ボーカルグループとかソロ歌手というのはあまり、アンプラグドには向いていないと思うんだよね。
自分は、アンプラグドのブームが巻き起こっていた90年代にもこうした疑問を感じていた。

ニール・ヤングやボブ・ディランのようなシンガーソングライターや、ジャズにもカテゴライズされる大御所トニー・ベネットなんて、普段やっている音楽とほとんど変わらなかったしね。

マライア・キャリーのEP盤『ヴィジョン・オブ・ライヴ』および、そこからシングルカットされた“I'LL BE THERE”はMTVアンプラグドの音源を商品化した作品としては初の大ヒット作品となったけれど、それは当時はほとんどマライアがライブ活動をしていなかったという物珍しさから来た部分も大きいしね。

R&BボーカルグループのJODECIはアンプラグドに出演した際のスティーヴィー、ワンダーのカバー“レイトリー”がヒットしたけれど、これは普段やっているヒップホップ・ソウルとは雰囲気が違うから意味があったんだよね。

ソロ歌手だと、シンガーソングライターというよりかはロックンローラーとして扱われているロッド・スチュワートや、歌手としてよりもギタリストとして評価されているエリック・クラプトンのようなアーティストはアンプラグドの意味があると思う。
クラプトンのアルバム『アンプラグド』はMTVアンプラグド関連の音源化作品では最大のヒットとなったけれど、それは当時の凄腕ギタリストとしてのイメージのクラプトンとは異なる音楽性だから評価されたという面が大きいと思うしね。

この『アンプラグド』以降、クラプトンは“チェンジ・ザ・ワールド”や“マイ・ファーザーズ・アイズ”、“ブルー・アイズ・ブルー”のようなバラード寄りの楽曲を歌うダンディなおじさん路線か、自身のルーツを極めたブルース路線かという感じになっているので、仮に今のクラプトンがアンプラグドをやったとしたら意義は感じられないと思う。

やっぱり、面白かった、良かったと思ったアンプラグド作品に、キッスのようなハード・ロック/ヘヴィ・メタル系か、ニルヴァーナやアリス・イン・チェインズのようなオルタナ/グランジ系みたいなラウドな音を鳴らしているバンドが多いのはそういうことなんだよね。普段と同じでは意味がない。

今回の乃木坂では終盤に生田絵梨花のピアノ弾き語り(といっても途中からはバックバンドの演奏も加わるが)で“逃げ水”をやったが、全曲、このパターンでやれば良かったのでは。基本はいくちゃんの弾き語りで、楽曲にあわせて、他の乃木坂メンバーが合流するという形にすればアンプラグドでやる意味があったとは思うんだけれどね。
ミュージカル女優と同時にピアニストのイメージがある彼女だけれど、ピアノを弾いたのはこの1曲だけだったのはちょっと残念な気がする。

“逃げ水”を選んだ理由は多分、サティ作曲“ジムノペディ”を取り入れた楽曲=ピアノの見せ場があるからなんだろうね。
 
そういえば、ノーCMで一気に1時間放送したが、これって、MTVでの放送というよりかは、Huluでの配信を意識したものだったのかな?
というか、最近、MTVの番組って、Huluでもよく配信されているよね。スカパーやケーブルテレビを通じての契約はこれ以上伸びようがないから、配信サービスに番組提供する方針にシフトしているのかな?
 
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン 特別編集版」

これは年末年始ではなく10月下旬の放送だが、やっと見られた。
音楽番組とかだと2時間以上の枠の番組でも見たいところだけ見るから、実際は30分とか1時間で見終えてしまうけれど、アニメやドラマを早送りしながら見たいところだけ見るというのはしたくないからね。
しかも、10月期に見ていたドラマ「日本沈没」がしょっちゅう放送枠を拡大していて(全9話中、4回が拡大版)、最終回なんて2時間3分もあったから、それを追うのでいっぱいで、年明けまで、これを見ることができなかった。

テレビシリーズの総集編映画みたいなものだけれど、結構泣けた。
2020年に公開された劇場版もなんだかんだいって複数のエピソードをつなげたような内容だったから、こうした総集編的な作品でいくつものエピソードが次から次へと出てくるものでもそんなに気にならなかった。

それにしても、差別的な言い方かもしれないけれど、ヴァイオレットちゃんの感情の起伏が乏しい義手の美少女という設定って、いかにもオタクが好きな要素をてんこ盛りにしたって感じだよね。

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