過去の原稿:セミナーの記録

90年代がもたらしたもの =「ストリート」の時代
@jafca

*テープ起こし原稿なので、後日修正・整理する予定です。 

■はじめに

きっかけは、川島蓉子さん。彼女が執筆中の『東京ファッションビル』という単行本、パルコとラフォーレ原宿をそう位置づけていて、「90年代ってどんな時代だったか教えて!」と聞かれたことからでした。

彼女の90年代は子育てに翻弄した時期で、あまり時代の流れを享受できなかった、ということがその理由のようで、私は、たまたま92年にパルコに中途入社した関係で、毎日渋谷に通い、どっぷりと若者のカルチャーに浸り、日々取材に走り、買い物もし、朝から晩まで、どこまでが仕事でどこからが遊びなのかわからないほど、とした毎日を過ごした記憶があるので(笑)。

まずは音楽、シブヤ系、そして写真、HIROMIXさんとか長島有里枝さん、野村佐紀子さん、現代アートの分野では、秋田敬明さんと村上隆さんがオープンしたマンションの一室のP HOUSEとか、それからファッションではセレクトショップの登場に裏原宿、表参道のフリーマーケットに、インディーズブランドがたくさん出て・・・・・と、いかに楽しいことがたくさんあったかをお話ししたところ、「本にまとめたほうがいいから、ぜひまとめて!」と言われました。00年代も7年目を迎え、そろそろ00年代でさえ、その輪郭が明らかになりはじめ、ということは、90年代もいよいよ「歴史」になってきたかな、と気になりはじめたのでした。

それが、2008年の秋ごろでしょうか。jafcaの丸山さんからデザイン塾のお話をいただき、ではテーマとして掲げてみよう、と思った次第です。

でも実は、2008年のjafcaのセミナーでも、00年代前半の渋谷の街の小さな動きや次なる芽をまとめてお話させていただいたな、ということを思い出しました。つまり、経済界においては90年代を「失われた時代」というひとことで片づけてしまうことへの疑問は、ずっとずっと感じていたのでした。

■ 90年代後半、『流行観測アクロス』の98年5月号で、「増殖する“ネオフリーター”の時代」という特集記事にまとめました。

「団塊ジュニア世代」と「ポスト団塊ジュニア世代」が、それまでの仕事への意識とは異なる価値観を持つ世代の登場だ、と思ったものです。そのへんの情報は、『AERA』でもよく取り上げられてます。

その後、数年前からのニート、フリーター問題の再熱をきっかけに、一昨年の『下流社会』(先輩の三浦展さん著)のベストセラーからの「格差社会」、そして、今年のお正月の朝日新聞の連載では、20代後半から30歳前半の世代を、「ロストジェネレーション」と、失われた「世代」ということになっていきました。正直なところおやまあ、という感じです。それを見たうちにいる31歳のスタッフは、「ウチらの世代は言われ放題ですね」と半ば諦め気味。みなさんの職場にも同世代の人たちは同じような反応をしていたのではないでしょうか・・・。 

そんな単純な話でいいの?
いろんな新しい価値観が生まれたのでは?
見えてないだけじゃないの?

ということから、改めて、90年代ってどんな年だったのかと再考してみることにしました。 

まずは、みなさんもお気づきのとおり、00年代に入り、いろいろな事象を「総括」するのがブームになっています。

→スライド1 (P2)小山田圭吾さん。

いちばん早かったのは音楽でしょう。とそれぞれをざっと解説。沖野修也さんの「レジェンド」とかも。

あまりにいろいろなトレンドのスピードが早かったので、今一度いろんな現象、問題をまとめておこう、もう1回考えてみよう、という心理だと思われます。

と同時に、ブランドやショップ、デザイナーという「個」の単位では、「ずっとやってきて、自分が今どこにいるのかわからなくなりそう」ということから、作品や広告、周辺のクリエイティブなエッセンスを、本や展覧会という形にまとめたりするケースも出てきました。

たとえば、BLESS、これはパリコレでのお披露目の写真ですが、作品などをまとめた本という意味では「グッチ本」とかドルチェ&ガッバーナ、国内では、3月に発売予定のe.m.、カフェエイトのベジブックとかがあげられます。

面白いのは、こういった人たちの多くが、10周年(DECADE)を節目として本にまとめたり展覧会を催したりしている点です。

ふつう、企業とかだと30周年とかが最初のアニバーサリーですが、このところ目立つのは10周年。今度、RMKも10周年でアーヴィング・ペンのところで修行していたマイケル・トンプソンという写真家の展覧会を、パルコミュージアムで行います。3月末からだったと思います。

・ちなみに、「失われた10年」東大の研究会も発足しています。

■「みんないっしょ」という幻想崩壊の先にあった90年代

 では、さっそくパルコの「定点観測」から振り返ってみましょう。

→スライド2 (P3)ボディコン

・・・これは、以前03年だったかな、に、IFIの授業、「戦後のストリートファッションの変遷」で用いた資料の一部です。

 □時代は常に、その前の時代を否定、対峙した形で出てきます。

「躁状態(ユーフォリア)」、「価格相対主義」、「ポストモダン」・・・などさまざまなキーワードで語られる80年代は、「個人の欲望」が全面的に肯定され、煽られた時代だったといえます。バブルですね。

それまで消費を牽引してきた「消費の横並び意識」、「みんなと同じものを持ちたい」(戦後からの三種の神器をひきずってか)という欲望が、この時期に「みんなと違うものを持ちたい」へと変わったのでした。

「みんなと違うもの」=「差別化」という商品戦略に対応したのが「多品種少量生産」で、「消費による自己実現」という欲望を可能にしたかのような錯覚に煽られ、内需拡大というかたちで日本経済を牽引していったといえるでしょう。 

しかし、多品種少量生産といっても、それらが工業製品であることには変わりなく、「自己を商品(消費)で表現する」ことが本質的に不可能であることは今になってみると明らかなのですが、気がつかなかったのでしょうね。

次々と台頭した「ファッション・トライブ」がそれをよく表してします。確かに、ムートンやファーラーのパンツ、カラス族のモノトーンのビッグシルエット、ボディコンスーツと、新しく感じていたんですよね。。。

でも、メーカー側にとっては、ヒットした商品はできれば増産したいわけで、流通システムに乗っけては陳腐化する、という矛盾を絶えず孕んでいたわけです。しかも、それらはものすごい差異ではなく、表面的、表層的なものにしか過ぎなかったのですが。。。

それでも、「差別化」への欲望は肥大化し、だからこそ、80年代の消費熱とは、飽くなき差異を求めることに熱中し、その差異がわかる「みんな」の視線を絶えず意識していた時代だったといえるでしょう。

その「みんなと違うものを持つ」という消費者の欲望が破綻したのが90年代に入ってからといえるでしょう。

 →スライド3 (P4)渋カジ→フレンチカジュアル 

そもそも、その「みんな」という基盤が崩れていった、という現象です。。。

バブル期は、土地持ちかどうかという「ストックでの資産格差」の意識が高まり、中流9割という「みんないっしょ」が幻想であることに気づかされるわけです。今でこそ、「格差社会」と言われていますが、実は日本人の階層化は今にはじまったわけではないことに気づかされます。

バブル崩壊で、資産格差以外でも、年功序列、終身雇用、年金制度といったサラリーマンの3点セットが崩壊、「みんなといっしょ」の崩壊です。

さらに、80年代という「物質的豊かさ」のある意味での到達点の後、90年代は、次なる目標、価値観を見いだせず、心理的、内面的にも、日本人全体の価値観や目標が急激に空洞化(よくいえばバラバラ)していったのでした。

「みんなといっしょ」という共同幻想が崩壊することで、消費の構造そのものも変わっていった、個人個人が自分なりの「価値」や「テーマ」を模索し、探し出す困難な時代へと変化していったといえるかもしれません。

ストリートファッション的にみると、「山の手ファッション」→「渋カジ」が登場する時代です。

そういう意味では、90年代とは、大テーマなし、共同体意識に何をどう欲望していくのか、という問題提起がなされた時代だったといえるかもしれません。

90年代は「流行サイクル」が変わった!? ・・・「ずっと流行ってる」現象→時代

→スライド4(P5)リサイクルカジュアル、女子高生

90年代、そんな「みんな」という基盤が崩れていった時代へと入っていきました。

90年、今では誰でも名称は聞いたことがあるであろう「渋カジ」の登場です。「カジュアルな定番アイテムを品良く着こなす」のが特徴、という解説ももう不要なほど一般化していますね。

続いて92年に台頭したファッション・トライブは「フレンチカジュアル」ですが、「シンプルなアイテムを上品に着回す」という定義へと進化します。

つまり、80年代に見られた、「みんなと違うものを持ちたい」という消費者の欲望が180度転換し、モノそのものではなく、「着こなし」や「着回し」がポイントになっていきました。「何を着るか」ではなく、「どう着るか」への転換期です。

これまでだったら、昨年と同じものを着ていたり、同じことをしているなんて「もうダサい」と言われかねなかったはず。

いかにも、アイテムが出尽くした後だからと言えるでしょう。

そういえば、90年代は、「トレンド」という言葉が色あせていった時代でもあります。88年に創刊された『日経トレンディ』(まあ、トレンディという言葉自体も、ですが!)のような、代理店主導の仕掛け型の流行には踊らされなくなっていきました。

違う商品を消費することで、他人とは「違う自分」を表現する、ということ自体が陳腐化していった、というわけです。

そもそも、溢れる「商品」のなかで、「違い」を声高にアピールした商品も、技術や流通の進歩で、すぐに同じような商品が出現して陳腐化する時代になっていったということもあるかもしれません。(クィックレスポンス)

・・・その後、インターネットの普及による情報のインフラで、今では「オリジナル」が何かがわからなくなっていると言えます。

また、バブル期の最終的な差別化消費ともいえる「高級ブランド消費」による「階級消費」も沈静化していくなど、

この91年、92年前後を境に、流行現象が大きく変化していると見ています。

→配布資料「流行の10年」年表 

これは、『流行観測アクロス』の96年11月号の「流行大追跡87-96」に掲載された、87年から96年まで話題になった現象や商品をピックアップした年表のコピーです。いつごろから流行って、いつごろまで流行っているのか、という流行のスパンを横軸で取ってあります。

これを見ると、91年までは瞬間風速的なヒット商品が目につくものの、92年以降は、横棒がずっと長く続いている(長いスパンで流行ってる=ずっと流行ってる現象)のがわかります。なかには、「オープンカフェ」や「DJ」、「(コ)ギャル」、「健康茶」、「リラクゼーション」、「ゲーム」、「すべりもの」、「SMAP」など、00年代、07年の今でも流行っている=現象として定着したもの=「ネオ定番」になったものも少なくないことがわかります。

また、ここに記載されていない新商品や時代のキーワードも含め、「瞬間風速的なもの」と「現象として続いたもの」をカウントしているのですが、前者が年間20数個を数えていた90年以前に比べ、91年はほぼ同じ、92年以降は割合が逆転。95年以降、めっきり一発ヒットが減少してしまうという結果になっていました。

つまり、仕掛けられ、煽られるという意味での「トレンド」が消滅し、90年代に入ってからは、時代の深層を流れる「潮流」という、英語でいう「TREND」の時代に入ったともいえるかもしれません。

こうした「ずっと流行ってる現象」は、流行りものが定番化していく過程とも違っています。定番というよりは、いつまでも「旬」であり、人々の関心を集め続けているからです。よくわかりませんが、SMAPとかね。でも、これは義務に近いファン心理のメカニズムによるものかもしれませんが。。。

こうした、流行現象が長期化する傾向が、90年代の特徴といってもいいでしょう。

新しいものを次から次へと追いかけることより、自分にとって必要なものをじっくり探る時代になったために起こっている現象に他なりません。

年表の上の方にある「スーパーモデルブーム」は、10年が過ぎた今も続いています。しかも、単に「憧れの他者」という域を超え、美眉(テンプレート)にはじまり、現代のプチ整形や加圧式などハイテクなボディメイクに至るまで、「自分または自分の肉体に積極的に取り入れる」ように進化=深化している点も興味深いと言えるでしょう。

・・・消費の方向が、「自分自身」に向かい始めた、というわけです。

では、ここでもうひとつ配布資料です。

→配布資料「90sの商業施設・専門店の変遷」(A3)

(パルコですので)この「流行の10年」年表に、それらが販売される小売りの現場、「90年代の商業施設・専門店の変遷」というチャート年表を重ねてみましょう。 

ちょっと汚くて申し訳ないのですが、これは、もともとは社内資料だったものに加筆したものです。

上が専門店、路面店の動きで、下がファッションビルの動きです。

いちばん上は、「定点観測」からみた東京のストリートファッションの変遷ですが、これは後で分かりやすいものをご覧いただきますので、あまり気にしないでください。

90年代は、ビームスさんをはじめ、アローズさんやシップスさん、トゥモローランドさんなど、今ではすっかり大手優良企業(上場企業になったりなど)に成長した「セレクトショップ」という業態が全国各地に出店した時代でした。「セレクトショップ」=「ひとつのショップでいろんなブランドから選べる」という、今では当たり前になり、また逆にトレンドに寄せたオリジナル商品が増えていて、差別化がされなくなっていますが。。。

そして、その器として、または普及の起爆剤的な役割を果たしたのが、全国各地にたくさんオープンしたSCです。

■これを見ると、90年にアローズ、バーニーズニューヨークといったセレクトショップがオープンし、

92年に「ターゲット・セグメント型」と「百貨店の原点回帰=品揃え型(大型店への流れの一歩)」という概念が誕生。

93年はアウトレット誕生年、

94年にはインディーズのデザイナーが多数登場し、それらを支援する売り場=インキュベーション年で、

95年には「専門大店」という概念が誕生していったことがわかります。

96年には「渋谷109」がリニューアル。「平成ブランドブーム」と入れ替わるように、翌年あたりからぐいぐいと「ギャルブーム」を牽引していったのは、かつて「ギャル・ムーブメントの変遷」として資料にまとめました。ご希望の方は後でおっしゃってください。

 ・・・という流れになっていますが、ここで注目して欲しいのが、やはり92年のファッションビルと百貨店等の商業施設、下の部分ですね、「ターゲット・セグメント型」と「百貨店の原点回帰=品揃え型(大型店への流れの一歩)」という概念が誕生したところと、専門店、上の部分ですね、の93年、「ビームス東京」、「OKURA」、「無印良品南青山3丁目店」や「ニーム」、「フランフラン」といった「雑貨業態」と、「OKURA」「デポー39」、「吉祥寺の無印良品」といった「カフェ併設業態」の台頭です。

さらに、翌94年の専門店の部分、「ワンディ」や「ノーウェア」といった「裏原宿系」のブランドやセレクトショップの台頭と、「オーバカナル」、「カフェマディ」、「ビームス銀座」、「無印良品池袋店(最大店舗)」、といった「オープンカフェ」やライフスタイル業態の大型化に、インディーズのデザイナーが多数登場した94年です。 

商業施設では、93年に「アウトレット業態」や「シネコン」が上陸し、94年には、今でも都市型中規模複合開発としてのモデル店舗といわれている「恵比寿ガーデンプレイス」が誕生。

ソフト面では、伊勢丹「解放区」やラフォーレ原宿の「インターナショナル・スーパーバイザー」「ハイパーオンハイパー」など、「インキュベーション」業態、というか新世代デザイナーをサポートする、ということがビジネス(になるかどうかは別として)の現場にも登場するようになっていきました。

 92、93、94年に登場したものが、今現在にまで続く基盤となっていたというわけです。

→もう一度、配布資料「流行の10年」年表を見てください。

91-92年を境に流行の主役と仕掛け手が変わったように、94年もまた、流行の転換期だったということがわかるでしょう。なぜなら、今「ずっとキテる」感のあるものが、この94年、95年を境にどんどん登場しているからです。

たとえば、この「新世代デザイナー」へのサポート、囲い込みは、その度の平成ブランドへの登場と繋がり、今の伊勢丹でいう「リスタイルプラス」やパルコの「インキュベーション・スペース」で取り扱われる「ジャパニーズデザイナー」または「ドメスティックブランド(ドメブラ)」、東コレブランドの人気へとつながっています。 

ファッションに限らず、グラフィックや現代アート、そして音楽においても、新世代のクリエーターが多数登場したのがこの年でした。MACの登場が大きいかと思われますが、ミディコミ(インディーズマガジン、ミニコミよりもちょっとグレード感のあるもの)何が多数登場したのもこのころです。その後、フライヤー、フリーペーパー、自費出版や雑貨感覚に近い雑誌や単行本、インディーズの版元などが無数に存在し、商品となって流通する現代へとつながっています。

また、89年のM事件(連続幼女殺害事件)があったこともあり、一部のマイナーな存在だった「おたく」が、「ジャパニメーション」というカルチャーとしても経済活動としても再認識されたのも94年で、その後の日本を代表する文化=カルチャーとなり、00年代以降は、日本の大手出版社がものすごく積極的に海外戦略に乗り出したことで、見事に今春のコレクションのトレンドにも反映されているようです。

ガリアーノの甲冑のスタイル、ご覧になりましたか?

まるで歌舞伎かエヴァか、という感じです。


昨秋に初めてパリコレに行ったんですが、何人かのデザイナーさんと立ち話をしたところ、一昨年にパリで催されたジャパンフェスティバルの影響も大きいと言っていました。また、日本にたびたび来日する海外の、ヨーロッパが多いのですが、「どこに行きたいですか?」と訪ねると、「アキハバラ!」と言うんですよー。あとはマンガの古本屋とかね。ベルリン在住のクリエーターの友人は、読み終わった日本の『ジャンプ』とかを、フリマで売ってると言ってました。常連客もいるそうです。

再び→スライド4(P5)リサイクルカジュアル、女子高生 

・では、再び「定点観測」からみたストリートファッションの変遷に戻ってみましょう。

93年.「リサイクルカジュアル」、「グランジ」、「ネオヒッピー」と、さらに、「個々のアイテムよりも全体的な着こなし、コーディネイト」に重きを置くスタイルがファッションのトレンドになっていきました。

「ストリート」という単語が頻繁に聞かれるようになったのもこの頃です。 

ここでのポイントは、フリマ、古着、もらいもの。友だちと交換、古着を自分でリメイクしたりという「クリエイティブ感覚」の台頭です。その担い手は、88-91、92年にトレンドマーケットの担い手だった「団塊ジュニア世代」に加え、「団塊ジュニア世代」の次の世代、10代半ば、当時15歳とか16歳という90年以降の高校生の、「ヘタウマ(ポスト団塊ジュニア)世代」が加わり、一気に拡がったといえるでしょう。 

94年になると、「コギャル」や「女子高生スタイル」、「ソフトパンク」というファッションがストリートに台頭しはじめます。

ここでのポイントは、彼ら、彼女らが自主的に消費行動をし始めた時期がバブル終焉後、つまり「みんなと違う消費」への欲望が終焉した時期と重なっていることで、だからこそ、シブヤ系、カラオケ、ポケベル、スノボ、フリマ、プリクラ、ピッチ(PHS)など、マイナーとメジャーの垣根を崩し、「仲間意識を盛り上げる商品」として消費されていったということです。

★世代別の特徴の一覧表をお配りしましょう。

04年に単行本に掲載した原稿のコピーです。生年の区分などは若干幅があると理解してください。また、これはあくまでも『WEBアクロス』の解釈ですので、そのあたりもご理解のほど、お願いします。アップデートのニーズがありましたら、作成しますので、おっしゃってください。

ちなみに、この年に、「第1回デザインフェスタ」が開催されていますが、あの今では表参道ヒルズにショップを構え、別ブランドは渋谷のパルコパート1の1Fにショップを構えるアクセサリーブランド&家具メーカー(店舗の内装もします)「e.m.」のデザイナーの2人も出品していたそうです。ここだけの話ですが。。。彼らは今ちょうど29歳、30歳だったかな。

★ファッション・トライブをどのようにして決めているのかは、必要であれば、「定点観測」の説明をする。

 ・・・カウントアイテムやズームアップアイテムというのを決めてから実施しているので、と。

→スライド5 (P6) ストリートブランド→デルカジ

95年になると、「ヘタウマ(ポスト団塊ジュニア)世代」には「ストリートブランド」=裏原宿系ブランドが支持され、一方では、スーパーモデルの日常着である「デルカジ」が、30代半ばになった「新人類世代(61-65年がコア)」に支持され、(DKNYとかCKとかでフュージョンブランドのヘソ出しスタイルが人気だったのを覚えていらっしゃると思いますが)、10代と30代がトレンドマーケットにの構造に参画するようになりました。

この「新人類世代」は、バブルの享楽を味わった世代で、当時の経験からの反動か、アウトドアやエスニック、リラクゼーションといった「肩肘を張らずに自分の価値観で消費する」という特徴があり、10代も30代も他人と比較しない、脱力感、ユルさ、リラックス感、らくちん感といった精神構造が消費にも現れていたと考えられます。

一方、この「30代」という、今では当たり前ですが、昔はトレンドマーケット(主に広義のファッションですが)から降りたであろう大人の年代の人たちが、がっちりターゲットとして捉えられるようになったのも、90年代半ばからです。

そういえば、「風とロック」の箭内さんが、「仇買い」と弊誌のインタビューで話してくれましたが、子どものころ欲しかったけど買えなかった商品、たとえばギターとかを、大人になってある程度余裕が出てきて「えいっ!」と買うマーケットが確立されたのもこのころです。

ポイントは、いわゆる、昔人気だったものがそのままの形で復刻されるというパターン。しかも、同じものを3つも4つも買ったり! これは、今では人気モデルの復刻、と当たり前に行われるようになった商品開発の手法のひとつです。人気キャラや子どもの頃のヒーローもの、流行った音楽などをCFに起用したり、まんまの画角だったりなど、デザイン的に遊ぶものも少なくありません。・・・ターゲットオリエンテッド

それから、もうひとつは、原型を踏襲しつつ、リメイク、リミックスすることで、新しいイメージを作り出す、という「ネオ・リバイバル・ブーム」です。これは音楽の世界でよくみられたのですが、カバーやトリビュート、リミックスなど、ノスタルジーとしてのリバイバル感覚ではなく、新しいビートにアレンジした「リミックス感覚」といえるでしょう。

ストリートファッションでみると、細ベルトやオープントゥサンダルなどのジャッキーやバービーを彷彿させる60年代風ファッションもあれば、80年代風のハマトラやニューエージデザイナーたちによるインディーズブランド、レッグウォーマーやベルボトム、厚底サンダル、ブーツといった70年代風ファッションなど、異なる過去の年代のファッションを、同次元で着こなすファッション=「リミックス・スタイル」に顕著に現れているといえるでしょう。ちなみに、このリミックス・スタイルに関しては、『流行観測アクロス1995』という単行本でも分析しています。

・・・そして、この頃登場したこの感覚、センス、スタンスは、00年代以降の「ミックススタイル」へと昇華して行きます。 

また、先ほどの「流行の10年」年表にもプロットしていましたが、個人輸入やリラクゼーション、オープンカフェなど、「個人的(スピリチュアル&フィジカル)」で「なごみ系」のものに関心が集まっていったのと、パソコンや携帯電話など、やはり「個人的(パーソナル)」で「つながる系」のものが支持されていったのもこの頃からです。。。ともに、07年の今でも現象として継続している点に注目してください。

つまり、消費者の視点が、「他人(他者)」ではなく、「自分」に向かい、ゆったりと時間を使ったり、だらだらと他の人と通信するようになりはじめたのも95-96年頃で、「消費することで自己実現をする」時代だった80年代から一転、90年代は、「自己回帰するために消費する」ようになったというわけです。=「自分軸」の誕生です。

あとは、91年にデビューしたSMAPが、バラエティやドラマなど幅広く登場することによって、それまでの一部のアイドルからOLにまでファンを拡大し彼女たちの加齢とともに娘を巻き込みメガ級に拡大したり、卓球や釣りといったまったりなごみ系のスポーツがOLにもティーンズにも人気になるなど、ある特定の世代、ある特定ジャンルのなかに存在していた流行が、ここにきて10代、30代を中心に「オールターゲット」に集約されたのも、90年代半ばのことです。 

このオールターゲット、リミックス感覚こそが、「一発」と「定番」しかなかった流行構造に、「ずっとキテる」感を加え、三角構造へと変えていったといえるでしょう。 

→スライド6 (P7)「極・単」スタイル

97年、「極・単(極端に単純)」スタイルの登場年、「ギャルの変遷」の時にもお話したと思いますが、97年は、ストリートファッションの転換期と位置づけています。「セクシー系」V.S.「マニアック系」です。前者が「他人軸」重視型で、後者が自分軸重視型。

面白いのは、今回のデザイン塾のお題についてまとめるのに当たって、選曲家でカフェ「アプレミディ」のオーナーの橋本さんに音楽関連の話を、うちの映像部の人間には映画業界の話を、そしてアート関係はうちのミュージアムの担当者と、アートとデザインの専門誌『ART IT』やウェブマガジン「リアルトウキョウ」を運営する小崎さん、某ファッション誌の編集者、ファッションジャーナリストの人、「カフェエイト」や「ピュアカフェ」のオーナーの清野さんなどに聞いたところ、それぞれの業界においても、「97年が時代の転換期」ということで意見が一致したのが興味深いところです。

まあ、詳細は最後にご紹介したいと思いますが、96、97年になると、それまでは見られなかった「メガヒット」「メガブーム」現象が起こり、消費傾向に大きな変化が見られるようになります。転換期は91年、94年、そして97年というわけです。

そのひとつは、「第3次ブランドブーム」というか、プラダやシャネル、グッチ、エルメス、フェンディ、ヴィトンといった「ステイタスブランド」の旗艦店が紀尾井町や銀座並木通りに集積され、「ブランドストリート」が誕生したこと。バブルが崩壊した、不況だというのにも関わらず、売り上げを伸ばしているという現象である。

プラダは当時ミニマリズムが、このスライドの右側に位置する「マニアック・カジュアル」、「モノ・カジ」の男性を中心に支持され、黒やグレーのナイロン素材のリュックや斜め掛けバッグが大ヒット。ストリートでも多数見かけたが、価格と価値の合一「価格コンシャス」にこだわる人が増え、並行輸入ショップやウェブショップ、質屋など、本来はマイナーで、「ウラ」に位置した業態が、堂々と目抜き通りに登場したり、大勢が利用することで、「オモテ」に出てきた、とも言えるでしょう。

オモテとウラ、メジャーとマイナーがリミックスした中から生まれ、マイブームから(クチコミで)広まったものが、「ずっとキテる」現象の神髄だったというわけです。。。

また、「この価格コンシャス」という価値観は、その後の「09メガブーム」(今は定着)や、「オークション」へと繋がっていったといえるでしょう。

→「配布資料の90年代の商業施設と専門店の変遷」の97年のところも見てください。ファッションビル、商業施設サイドが上の専門店の方へ、専門店サイドが品揃え型、ライフスタイル型へと下のファッションビル的なスタンスへと向かい、交差? 同質化しようとしているのがわかります。=転換期 

→スライド7(P8)上質なフツー

再びスライドをご覧ください。

90年代の総括ともいえる「極・単」スタイルの台頭後は一転、「肩の力が抜けたシンプルなスタイル」へと移行していきました。「らくちんスタイル」の台頭です。キーワードは「重ね着」=レイヤード。なんのへんてつもないシンプルなアイテムを何枚も組み合わせ、新しい「自分らしい」スタイルを形成する。

そこには、着回しやすさと値頃感という「リアルクローズ(ふだん着)」の基本スタイルの台頭です。

レイヤード、コーディネート主流のファッショントレンドのなか、シンプルな服に小物でアクセント、というスタイルが出始めます。「上質なフツー系」の台頭です。右上ですね。

写真を見ていただくとわかると思うのですが、意外と07年のいまでも通用するスタイルではなのでは。

言い換えると、「ずっと流行っている」トレンド!、とも言えるのではないでしょうか。

→スライド8(P9)90年代まとめ

では、90年代を「定点観測」から総括してみました。

・「90年代はストリートの時代」だった。新しい流行は、仕掛け手側からではなく、渋谷や原宿、ロンドン、NY、パリのストリートの若者から生まれる。

・メインストリーム(メジャー)とカウンターカルチャー(マイナー)の垣根がなくなり、混じり合って変化していった。

・もっとも大きな分岐点は「97年」。小さくは92年と94年、そして97年。

・トレンドマーケットの担い手のオールターゲット化。

→スライド9(P10)93-95の女の子のキーワード 

ということで、最後に、女の子の93-95年のキーワードと、99年以降のキーワードを確認してみます。

→スライド10(P11)99年以降の女の子のキーワード

→配布資料/スライド11(P12)男の子年表 

男の子の94-05のストリートファッションの変遷のレジュメをお見せしましょう。

 

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