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どんべえ介護日記〜おそらくラストミッション〜 その3


2024年6月10日(月)後編

※ 「前編」はこちら

夜はパートナーと前妻の3人で夕飯を食べながら、今日もどんべえを囲んでの談笑。しかしみんなどこか落ち着かない。昼間よりどんべえの呼吸は弱くなっているし、何より舌の色がピンクではなく灰色になっている。口を開けて呼吸をしているから、口の中が乾くだろうと思いシリンジを使って湿らせても、すでにそれを嚥下する力すらない。これは明日の朝まで持つかな、寝ている間に旅立たれたりしたら辛いな。

21時に一度外出し、家に戻ってどんべえに目薬をさす。ここ2、3ヶ月はずっと眼が充血していたが、綺麗な白目に戻っているのは痙攣の苦しさから少しは解放されたということなのだろうか。

弱く不規則な頻呼吸を繰り返すどんべえの背中や頭をさすりながら、「どんべえ、えらいね、よく頑張ってるね」などと話しかけていたら、突然どんべえのお腹がギュルル〜と大きな音で鳴り始めた。

ん? こんな音を立てるのは珍しいな……そう考える間もなく今度は口を大きく開けて、ぐはっと息の塊を吐き出した。ついに「その時」が来たと思い、咄嗟に膝に抱えて「どんべえ、どんべえ!」「大丈夫だよ、そばにいるから」と声をかける。すると、再び大きく息の塊を吐き出した後は呼吸も止まり、目を大きく見開きながら全身の力がみるみる失われていった。

金曜の朝から丸々4日間、意識朦朧としながらもギリギリまで呼吸をし続けた17歳11ヶ月のどんべえは、2024年6月10日(月)22時、眠るように息を引き取った。最後の最後まで生きようとしたその姿は、あっぱれとしか言いようがない。今は「悲しい」「寂しい」というより、不思議なくらい清々しい気持ちだ

どんべえ、帰宅する俺のことを待ってから旅立ったんだね。ちゃんと見送ることができてよかった。今まで本当にありがとう。

2024年6月11日(火)

昨夜、亡くなったどんべえを綺麗に拭いてあげて、お気に入りの服を着せた。

長い間どんべえが苦しんでいるのを見てきた我々には、その苦しみから彼が解放されたことへの安堵感が何より先にある。そして、2月から始まった介護生活と、見送り体制に入ったこの4日間、お互いに「やれることは全てやった」と思えるだけの達成感もそこには含まれていると思う。


一夜明け、葬儀の日程を組んだ今日はその前にやるべきことをやる日。

まずはお世話になった、かかりつけの動物病院へどんべえが亡くなったことを報告をしに行く。先生からは、お悔やみの言葉をいただいた上に、どんべえのケアについて「尊敬していました」とまでおっしゃっていただいた。ただただ手探りでやってきただけで、本当にどんべえのためになっていたのかどうか、今でも心許ないところはあるのだけど、そんな言葉をかけていただき報われる思いだ。

その後、駅前の花屋さんへ行ってブーケをたくさん買い込む。帰宅しどんべえを花で取り囲むように飾り立て、お香を炊いた。

遺影は満場一致でこれに決定。

あとは、明日どんべえと一緒に火入れするものを選び、今日やるべきことは終了。昼間はパートナーや、近しい友人が来てくれて、どんべえの思い出話に花を咲かせることで気持ちを紛らわせていたのだけど、みんなが帰ってどんべえと2人きりになったら急に寂しさが込み上げてきた。

どんべえが旅立った直後は「清々しい気持ち」なんて思っていたけど、それは単に彼の壮絶な最後を目の当たりにたことで、ある種のハイになっていただけのようだ。

2024年6月12日(水)

※ ここからは、亡くなったどんべえの写真が含まれます。

夕べは酔い潰れてしまい、気がついたら朝の4時。すぐにどんべえを安置している場所へ。「肉体」のどんべえとこうして対峙できるのもあと数時間かと思うと涙が止まらなくなる。もう誰もいないし思う存分どんべえに話しかけ、気が済むまで泣くことにした。

葬儀場へどんべえを運ぶための準備をしていると前妻が来訪。前もって瓶詰めにしておいたどんべえの毛を渡した。

どんべえを彼女の車に乗せ、パートナーと3人で葬儀場へ。葬儀と埋葬は、パートナーが飼っていた歴代の保護猫たちも眠っている深大寺動物霊園にした。

立派に飾り付けてもらった祭壇の前でどんべえを花でいっぱいにして、彼が好きだったぬいぐるみや毛布、洋服などもそばに置く。それから彼の大好きなおやつを盛り付けた紙皿と、僕ら3人とどんべえが一緒に写っている写真、彼への手紙も添えて最後のお別れをした。

その後、火葬、骨上げ、納骨とプロセスを踏んだおかげでかなり気持ちの整理ができた気がする。「葬儀」ってよくできたシステムだな、などと考えられる程度には。

霊園のスタッフが、手厚くどんべえを扱ってくれたのもありがたかった。どんべえは合同墓地に納骨してもらったのだけど(他の動物たちがいた方が寂しくないかなと思ったので)、ここに決めてよかったな。緑もたくさんあるし、散歩好きのどんべえには最高の環境だ。

不思議なことに、火葬して骨だけになったどんべえを見て、ある種の「諦め」がついた部分もある。まだ「肉体」のどんべえが自宅に安置されていた時は、気分転換に外出した時もなんだか落ち着かなくて、「早く帰ってあげなきゃどんべえが可哀想」なんて思ってしまったのだが(昨夜もどんべえを安置していた部屋の電気は消せなかった)、こうやって骨になってしまったことで、「もはやどう転んでも『肉体』のどんべえに会えることはない」と思い知らされたのだと思う。

骨上げもとても丁寧で、背骨や尻尾、手の甲の骨などを手早く綺麗に並べた上で、どの骨がどこの部位なのかを詳しく教えてくれた。その中から、喉仏の骨や背骨、犬歯など少しだけ持ち帰らせてもらうことにする。

どんべえ、ごめんな。俺が死んだ時は、必ずお前を探し出してこの骨を返すから。それまでちょっと我慢してくれ。

帰宅し、がらんとした部屋を見渡す。どんべえがいなくなったこの部屋に馴染むまで、しばらく時間はかかりそうだ。

※  2024年6月20日、本文を一部修正しました。

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