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スポーツビジネスに進むきっかけ(その1)

自己紹介のあと何を書こうかな。いろいろ考えたけど、これまでによく受けた質問についてまずは書いていこうと思います。頭の中の整理も兼ねて。

最初はこれ。

「森さんがスポーツビジネスに進むきっかけは何だったんですか?」

よく聞かれます。長めのインタビューではほぼ毎回聞かれます。経歴がいろんな競技を股にかけていて珍しいからでしょう。最近も顧問をしている卓球Tリーグ「T.T彩たま」の選手から聞かれました。

このように聞いてくるということは、それなりに私がこれまで何をしてきたかを大体は知っているということだと思うので、聞かれたかんじは概ね悪くない。でもそれ聞いてどうするの?と思うような人も中にはいる。

人生いろいろなんですよ。。。

スポーツビジネスに進むきっかけ

本題です。私がスポーツビジネスに進むようになったきっかけは2つあります。そしてそれぞれが意図をせずにつながっています。

まず一つ目について今日は書きますね。
思い起こせば2002年。年齢でいえば32歳、慶応ビジネススクールの2年生の時です。私は当時、勤務していたトーメン(総合商社)から企業派遣という形で2年間ビジネススクールに通わせていただいていました。企業派遣なのでお給料は通常通りもらえます。そして学費も満額会社が出してくれる。いい身分です。本当にありがたかった。もちろんそうなるためには社内での選抜試験があり、それをくぐりぬける必要がありました。

ビジネススクールの2年生では修士論文を書きます。それが通らないと修士号(経営学修士=MBA)がとれず、ビジネススクールに行った意味がなくなります。(意味はホントは別にあるんだけど...これはいつか別に書きます)

「何を題材に書こうかな?」まずは派遣元のトーメン人事部に相談しました。私はトーメンでは繊維本部に所属していて、綿(コットン)や毛(ウール)などの原料から、糸(ヤーン)や布(テキスタイル)の中間製品、それから業界で「ガーメント」と言われるできあがった洋服およびその縫製など、いろいろなサプライチェーンの中で9年間ほど商社マンとして介在していたこともあり「どうせ繊維業界のことを書くんだろうな」と何となく思っていました。人事部からもそのような返事が来ると思っていました。

会社からの返事

ところが、です。トーメン人事部からの返事は「森君の好きなことを書いていいよ」でした。驚きました。何でもいいのねと。

急に自由になった反面、しかしこれは後々「会社はMBAのことをちゃんと理解していないのではないか」「社員をビジネススクールに派遣する意味をよく考えていないのではないか」という疑念につながっていきます。

私は会社の発展のために「社命」として学生をしていると思っていました。学ぶのが仕事だと。つまり繊維本部から派遣するということは、これからのトーメン繊維本部の発展を考えて社員をビジネススクールに通わせていると思っていました。なので会社に戻ったあとは当然ながら、今度は私が恩義を返す番だ、繊維本部の発展に尽くそう、と思っていました。

さて何を書こう

「繊維ビジネスでなくても良い」もちろん繊維産業について書いても良いのですが、いざ何でもいいと言われると、じゃあ「せっかくなので繊維以外で好きなことで書いてみよう」となりました。

そこで「自分の好きなものとは何だろう?」とあらためて考えた。ここで初めてスポーツビジネスが出てきます。

私は小学校の時から野球が好きでした。長崎で過ごしたのでTV中継は巨人戦のみです。高校野球もよく見ていました。地理が得意だったのは高校野球のおかげです。出場校がどこにあるか、地図で探していたのです。そして冬になるとマラソンや駅伝をみて、アイスホッケーもみて、サッカーやラグビーやバスケットもみて、ともっぱらTVでしたがいろんな競技を楽しんでいました。

でもよくよく考えるとスポーツにはビジネスのにおいが感じられない。ふと「スポーツを題材にして経営学的なアプローチの論文を書いてみたら面白いんじゃないか」と思いつきました。

日本初のスポーツビジネス論文

通常、修士論文を書く時には先行研究を調べます。これまで先人たちがどのようなものを書いてきたのか、まずは調べる必要があるのです。同じことを書いても仕方がない、ここまでは研究が進んでいるのね、ということを理解する必要があります。

東京の国会図書館で調べました。何度も何度も確かめました。そしてそこで得られた結論は私にとって驚くべきものでした。

「日本にはこれまでスポーツx経営学の論文はない」

まずは頭を抱えました。先行研究がないということは参考になるものがないということを意味します。論文執筆がまったくの暗中模索となるのです。

でもこうも考えました。

「ひょっとしてこの分野のパイオニアになれるのでは?」

この発想の転換が大きかったと思います。俄然やる気になりました。
「先行研究がないのはありがたい」
「自由にできる」
「誰もやったことがない仕事は何だか楽しい」
もともとあった好奇心のようなものが発露したと言えるでしょう。今でもこのように思いながら仕事ができているのですが、それは思い返せばこの時にこんな気持ちをはっきりと自覚できたからなのかもしれません。

Jリーグクラブへのインタビュー

どのような構成で何を書くのか。修士論文なのでいい加減なものは書けません。学術論文なので当たり前なのですが、大学の卒業論文とは求められるレベルが違います。何せ先行研究がない。本当に試行錯誤なんですが、そこからは指導教官の山根節先生の温かさと柔軟さにも助けられ、おおまかな論文全体の構成を考えて、山根ゼミの仲間にも助言をいただき、まずは業界を知ろうと、私のリサーチ先や先生の”つて”をたどって業界の何人かにインタビューを試みました。

「おたくはどんな経営をしてるんですか?」

今思えば不躾な質問です。ただ30歳近いとはいえ、そこは学術研究をしている学生の身分なので、割とずけずけと切り込みました。日本初の論文を書いているんだと多少高揚していたんだと思います。

いざ書き始めると長くなってしまいました。どのJリーグクラブにどんな質問をしたのか、具体的にはまた明日以降書きますね。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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