「迷走」

 「迷う事が生きている証」と唄った歌手が居た。悩みの無い人の方が少ないので誰にでも当て嵌まると思うが、私の人生を鑑みると「迷う」よりも「迷走」と言った方が適切に感じる。それは悩み苦しみ「何処に向かって走っているのか分からない」とも言える。「迷走」し続ける私は未だに出口が見えないのだった。暗闇の中で何処かに光がないかと暗中模索して居るだけの人生なのかと思うと、何だか息苦しくさえ成って来る。

 迷いの無い人が仮に居たとすると、その人に憧れるかと言えば逆で「迷う事の無い人生など味気ないものだ」と言い放つが、出口の見えない中を「迷走」して居ると自分が本当に何がしたいのか分からなく成って来るだろう。「一片の迷い無し」と言い切る人はサイコパス的な気質の人間だと言いたい。しかし「生きる事が迷って居る」と言い換えると優柔不断な人の様にも思えて来る。

 「迷走」が個人の体験の範囲ならば自己責任と言われて終わるが、会社などの組織ではどうだろうか。少なくともトップの人が頻繁に発言の内容を変えると部下は「迷走」して居ると感じるだろう。しかし私は「君子豹変」との言葉をよく用いて居るので、発言が瞬時に変わっても気にしない。それ所か「トップに立つ人間はより良い方法があると思ったら、前に言って居た事と逆の内容でも瞬時に切り替えるべき」と思っている。

 「名君は自分の意見よりも、部下の内容の方が良いと思えば迷いなく採用する」と。それが本来意味する所の「君子豹変」なのだが、現代を観ると言葉に左右される事を嫌う人が多い様に思える。自分の意見が採用される様に根回しをするのが当たり前で、反対意見には聞く耳を持たない、と成ると正直言って会話が成立しない。

 誰とは言わないがネットの動画で観た記者会見で質疑応答を受け付けていたが、会見を開く前に事前に質問内容を知っていて、それに答えるだけの様子であった。記者が質問したいと言っても司会者は「定時に成りましたので質問を打ち切らせてもらいます」と事も無げに言って会見を終わらせた。その何とも後味の悪さに私は怒りが込み上げて来るのだった。

 質問を聞いても「手持ちに資料が無いので後日お答えします」と言えば会見の場は収まると思うのだが、予定している質問以外は聞かないとするなら、会見する意味があるのか疑問であった。それなら会見形式にせずに一方的に方針を発表すれば良いのだが、それでは傲岸不遜な人物と観られると思ったのだろうか。結果、その会見を観て「迷走している」しか感想は持てなかった。

 「あの人は迷っている」と他人から思われたくないとの感情ならば、その人は独善的だと言える。それを許す社会を観て居ると、私は何とも脱力感に襲われる様な気がして来る。力強い責任者を演出したいのは分かるが、所詮は馬脚を表すので私は一々腹を立てても仕方のないと思って居る。ただ責任者の資質として少なくとも記者会見を開いたのなら賛同する意見だけでなく、反対する意見も聞かなくてはいけない。

 それが蔑ろにして居るのでは「墓穴を掘るだけ」とも思って居るので、後々に非難されるのを承知で、覚悟を決めて居るのだろうか。私は単純に考えるので「好まれて職に付き嫌われて去る」よりは「嫌われて職に付き好まれて去る」の方を選びたい。それが一番難しいとも思っているが、愛想の良い笑顔を振りまいて居れば、支持されると思っているのなら間違いである。当たり前の話だが芸能人の人気投票ではないのだ。仕事で成果を出す為に選ばれた人なのだから「ちゃんと仕事をしてくれ」と言いたく成る。

 こんな事を態々書いたのは「こんな責任者を選んだ世間の人は愚か者だ」と言いたい訳ではないが、組織のトップに立つにはどの様な人間性を備えた人なのか、注視して居る人が少ないと感じたからだ。これは特定の組織に付いての批判でもあり又私達が身近に起こりうる問題としてもある。それなので単純に組織の「頭を変えろ」と言って終わりに成る話ではない。そして組織もある種の問題を抱えて「迷走」する時がある。

 歴史を見れば太平洋戦争敗戦から立ち直るのが大きな目標としてあった。そして経済大国として復興を遂げたが、その時点で何かが止まってしまった様に思える。直近の二十年間は形式を変える事ばかりが目に付く。形式とは体制を維持する為に用いられる物と此処ではそう定義する。すると「迷走」が始まる。既に整った形式を「必要が無い」「時代に合わない」などと言って弄るのだから、真面な成果が出て来る事など無い。そもそも緊急性の無い問題を扱う場合は「卓上の空論」が続いて行くだけだ。

 それが即断即決を迫られる場合が発生したとする。今迄、形式を変更するだけの事をして来なかった人達が対処出来るとは到底、私には思えない。場当たり的な対応で逃げるのが関の山だ。組織のトップの交代で対応出来るのは小手先の問題だけで、抜本的な解決には成らない。それ所か更なる危機の発生を招いてしまう。では開き直って解決方法が無いと言えばよいのかも知れないが、それを許す社会など何処にも無いのである。

 具体的に組織名を上げて書く方が良いのかも知れないが、それでは誰かを非難するだけで終わってしまう。私はそれが嫌なので一見何に付いて書いて居るのか分かり難い内容に成って居るのは理解しているが、逆に言えば読んだ人が想像できる余地を残して居るとも言える。「迷走する現代社会」との意見と捉えても良いが、飽くまでも書いて居る私の感覚からは逃れられないので共感を得られるかは分からない。それでも書くのは何かの使命を帯びて居るからと言えるかも知れない。

 個人的な話をすると「迷走」は夢でよく観る。寝ている時の夢の話など退屈な物で意味を成さない場合が多い。それでも書くが私が見る夢には「街」が出て来る。その「街」で私は咎人の様に彷徨うのであった。何から逃れ様として居るのかは分からないが、酷く怯えて「街」の往来を歩いて居る。特に目的も無く通り掛かった家の軒先には鳥籠が吊るしてあった。その籠の中には文鳥が二匹入っていて、盛んに鳴き声を上げて居た。

 こうして観た夢の内容を書いてみても何を意味しているのか意味不明であるが、日頃から何かに追い立てられて居る生活の断片が夢と成って現れたのかと。現実社会にも逃げ場が無く夢の中にも逃げる所が無いのでは、自分の事だが病的に感じる。社会との接点が複雑に成ったのが原因と言えばそうなるが、組織に属していない私への忠告とも思える。人間は何かに依存しなくては生きていけないので、人によっては組織に忠誠を誓い心の平穏を得ようとする。

 それは極当たり前の行為なので誰も注意して考えないが、既に書いてある通り組織に属するには要らぬストレスを溜める場合がある。体験談だが会社で組織の成果を冊子に纏める仕事をしていた事があった。前任者が作成した物があるので誰にでも作れる物だと始めは、そう思っていた。所が各部署から記事が送られ作成したが、直属の上司が言うには「内容をよく読んでいないだろ。ちゃんと読め」と理解に苦しむ発言をした。

 そう言われて私は膨大な記事に目を通して誤字脱字を拾い出したり、書式が乱れて居る箇所を直して再提出した。すると「ここは組織上は附属機関だから順番を差し替えろ」との支持が出た。それに付け加えて「こんな仕事は素早く正確に出来るだろう」と叱責を受けるのであった。私としては「素早くやったら、間違いが出てくる。正確にやったら時間はかかる」と誰に言うでもなく心の中で思った。

 私としても何時までも組織の成果を纏めるだけの仕事をしたくはないが、時間を掛けて記事を見直し再々提出をした。しかし記事に不満がある上司が内容の訂正をする様にと言い出した。記事は各部署の担当者が書いた物で勝手に書き換えられない。それを知っているはずなのに更なる修正を求める上司に嫌気が指して居た。他にも急ぎの仕事があるのでそちらを優先して居たら「仕事が遅い」と又も上司から叱責を受けるのであった。

 その後も色々と叱責と言うよりは罵倒の言葉を浴びながら仕事をして居た。この上司の下では仕事は出来ないと思い耐え忍ぶ毎日となったが、そのストレスから精神に異常を来すのも時間の問題であった。結果、胃潰瘍を発症して病院に通う羽目に成ってしまった。それでも年度末には人事異動があるので、上司が居なくなればと思いながら会社に勤務して居た。だが人事異動と成ったのは私の方であったのが、笑えない冗談の様に今では思える。

 私の勤務状況を見て上司が査定を本社に報告したのだろう、その年は昇給されなかった。そして人事異動先は事務雑用一般と書くと良い部署に思う人も居るだろうが、特に事務経験が無い私にはそこも苦痛でしかなかった。それに付け加えるなら今時小学生でもしない様な嫌がらせを受けた。受けた嫌がらせは詳しくは書かない。余りにも馬鹿らしい内容なので書きたくない。そんな経験をして居るので、組織と言う物に対して嫌悪感しか持てない様に成った。

 「迷走」している組織に発生しやすい現象だと客観的に見る事が出来るが、その渦中に居た私は思考が停止して居た。馴れない事務に胃潰瘍を患い、不眠症によって精神的までも疲弊していた私。辞職するのは目に見えていた。そんな組織でも辞職すると成ると花束を贈るのであったが、定年退職でも寿退社でもない私に花束を贈る感覚が分からない。退職の日に手渡された花束を直ぐに捨て様かと思ったが、花には何の罪もないと思い止まり家に持ち帰って花瓶に生けた。

 その組織に居たのは、もう十年も前の話だったが今でも詳細に覚えて居るのは、余程苦しかったのだろう。夢の中を咎人として彷徨うのも、もしかしたらその組織に居た経験のせいかも知れない。そして私はどの様な組織でも懐疑的に見てしまう様に成ったのだ。退職した事を悔いて居るかと聞かれると、何と言って良いのか分からないのが正直な所だ。少なくとも病気をしてまで働くのが良いとは言わない。

 私は人よりも苦労が多いのかと思う時がある。「若い時の苦労は買ってでもしろ」と年配の方が言うが、私は「苦労は売るほどある」と言い返したく成る。それがこうして書く原動力に成って居るので、組織の中で働いた事が無駄では無い。と言うか無駄にしない様に心掛けて居るだけかも知れない。そうやって世間を観て居ると分かって来る事がある。それは子供の頃の出来事すら客観的に観える様に成って来た。

 中学生時代、クラス別の合唱コンクールが催された。私のクラスは特別意欲的では無い状況で、歌好きの女子が提案した流行歌を歌う事に成った。だがその後は「迷走」を続けた。流行歌なのだが私は聞いた事の無い歌で、その女子からから渡されたカセットテープを放課後に数人で聴いたのだったが、非常に難しい曲に思えた。声変わりをしている男子では到底出せない音域の歌声だったので、そんな男子はオマケで参加する様な感じで練習していた。

 他のクラスは合唱コンクールに適した歌を採用して居たので、練習の歌声が教室に聴こえてくる。それを聴いたクラスメイトが「この流行歌を歌うのを止めよう」と言い出すのだった。放課後、教室に残りクラスメイト全員で会議と成った。もう練習時間は二週間くらいしかなく、今更歌を変更するのは難しいのではと言った内容であった。私もその場に居たが特に発言するでもなく同級生の遣り取りを観ていた。

 結果、流行歌を止めて合唱コンクール用の歌に変更と成った。ただ他のクラスに出遅れているので練習時間を多くするべきだとの意見も出た。しかし塾通いの子も居るので、クラス全員で練習するのは厳しい状況であった。「迷走」する私のクラス。時間は待ってはくれない。「とにかく練習だ」と放課後に残った皆と歌って居た。それで合唱コンクールで入賞でもすれば美談なのだが、六クラスあって五番目の順位と成った。

 その結果に対して「初めから合唱コンクール向けの歌にしていれば良かった」「あの女子の勧めた流行歌に誰が決めたんだ」と言った罵り合いが始まった。流行歌を提案した女子は合唱コンクールの結果に付いては無言であった。他の女子からどう思われて居たのかは分からないが、男子の間では非難の声が出て居たのを覚えている。と言っても中学生の事なので一週間も過ぎると誰も気にしなく成った。

 学校も組織であるには違いがないので、今としては「流行歌を選択する時に担任の先生に意見をもらう必要があったのでは」と思える。かと言って同意不同意を先生に委ねれば、合唱コンクールの成績が悪い時は、先生の責任に成るのではと。クラスと言う組織を束ねて居る生徒が決めた事ではあるが「成果が得られないと批判されるのだ」と思うと中学生時の話で終わらず、大人の世界と同じであろう。

 「迷走」する組織は誰かを吊るし上げる時がある。それは会社ならば畑違いの職種から来た平社員に向けられ、中学生の頃の私の経験では合唱コンクールに流行歌を勧めた女子だったりする。結論として誰からも非難されない立場に居るのを望む誰かが居るのだ。私を事務職に配属した誰か。流行歌が良いと言い出したクラスの誰か。そんな誰かに左右されて人は嫌でも生きて行かなくてはいけない。

 そんな社会に生きていると思考停止に成って、誰かの意見を特に気にせずに受け入れてしまう。しかし本当なら自分で選択する必要があるのだ。それは「迷い」「悩み」導き出すのである。それで何か得るものがあるとしたら「生きている」と思えるくらいだろう。だがそれが今一番大事な事の様に私は思えてならない。

 私の「迷走」する人生は何処に行くのだろうか。そして出口はあるのか。もし出口があるのなら、それは人生の終わりを意味しているのか。私は「迷い」続けて居るので結論を出せる立場に居ないだけかも知れない。結論としての「人生」は「迷い走り抜ける先にある」と言えるかも知れない。

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