そこにあるのは過ぎ去った風景と人々。
川窪花野さん個展「ところにより 通り雨」
川窪さんは、五美大展ではじめて拝見した。
「コーヒーと1パイント」という作品だった。
とても印象に残っていて、いつか個展を拝見したいと思っていた。
その後、川窪さんは女子美術大学洋画専攻を卒業し、
東京藝術大学大学院美術研究科に所属している。
そして今回の個展。池之端にある花園アレイの五階
「THE 5TH FLOOR」がその会場だ。
元社員寮だった建物らしい。
5階の501、502、503号室の三つの部屋がその会場。
この三部屋がつながっていないところが面白い。
都度、誰かの部屋を訪ねるような、違うギャラリーに足を踏み入れるような
わずかばかりの緊張感が生まれる。
川窪さんのステートメント
緊急事態宣言が発令され外出が制限された4-5月の間、私は薄暗く狭い自室から窓を見つめることが多くなった。
元々、引きこもり気質ではあったので自宅で過ごすことはそこまで辛くなかったが、他者・物事と容易に繋がれる手段がインターネットしかない状況に嫌気がさしていた。そのような気持ちを抱えながら窓を見ると、眩しい光が差し込んできたり大量の雨粒が雨音とともにやってきたりした。天気に対する意識・身体の反応は、私の知らない誰かはたまた知っている誰かと繋がっていると思うと心が軽くなった。
天気と意識について考えていた時、ふと農家と天気の関係性が気になった。現代は天気アプリがあるので、天気を予想するのは昔と比べて簡単になっている。しかし、空模様の微妙な変化や光の具合への反応は反射的にあるはずだ。
それは農業を行っていない人でも同じことがいえる。朝の番組での天気予報で「今日の天気は晴れ模様でしょう」と聞き、外へ向かう。例え一日中晴れだと思っていても、通り雨に遭遇したりする。人はそれが通り雨だと認識するまで、空を見上げたり着ているジャンパーを傘代わりにしたり、店に入ったりする。そして、通り雨が過ぎ去ったら以前の行動に戻っていく。その一連の行為を通して、一瞬の風景の変化を自分の経験と他者の行動を用いて認識していると感じた。
私はそのような風景に強い関心を抱き、絵を描いた。実際目の前にあった風景だが、描かれている動作の中では目の前に存在しない。
目の前にあったかもしれないという通り過ぎた風景を描きたかった。本展では頑として動かぬ絵に通り過ぎた風景を起こすことで、他者・物事を介した認識について考えている。
501号室は、「Morning」
502号室は、「焼却場」「集合住宅」
503号室は、「Midnight」
そこには過ぎ去った風景たちがある。
濃淡や、筆致、ところどころに表れる二次元的な構図。
それらは、彼女の記憶のグラデーションと繋がっているのだろうか。
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受付で川窪さんに渡されたDMに農夫の絵があった。
が、展示にはないようだった。
それが少し残念だった。
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その残念な気持ちの根底には、
きっと川窪さんが描く人が好きなのだなという感覚がある。
「コーヒーと1パイント」の人たちも魅力的だ。
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次の展示も楽しみにしたい。
サポートしていただけたら、小品を購入することで若手作家をサポートしていきたいと思います。よろしくお願いします。