見出し画像

エホバの証人2世として育てられた私が、今伝えたいこと。

私は、エホバの証人の2世として育てられました。
このことは、今までに一度も公言したことがありません。
宗教2世であることまでは、去年の秋に書いたこの記事で明かしているのですが、具体的な宗教の名前について言及するのは、これが初めてです。

私がnoteを始めたとき、いつかはこのことを書こう、と決めていました。
宗教2世であるという事実は、今の自分を形成している核のようなもので、価値観や考え方、そして作品としての写真にも、その影響は色濃く表れています。
宗教2世という属性を抜きにしては、今の私について語ることは難しいとすら考えています。
それでも、この事実を公表すると決断するのは簡単なことではありませんでした。

SNSである程度知名度のある自分が、このようなことを発信した結果もたらされる影響は何か。
センシティブな個人情報を不特定多数に公言することの妥当性や意義は何か。
そして何より、現役信者である、実家の家族を傷つけることにならないか。

長いこと、文字を打ってはやめ、文字を打ってはやめを繰り返し、言葉の切れ端が下書きとして積み重なる中、公開のボタンを押そうとしてはぐっと踏みとどまる・・・約2年間、この繰り返しでした。

何故このタイミングで文章を公開することを決めたのかというと、今、エホバの証人の存在が、未だかつてないほど注目を集めているからです。
安倍元総理の銃撃事件により、宗教2世という言葉が世間で広く知れ渡るようになり、その事件を契機に、いわゆる「カルト宗教」への批判の声が高まった気がします。
そのような状況下で、先日、エホバの証人による輸血の拒否や鞭という名の体罰、そして忌避(排斥)などが、メディアで次々に取り上げられました。
現役信者・2世の方々が勇気を出して体験談を公表したり、2世の子供たちを保護することを目的とした法整備が進みつつある現状を目の前にし、勇気づけられる思いでいます。
同時に、信者個人への攻撃や、教団に関する出所の定かではない偏った情報が目に入るようにもなりました。
このこともあり、(あくまで私の目から見た)エホバの証人の実際の姿や、2世として育てられた子供が実際にどのように生きているのかを伝えたい、という思いを、改めて強く抱くようになりました。

この記事では、当事者だからこそ書ける事実をできるだけ公平に、そして自分自身が感じた主観的な考えに焦点を当てて、筆を進めていくつもりです。
エホバの証人の教義の正当性を議論したり、現役信者の方々を批判したり、といったことは控えたいと思います。
分かりやすい敵を作って攻撃をしても、自分の生き方を正当化できる訳ではありませんし、誰も幸せにならないからです。

宗教2世としての日常

私が幼い頃、エホバの証人の訪問を受けた母が聖書を学び始めました。
確か、訪問してきた信者が口にした、幸せな家庭生活を実現するにはどうしたら良いか、というような話に惹かれたと後に言っていました。
父は単身赴任中で不在、慣れない育児で色々と思い悩むこともあったのだと思います。

それから間も無く、私は妹たちと一緒に集会(キリスト教でいう教会のようなところ)に連れて行かれるようになりました。
当時、集会は毎週3日、それぞれ2時間程度の長さで開催されていました。
全く内容の理解できない話を、長時間座って聞かなければならない環境は退屈ではあったものの、母がそこまで厳しい信者ではなかったため、落書きを見逃してもらえることもあり、大して苦痛な時間ではありませんでした。
書籍の朗読と質疑応答で構成される聖書の勉強会では、壇上の兄弟(男性信者)からの質問に対して手を挙げて答えると(大体「エホバです」のような簡単な答え)、集会の後に沢山の信者が集まって褒めてくれるので、とても誇らしい気持ちになりました。
今話題になっている鞭についても、私の幼い頃にはあまり主流ではなくなっていたのか、それとも私が通っていた会衆が特別だったのかは分かりませんが、私が鞭を受けることは滅多にありませんでした。

また、集会の前には集会の予習として、母と一緒に勉強会で取り扱う予定の書籍を読み込み、質問に回答をする準備を行いました。
この訓練を積んだお陰で、長文の中から回答を見つけ出すのが得意になり、後々国語の授業で役に立ったと感じています。

それから、集会の予習とは別に個人研究といって、信者が自発的に聖書を学ぶことも推奨されていました。
個人といっても子供なので、私は確か母と妹たちと「わたしの聖書物語の本」という子供向けの書籍で、聖書について学んでいました。
聖書の中の逸話を描いた絵が妙にリアルで美しく、挿絵付きの童話を読んでいるような感覚でした。

更に、学校が休みの日には奉仕という、まだ聖書を学んでいない人への布教活動に励みました。
私は母か大人の姉妹(女性信者)の同行という形で行っていたのですが、私たちがエホバの証人と知るや否や「結構です」と迷惑そうにドアを閉める方が殆どでした。
それでも、私が「どうぞ」とパンフレットを手渡すと、「じゃあ受け取るだけなら」と受け取ってくれる場合が多く、母や姉妹に褒めてもらえるのが嬉しかったです。

今になって振り返ると、学校以外の時間は集会の前の準備、個人研究、集会、奉仕、そして学校の宿題をこなしていた私も大変だったと思いますが、家事や育児に加え、子供たちを真理の道に教え導かなくてはという使命感を負った母の苦労は、相当なものだったのではないかと推測します。
そして、未信者でありながら、母を迫害せずに教義とは適度に距離を置きつつ、家族を養ってくれた父のありがたさを、今になって一層実感しています。

様々な制限を課された子供時代

エホバの証人は、日常生活における制限が非常に多いことで知られています。
具体的には、誕生日、クリスマス、お正月、雛祭りといった行事、魔法等の非聖書的とされる内容や、バトル等の暴力的なシーンのあるアニメ、ゲーム、漫画、それから校歌斉唱、選挙、喫煙、輸血、結婚前のデート等が挙げられます。
それから、明確に禁止だと言われているわけではないですが、部活動、大学進学、正社員としての就職は、霊的な活動に割く時間が減少してしまうのと、世の人(信者以外の人)からの影響を受けやすくなってしまうため、あまり望ましくないとされています。
それぞれに禁止される理由は聖書に基づいて記載されており、母や会衆から説明されていたのですが、例えば信者個人が誕生日を祝うことで何故エホバか悲しまれるのか、腑に落ちないまま従うしかありませんでした。
あまりにも禁止事項が多すぎたため、何が許されて何が許されないかが分からなくなった私は、友達の間で流行っているものは全て駄目なのだと捉えるようにしていました。

学校では、それらの制限を守るだけではなく、先生や友人などに「証言」をする必要がありました。
「お母さんが駄目だと言ったから」という理由ではなく、「エホバが悲しむから」「聖書にそのように書いてあるから」といったように、自分自身で決めたことなのだと対外的に示すよう勧められていました。
例えば、小学校低学年の頃、七夕に際してクラスのみんなで笹に短冊を飾り付けることになった時、私は「私はエホバの証人です。七夕のお祝いはしないので、お願い事は書けません」と担任の先生に伝えました。
先生は少し困った顔をした後、「そしたら、七夕とは関係なく、将来何になりたいかを短冊に書いてもらえる?」と提案してくれました。
私がクラスメイトから浮いて孤独な思いをしないよう、咄嗟に配慮してくださったその先生には感謝しています。
同じようなことは、クラスでのクリスマス会や誕生日会でもありました。
当時の自分としては、強制的に言わされているという感覚はなく、むしろ証言した後は母の喜んだ顔が浮かび、達成感に包まれていました。
友達の誕生日会に参加できないことや、ゲームやテレビの話で盛り上がれないことは寂しくはありましたが、多様性を受け入れる風潮の学校だったためか、のびのびと楽しい学校生活を送っていました。

しかし、それも小学校まででした。
中学校に入り、自我が芽生えてくると、エホバの証人の制限をはっきりと苦痛だと実感するようになりました。
自分とクラスメイトの違いを意識し始め、周囲から浮きたくないと強く感じるようになったのも、この頃からです。
どの学校もそうだと思いますが、私の通っていた中学校では学校行事の度に校歌斉唱がありました。
本来であれば校歌を歌うことは禁止されていたのですが(校歌斉唱中に起立することも良くないという教え)、他の人から変な目で見られたくない、との一心で、普通に起立し、口パクで歌っているふりをしていました。
修学旅行先の京都では、お寺に近づくと罪悪感からか気分が悪くなり、入ることができませんでしたが、本当の理由は言えず誤魔化しました。
当たり前のようにクリスマスを祝っている友人が妬ましく、中学の時だったと思いますが、「クリスマスなんて、おもちゃを売りたい会社のためのイベントじゃん。みんな商業主義に踊らされて可哀想」と、クリスマスを祝っている人たちを見下すような発言をしてしまったことがあります。
また、高校では「なぜ日本人はクリスチャンでもないのにクリスマスをお祝いするんですか?」と授業中に先生を問い詰めたこともありました。
今思うと痛々しくて恥ずかしいのですが、劣等感を紛らすための必死の自衛の策だったのかもしれません。

それから、思春期の女子にとって非常に由々しき問題として、服装の制限がありました。
エホバの証人の信者は、清楚で「慎み深い」服装をすることが求められています。
例えば、女性であればスカートは膝丈より下で、胸元の空いたトップスは避ける必要があります。
明示的に禁止されていたかどうかは分からないのですが、会衆内でパンツを履いている姉妹は一人もいませんでした。
私は中学に入ってからファッション雑誌を読むようになり、お洒落をすることの楽しさを覚えました。
内容がよく理解できない聖書の話を聞くだけの集会でも、好きな服を着て行けば気分が少し晴れるような気がしていました。
母が会衆内でお局さん的な立場の姉妹に呼び出され、「姉妹の娘さん、最近格好が慎み深くないわね」「他の兄弟姉妹を躓かせないように」等と言われたと知った時は、言いたいことがあるなら私に直接言え、と、怒りに体が震えたのを覚えています。

とはいえ、日常は制限ばかりではありませんでした。
私のいた会衆では、若い兄弟姉妹が中心となって企画する「交わり」と呼ばれるレクリェーションがよく行われていました。
集会の合間を縫って、お花見や信者宅でのピザパーティなど、会衆の仲間と過ごした楽しい思い出が沢山あります。
会衆の兄弟姉妹は、私を気遣って温かく接してくれる、優しい方々がほとんどでした。

教えに対する疑問が不信に変わった時

宗教2世としての毎日を何となくやり過ごしてきた私でしたが、小学校高学年頃から、色々と疑問を持つようになりました。

特に納得がいかなかったのは、エホバの証人の教義の軸である、「ハルマゲドンでは、信者のみが生き残り、それ以外の人は滅ぼされる」という教えです。
厳密に言うと、エホバの証人が述べ伝える教えに触れていない人、つまり布教されていない人は滅ぼされることはなく、教えを知っていながら信者になることを選択しなかった人は滅ぼされる、という解釈がされていました。
幼い頃から、信者たちが口にする「世の人」という言葉からは、哀れみと蔑みの匂いを感じ取っていたのですが、それはきっと「真理に辿り着いた選ばれし私達」と「将来滅ぼされる可哀想な人達」といった、選民思想的な考えが滲み出ているのではないかと感じていました。
この教えをどうしても受け入れることのできなかった私は、母に色々と質問をしたのですが、最後は「エホバは全知全能の神なのだから、人間には思いもつかないような公平な方法で裁きをされる」との結論で話が終わってしまった覚えがあります。
厳しくも、子供が大好きでたまらない涙脆い父親。
孫の訪問を温かく迎え入れてくれる祖父母。
姉妹と私が奉仕で訪問すると、「ごめんなさい、うちは宗教は大丈夫です〜」と笑顔で頭を下げてくれた女性。
エホバの証人になることを選ばなかったというだけで、彼らは滅ぼされるべきなのでしょうか?・・・どうしても、そうとは思えませんでした。

それから、予言の解釈の変更にも疑問を感じました。
エホバの証人は、1914年に生きていた人々が生きているうちにハルマゲドンがくる(意訳)、という内容のものをはじめ、教団独自の解釈によって導き出した予言を信じています。
私がいつものように集会で話を聞いていると、壇上の兄弟が「新しい光が加えられた」と口にし、周囲の空気がさっと変わったのを感じとりました。
どういう意味かと母に尋ねると、オブラートに包んで説明してくれましたが、つまりは予言が外れたため、教義を変更するということです。
エホバが全知全能の神なら、なぜ自分を信奉する人間が誤った解釈のまま進むのを黙って見ておられ、今になって急に正解を教えたりするのだと、純粋に疑問に思いました。

他にも、エホバの証人が信じるもののみが善で他のものは全て悪という二元論的な価値観、何か良いことがあるとエホバのおかげ、悪いことがあるとサタンのせい、という思考停止的な姿勢、女性はどんなに信仰心に篤く能力があっても教団で指導的な立場に就いてはならないとする男女差別的な教え、隣人を愛せよと説く一方で、世の人や世に近いとされる信者に対する排他的な態度の矛盾など、自分の中で疑問は徐々に増えていきました。

そして、中学3年生の春、海外に家族で引っ越すことになり、言葉の通じない環境や新しい学校に慣れるのに精一杯だった私の中で、プツンと糸が切れました。
ある夜、自室で一人、電気もつけずに過ごしていると、エホバの証人に対する不信感や拒絶感が口から雪崩のようにこぼれ落ち、そのまま1時間近くも経っているいることに気がつき愕然としました。
精神的にも限界が近づいているのを感じた私は、母に、集会に行くのをやめたいと伝えたのです。 

母にとっての私って何?

私は当時、良く言うと口達者、悪く言うと屁理屈の多い生意気な中学生だったように思います。
エホバの証人の教義に疑問を感じることの多くなった私は、集会に行くのをやめると伝える数ヶ月前から、母に頻繁に質問をし、矛盾していると思われる点を指摘し、その流れで議論を挑んでいました。
母は辛抱強く議論に応じてくれていたと思いますが、相互理解や合意点に達することを目的とした話し合いを是とする母と、相手を論破することを目的とした私の議論は、平行線を辿ってばかりでした。
私は、親子であってもここまで分かり合えないことがあるという事実に呆然とし、結局は親も他人なのだということを身をもって感じました。
そんな日々が続き、集会に行くのに後ろ向きな子供達を連れて行かねばと焦る気持ちもあったのか、母は特に集会に行く前に苛々しているような気がしました。
そして私は、母に残酷な言葉を突きつけてしまいます。
「幸せになるためにエホバの証人になったのに、お母さんは全然幸せそうじゃないよね」
そう告げた母の顔から、表情が消え去りました。
このことは、今思い出しても胸が痛みます。

母は私たち子供から相談をされると、聖書に書いてあることを元にアドバイスをしていました。
聖書にはこう書いてある、だからこういう行動を取ったらいいのではないか、というようにです。
自分の子供には、自分が最善と信じているものを教えたいと願うのは当然のことでしょう。
ただ、そのこともあり、私の中では私と母の間に見えない何か、例えば聖書やエホバという壁が存在しているような感覚が常にありました。
私は、エホバと子供の仲介者ではなく、一人の母親としての意見が聞きたかったのですが、聖書をなぞるような答えに、虚しさは募るばかりでした。
また、これは自分の認知が歪んでいたせいもあるのかもしれませんが、母は私が集会に行っているから愛してくれるけれど、集会に行くのをやめたら子供とすら認めてもらえなくなるのではないか、という不安が、排斥の教えを知ってから芽生えるようになりました。
エホバの証人としての道を歩むことと、母からの愛情を与えてもらうことはセットになっていて、私は無償の愛情ではなく条件付きの愛情を注がれているのだと感じていました。

ただ、その考えは必ずしも正しくはなかったのだと、今になって実感しています。
私が集会に行くのをやめると伝えた時、母は悲しみ、何度も話し合いを重ねましたが、結果的に、私の決意が固いことを理解し、私の考えを尊重してくれました。
話し合いの席で母は、「子供は親のロボットではないからね」と自分に言い聞かせるように何度も呟いていました。
私がエホバの道を離れてからも、母はこれまでと変わらず私に温かく接し、集会に行き続ける妹と分け隔てなく育ててくれました。
高校生の時に毎日お弁当を作ってくれたこと、第一志望の大学に合格できるよう支えてくれたこと、長く付き合った恋人と別れた私と一緒に泣いてくれたこと、就職後、激務で疲弊する私を気遣って、お米やレトルト食品を送ってくれたこと。
これが無償の愛でなかったら何なのか、と思ってしまうほど、私は母からの愛情を受けていると実感できています。

子供の頃は認めるのが難しかったのですが、親は完全な存在ではなく、当然間違いも犯します。
私は結局、母の望むような人間にはなれませんでしたし、私は母の考えに同調できない部分も多いですが、誰が悪かったわけでもなく、互いの理想とする生き方が違っていただけなのだと、気持ちの整理をつけるようにしています。
母は母なりに、子供達に幸せになってほしい一心で努力していたのだろうと思いますし、その動機までも疑うようなことはしたくはありません。
「宗教1世は、自分の足でゆっくりと、周りの景色を楽しみながら信仰という名の山を登ることができる。けれど、2世はいきなりヘリコプターか何かで山頂まで連れて行かれて、『これが真理だよ、凄いでしょう?!』と言われているようなものだ。」
これは、母がよく言っていた言葉です。
母も、宗教2世の苦しみや葛藤を理解しようと努めてくれていました。
けれど、自分で主体的に信じる対象を決めた1世と、そうではない2世の間には、決して埋まらない溝があります。
お互いに完全に理解し合うことは難しくても、親子という近い存在だからこそ、意識的にお互いの考えを尊重するよう心がけることが大切なのだと思います。

宗教2世は永遠に宗教2世

エホバの証人から離れて約15年経ちますが、宗教2世はいつまで経っても宗教2世なのだと感じることがよくあります。
幼い頃から長年教えられてきた教義や物事を見る視点は、大人になった今でも根強く残っています。
いつまで経っても「世の人」になり切ることはできないのだと、諦めのような気持ちで過ごしています。

例えば、いつか自分も母のように宗教に縋ってしまうのではないか、という不安は、常に付き纏っています。
実は、私の母の両親も宗教を信じているのですが、それが一層不安を助長しているような気がします。
私の中に、大きなものに縋りたい、絶対的な真理を信じたいという潜在的な願望が全くないとは言い切れません。
私が集会に行くのをやめる直前、当時好きだった人にエホバのことを相談したところ、「そんな神様いないよ。やめてしまえばいい」と言われ、目の前が一気に明るくなったのと同時に、「あ、私はこうやって、私にとっての新しい神様を作るんだ」と妙に冷めた頭で考えていました。
また、冒頭に掲載したnoteの別の記事でも記載しましたが、私は大学生の頃にとある哲学者の言葉に深く感銘を受け、支えられたことがありました。
そんな時、ふと我に帰ると、やはり私も宗教に縋りやすい素地があるのかもしれないと無力感に襲われます。

それから、まもなく終わり(ハルマゲドン)がくると説かれ続けてきた影響からか、自分や大切な人が滅ぼされることへの恐怖や、人生に対する無常感を、フラッシュバックのように生々しく感じることがあります。
滅ぼされることが予め定められていることが分かっているのに、途中で切れている道の上を歩き続けていることで、自分の人生を生きている気がしないという感覚を何度も感じましたし、幼い頃から、自分は30歳になる前に滅ぼされるんだと(何故30歳なのかは論理的に説明できないのですが)漠然と思っていました。

また、エホバの証人に特徴的な「この世界には白と黒のどちらしかない」という二元論的な考え方を植え付けられてきた反動なのか、「これが絶対的な真実だ」という論調を掲げる人を見ると、自分でも驚くほどの強い憎しみに襲われます。
その一方で、物事を二項対立的に考える癖のある自分の性格を自覚することが多々あり、自己嫌悪に陥ってしまいます。

そして何より、私は結局、母が本当に望む生き方はできなかった、という感覚が強く残っています。
そのせいなのか分かりませんが、根本的に、自分に自信が持てないのです。
いくら第一志望の大学に入学しても、憧れていた中央省庁に就職しても、大好きな人と結婚しても、自信のなさは消えません。

私は、子供を産むつもりはありません。
周囲に理由を尋ねられる度、「まだ趣味を楽しみたいから」等と誤魔化してきましたが、理由は別にもあります。
このような脆さを抱える自分の遺伝子を、後世に残したくないという気持ちを拭うことができないのです。
そして、仮にもし宗教でなくても、自分の信じる何かを子供にも信じてもらいたいと強く願うあまり、母と同じことをしてしまったとしたら。
自分の子供が、私が経験してきたような感情を抱くようになるのは耐えられないのです。
これが、エホバを信じることを選ばなかった自分への罰なのかとも自嘲的に思います。

色々と書き連ねてきましたが、宗教2世がみなこういった感情に苛まれているわけではありません。
私と同じ環境で育ってきた妹達は、全く別の考えを持っていますし、あくまで私に限った実例だと捉えていただければ幸いです。
私は昔から物事を重く捉えすぎる癖があるため、宗教2世でなくても、あれこれと頭を悩ませることも多かったことと思います。

分断を煽るのではなく、想像力を働かせたい

最近、宗教を信奉している人は皆マインドコントロールされており、自分達とは全く別の人種だ、と一概に断言することを厭わないような論調が散見されるようになりましたが、それは少し違うのではないか、という気がしています。
私が所属していた会衆の兄弟姉妹は、前述した通り優しく温かい方々が多かったですし、社会に出て幅広い人々と接するようになった今思い返しても、エホバの証人はどこにでもいそうな普通の人として記憶に残っています。
また、アイドル(語源は信仰の対象としての偶像)への推し活に精を出したり、歴史上の人物の格言を手帳に挟んで持ち歩いたり、といった行為はごく一般的なものとして受け入れられていますが、信仰と本質的には似たような構図ではないかと考えます。
ある人にとっては、何かのきっかけで救いを求める対象が宗教になり、そのうちのある人にとってはそれがエホバの証人というコミュニティだったりする、それだけのことだと思います。
何かに救いを求めたいと願う心は、私を含め、恐らく多くの方が持っているはずです。
宗教そのものは、個人にとっての拠り所としての役割を果たすこともありますし、教団は、社会からこぼれ落ちた弱者を救うセーフティネットとしての機能を果たしている面もあります。
この度の報道に煽られる形で、宗教そのものや、神様を求める人の心まで「気持ち悪い」と切り捨ててしまうのは、あまりに想像力に欠けた行為ではないかとも思います。
個人の信仰心は尊重されるべきであって、そこに立ち入り、覆す権利は、誰にもありません。

その一方で、いわゆる宗教2世問題については、早急に対策を講じるべきだと考えています。
これまで、様々な2世の方の体験談に目を通してきました。
本当に悲惨な環境を生き抜いてきた方や、排斥されてから親とは連絡が取れなくなってしまった方、PTSDやうつ病を患って苦しんでいる方など、私より遥かに辛い経験をしてきた2世が大勢いるのだと知りました。
私は、原則的には個人の信仰心は尊重すべきだと考えていますが、それでは済まない問題にまで発展していると感じます。
宗教2世の子供達にとって、どのように生きるか、という人間の根幹の部分を自分で選択できない状況が続いていること。
そのことが子供の精神にどのような影響をもたらすのか、身をもって体感したからこそ、他人事とは思えず、強く懸念しています。

政府は、宗教2世の子供達を虐待から保護できるよう、児童相談所での対策強化等の策を講じています。
ただ、子供への強制的な布教は家庭内や会衆内という密室で行われるため、同じようなことが繰り返されるのではないかとも危惧しています。
上から目線に聞こえてしまったら申し訳ないのですが、信者自身が意識を変えないと、宗教2世問題は無くならないのではないかと思うのです。
「親が信じる宗教は、子供も信じるべき」と、信仰継承を前提とした価値観を子供に押し付けず、子供がどう生きたいかの選択の自由を尊重する。
個人的には、そういった関係性を親子間で築けるよう信者が心がけ、教団としても推奨することが理想的ではないかと考えています。

ここまで読んでいただけているかどうかも分かりませんが、現役信者の方にお願いです。
私が書いた記事を、「背教者の戯言だ」「サタンの罠だ」という言葉で一蹴せず、宗教2世の抱える苦しみを想像してください。
あなたたちは信仰によって救われたかもしれません。
子供の頃から真理を知れて、幸せだと感じる2世もいます。
けれど、そういった人ばかりではないのだという事実から、目を背けないでください。

宗教を信じている人と、信じていない人。
全く違う人間なのだと否定し合い、分断を煽っても、何も解決しません。
想像力を働かせて、考えを尊重する。その相手が、いくら血の繋がった親や子供であっても。
そうすることで、私のような宗教2世が、少しでも救われることに繋がるかもしれません。
「あなたは2世と言っても、恵まれた環境で育ってきたからこんな綺麗事が言えるんだ」と思われても仕方がないかもしれません。
けれど、子供達がどのような親の元に生まれても、生き方の選択の自由を確保できる社会を実現するにはどうしたら良いのか、自分なりに真摯に考え続けたいと、当事者として思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?