テクノロジーは回転寿司である
最近勤めている会社でコーディングだけでなくチームビルディングや経営にも責任を持つよう求められていて、一方で「プログラマー35歳定年説」の年齢に自分が近づきつつあることについて色々と思うことも出てきたので、似たようなキャリアを歩んだ先人の人生を参考にしようと思い本を読むことにした。
テクノロジーは回転寿司である
まず、読んでいて一番感銘を受けたのは、岩田が技術というものに対して案外冷静な見方をしているところだ。
一般的に、エンジニアは新しもの好きで、Apple社の新製品やスマホOSで新たに公開されたAPIのニュースにいつもワクワク・ドキドキしている存在であり、それにキャッチアップするための労を厭わない、技術それ自体を目的に生きているような(都合のいい)存在であることを求められがちだ。
だが、最新のガジェットや技術動向に常にアンテナを張っていて一家言もっている技術オタクであることと、様々な制約の下でアイディアを形にするプロダクトを作り手であるということの間には根本的な違いがあって、岩田聡はその差をわかりやすく「回転寿司」に例えている。
技術選定を終えてある製品に打ち込んでいる最中にそれに盛り込めそうな新しい無線規格やARのような新技術が登場することはよくあるし、人々がそれらで盛り上がっているのを見ているとそれを自分たちのプロダクトに取り込めていない自分たちが世間から取り残されているような気分になる。
だが、岩田に言わせればそういったニュースというのはあくまで回転寿司のようなものであって、流れてくる皿を片っ端から取っていくのがバカであるように、テクノロジーにはそれを使うべき時と状況があり、「これだ」と掴み取る瞬間が来るまで待つことが責任ある作り手の態度なのだ。
たとえば、日本のどこかの自治体がある技術の実証実験をはじめたというニュースがやってきたときに、エンジニアから社内の営業マンみたいな人達から「うちもこれに絡めませんかね〜?」とか「どの規格が天下をとると思いますか?」と絡まれるのはいかにもありがちな話だ。
また、それに対してエンジニアの側も「どれかが天下を取ってから考えればよくないですか?」という本音を返してしまうのはいかにも技術についていけていない老害っぽい態度なんじゃないかと思ってしまい、それっぽい事を返さなきゃいけない気持ちになることもよくある話だと思う。
だが、そういったガジェットオタクやジャーナリスト的な関心の持ち方も、老害だったり鈍い人間だと思われたくないというエンジニアの自意識も、結局のところユーザーという現実の前では意味がない。
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