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鳥が苦手な人間が観た、映画『君たちはどう生きるか』の感想

昨日、映画『君たちはどう生きるか』を観ましたので、珍しく感想を書いてみたいと思います。
※ネタバレありと書きつつ、ほぼ私の鳥への想いです。

私と鳥について

まず、この感想において大事なのは私自身が鳥が苦手である事です。鳥が苦手な人間の感想だという事をまず受け止めていただきたい。
で、苦手具合としましては以下の感じです。

  • キャラクターとしての鳥(ドナルドとか) → 好き

  • 食用としての鳥 → 美味しい

  • 遠くから鳥を見る → 大丈夫

  • 鳥の写真を見る → ものによって大丈夫

  • ふわふわしている鳥(アヒルとか小鳥) → まだ大丈夫

上記以外の鳥についてはほぼ恐怖を覚えるレベルで苦手です。
コリコリとした細い足、折れないか不安になる細く長い首、何も考えてなさそうな目、ツヤツヤした規則正しく生えている鮮やかな配色の羽。顔に対して大きめのクチバシ。クチバシの話でいくと、ある程度柔らかさのある顔部分に対して、硬い部品がついているというのが不思議と気持ち悪く感じてしまいます。思い出しているうちにゾワゾワしてきました。

つまり、サギとかめっちゃ怖い。怖すぎて鴨川にいたら毎回写真撮っちゃうレベル。(お前をマークしたぞという意味合いで写真におさめてます。)

この映画における鳥の出現率

さて、観てきたこの映画ですが、映画のポスターにも描かれている通り、鳥が出てきます。それは理解していました。出てくるだろうと。ただ思いの外出てくるんですよ。むしろ鳥だらけ。そして、とにかく出てくる鳥がキモい。鳥を愛している方には申し訳ございませんが、怖いと感じている私にとってはポップに発言して「キモい」。

多分めちゃめちゃリアルなんですよ描写が。動きとかパーツとかが凄いリアル。鳥ってそういう動きするよねっていうリアルな描写を集中して大きなスクリーンで見るものですから、私は何回も心臓がバクバクすると共に手に汗をにぎりました。

怖すぎるアオサギ

まず、今回の代表の鳥であるアオサギの件です。とにかく、のっけから怖すぎた。お願いだから庭の池でスッと立つだけでいてほしかった。キレイなだけのアオサギでいてほしかったよ。
だって、主人公への追い詰め方怖すぎじゃないですか?窓にガッツンくるところとか、屋根から気配を感じる描写……本当に怖すぎる。しかもデカい。嗚呼怖い。主人公的には、母への想いがあって、あの鳥がすごく嫌だったんだと思うんですけど、私自身の鳥が嫌という気持ちと一体化して、主人公の忌々しく思う気持ちにこれまでに無いくらい共感しました。私もアイツをやってやるために心で棒を握りましたよ。恐怖と忌々しい気持ちでいっぱいになりました。

でね、冒頭で何よりも怖かったシーンといえばアオサギが魚をツルンと飲み込むシーンです。めっちゃリアル、なんかリアルよりもリアル。魚をつかまえて飲み込むまでの仕草、口の動きや喉の動き。心のなかで「怖すぎるやろ!!!!!!」と叫びました。「こっち見んな!!!」と。
わかりますよ。サギってああやって食事するよねって。当たり前じゃんって。でもね、私その動きめちゃめちゃ苦手なんですよ。普通にめちゃめちゃ怖いと感じている仕草を、ああも丁寧に描写されたら、もはや映像がスローに感じました。私の心臓はもう動きを止めそうでした。
そして、隣に座っていたももねこさんの二の腕をギュッと掴みそうになりました。ただ、私はね。大人なんですよ大人。映画館で騒がしくなんてしたくない。平気なフリをしたいわけです。

ここで私の頭によぎりました。心臓バクバクでも平気なフリができる、スラムダンクの宮城リョータパイセンのことです。私はね、心の中で右手にデカデカと描きましたよ「NO.1ガード」って。
※映画『THE FIRST SLAM DUNK』参照
ここで私は決めた訳です、心が乱れた時こそ、この心の右手の文字を思い出そうって。パイセンリスペクトの心でいこうって。

「鳥に襲われる」という恐怖

この映画では、鳥に襲われたり、鳥に追われたりというシーンが何回もあります。

私はですね、中学生の頃に実家で鴨を飼っていました。鴨には申し訳ないのですが、鴨がね……本当に苦手なんですよ。何と言ってもあの鮮やかな羽、小さな頭、ボテッとした身体から出る細い脚。本当に本当に……。で、その苦手な鴨をなんで飼ったかというと、叔父さんがアヒルの子供がうちにいるんだけど飼わないかと言ってきたのが発端です。アヒルだったら小さい時も可愛いし、大きくなっても白くてフワフワのお尻がきっと可愛い!首に赤いリボンでもつけたいなぁ。なんて妄想して意気揚々と「飼う!」と返事した訳です。しかしながら、成長するにつれて完全にアヒルの姿では無く完全なる鴨の姿になっていったのです。誤情報やめてくれよ、怖すぎかよ。ちなみに名前は「ガーコ」。

そのガーコ。たまに母が散歩させている事があって(単純に庭に放っているだけ)部活帰りの私が戻って来た時に、ガーコが完全にフリーだったわけです。私はね、手で押している自転車を捨てて必死に走りました。でも必死で走ると追いかけてくるんですよ。めっちゃ怖い。死にものぐるいで土手を駆け上がってガーコが来れない位置までたどりついた時に、母が気づいて爆笑しながら小屋に戻してくれたんですけど、あの時の恐怖ったら今でもこうして覚えているくらいです。

で、映画の話なんですけど、あちらの世界にいって墓の門のところで大量のペリカンに主人公が襲われるシーン。もう本当に意識が飛びそうになりました。一匹のガーコに追いかけられただけであんなにも怖いんですよ。大量のペリカンにあんな風に襲われたらどんなに怖いことでしょう。鳥の、鳥ならではのあの曲線を描く胸にギュウギュウにされると思うと気がおかしくなりそうです。しかも相手は大量。きっと生暖かいんですよ?は?怖すぎ。しかも殺す勢いできてる。

ここでも私は映画館にいることを忘れて叫びそうになったので、心の右手の文字を想いました。平気……平気……。

更には「鳥に食べられそうになる」という恐怖

更には、更にはですよ、何故か大量のデカいインコが登場してきて主人公を食べようとしてくるわけですよ。しかもこのデカインコ、顔が凄く馬鹿。こんな顔に食べられたくなさすぎる!
私の世界では、鳥は私に食べられる存在なわけです。こっちはね、昨日「とりまる君」を食べてるんですよ。
※とりまる君とはデイリーヤマザキで売っている鳥のナゲット的な存在のこと。
なのにあの世界ときたら、鳥に追われ、鳥に食べられようとしている。「はぁ?」もはや怖すぎて腹が立ってきました。
しかもインコ。このセンスやばい。あの小さなクチバシで食べられるのほんと嫌。てかね、食べる側を人間と定義し、食べられる側を鳥と定義したとしたらね、もはやあの世界でのインコは人間ともいえるわけですよ。この時点で私の頭は恐怖でよくわからなくなり、なんかもう鳥も人間もこわい。あとペリカンも食ってたじゃん、わらわら。食うんだよぉわらわら。

フゥ。心の右手を想おう。平気……平気……。こわいけど平気。

そしてここまできたら、ひとつ言っておきたい。
あのインコの王みたいな奴。鳥なのにハッキリとした口調すぎて怖い。

ずっと「鳥に追われる」という恐怖

そして、1回食べられそうになった後もちょいちょいデカインコ達に追われるシーンがあるんですけど、もうね……鳥に追われるって私にとってはどんな邪悪な殺し屋に追われるより、リアルで怖い描写なんですよ。映画の中でどんな殺し屋に目をつけられようと、私にとっては現実に体験をしたことが無いのでそこまで追われる方の恐怖に共感することも無いわけで、ある程度物語として楽しめるわけです。
しかし、私にとって鳥に追われるという行為は恐怖を覚えた経験として実際に思い出せる事なので、恐怖のリアルさが全然違うんです。やめてくれ。追わないでくれ。切実なんですよ。

フゥ。心の右手。平気……平気……。

大叔父が積んでる石の事は150%無視したい

この映画ってね、いくらでも色々考察を書きまくれる映画なんだと思います。宮崎作品としてどうだとか、ジブリの作品としてこういう部分があるとか、ここはこれの象徴であるとか、現代のこの部分について表現しているだとか、言える人には沢山言えそうなネタがいっぱいありそうなことはわかります。

例えば、大叔父の積んでいた石。出てきた瞬間に象徴的なにおいがプンプンするわけじゃないですか。言いたいよねアレはこういう意味合いだとかさ。でもあのシーンにきて私が瞬間的に思ったことは「この石のことは150%無視したい」という事。あーだこーだと考えて決めたく無くなったんですよね。なので、無視すると瞬時に決まりました。他にも色々わかんないことは無視しております。

ここまで書いておいて何なんですけど、私にとって「感想」というのはバカ正直に書きたいという想いがあります。格好つけすぎずに、誰かの意見をパクらずにできる限り素直に書いてみたいと思っています。もちろん文章を考えてしまっているこの時点でそのままをお伝えするというのは難しいのですが、それでも!と思っておる次第でございます。

で、私は宮崎作品をそんなに熱烈に観ていないし、何らかの象徴に気づくタイプでもない。わかんねぇことだらけ!なので、たった一回この映画を観ただけでの、考えたことや感じたことをそのまま書いてみたいと思っていたらこうなっちゃってる感じです。そうです、ほぼ鳥に意識を持っていかれすぎてる。はい。

ひとときの休息「美しいと思ったシーン」

さて、私自身が持っている鳥への恐怖感の話だけで、ここまできました。だからね、映画の感想っぽい事を書きたいなって思ってきました。なので唐突に紹介します。

色々恐怖に苛まれながら観ていましたが、何も考えずに泣けるくらい美しいなと思ったシーンが2つあります。

キリコさんの船に乗った時の水中から水面を見るようなシーン、あとキリコさんちでトイレに行くために外に出た時の月の光の表現です。

じつは「美しいと思える」というくくりだけであれば、沢山あるんです。というか、表現はどれもこれも美しいと思えます。ジブリならではの、ちょっとした動きですら瑞々しく感じる表現。例えばちょっと布がゆらめいているだけでも、その空気の含み方がすごく豊かで、リアルなんだけどリアルよりさらに美化されたような表現。そんな表現が隅々に行き渡る事で、夢のようだけど本当にどこかにありそうな世界観が確立されている。

ただ、その表現が今回の作品は不気味のほうに向いていたように思えました。もちろん、今までの作品の中でも気持ち悪く感じられるような表現は沢山あったと思います。でもそれは私の中ではファンタジーをよりリアルに感じさせてくれる表現として受け止められていたのです。しかし今回はひたすら現実的に気持ち悪かったんですよね。
だからこそ鳥が苦手な私に、凄く嫌な感じを与えたのだと思います。それじゃなくても苦手なものの不気味な部分をリアルに繊細に表現されたら、たまったもんじゃありません。
もちろん、鳥だけではなくその他にも、そこをそんなにリアルに表現したら気持ち悪いじゃん!みたいなことが溢れていたように感じました。全体的に、「気持ち悪い」を誇張するエフェクターがかかっているかのよう。

ということで、不気味すらも繊細に、リアルよりリアルに表現しちゃうなんてどういうことですか??どうしたいんですか??と思わなくもなかったです。今まで夢をみさせてくれていた表現が、悪夢をみせてくれているかのようです。え?そんなに酷くはなかった?
ですので、全体をとおして繊細ながらも不気味な緊張感が常にありました。なので、単純に私が肩の力をフワッと抜いて美しいなと思った瞬間はこの2つを記憶しています。何ていうんでしょうか、ずっと気を張って観ていて急にスッと力が抜ける瞬間でした。不気味な波の中の束の間の休息感。

この映画は面白いのか

一通り鳥の恐怖を感じ終えた後に、考えたんです。
「この映画って面白いのかなぁ」って。たぶんね……どう表現したらいいのかわからないのですが、悪い意味じゃなく「面白くはない」と私は思いました。観て良かったとは思っていますが。

何故かというと、全然良い事が起こらないんですよ。ロマンティックなところって無かった気がするんですよ。全く良い夢をみさせてくれない。

例えばアオサギ、普通に怖くてキモい。
案内人くらいほら、2本脚歩行のイケてる猫とかで良くないですか?杖とか持っちゃってる、カッコよく庇ってくれるネコ。案内人が変わるだけで大分夢がある感じになるじゃないですか。他の部分に夢がなくてもそれだけでロマンが広がる。でも、どうしたってこの映画では怖いアオサギなんですよね。

あと、ちょっとしたことなんですけど、よくアオサギが主人公を助けてくれてますけど、鳥の背中にのせて飛ぶとかだったら、ちょっと夢があると思いません?でもね大体アオサギの脚に捕まってたりするんですよ。最後とか、主人公とヒミのふたりとも片方ずつ脚に捕まって移動してるんですよ。こえーよ。鳥の脚こえーよ。どんな感触なんだろうとか思っちゃうわけですよ。

それに、エンドロールが流れるところで画面いっぱいに青色が広がって、これからの未来の明るさを象徴するように空でも描かれるかと思っていたのですが、ずっと青色一色だったんですよ。え?無地ってなった。何故かそんなとこまで希望を感じられなくなった私でした。

主人公がいた最初の世界でも、家族との関係性とか、アラお父さんそちら側のお商売で?という感じとか、そういう時代なんだろうなぁと思いつつも、何ともモヤっとする事ばかりなんですよ。
で、異世界にいったら素敵な世界が待っているかといえばそうでもない。怖い鳥ばっかだし。どっちの世界も特に良いこと無いんですよ。そして、わからない事だらけ。もとの世界に帰ってほしい気もするけど、もとに戻ってもすこぶる良いことって多分無いってわかってるし、どこにも都合の良い素敵な世界って無いんですよね。

ただ、実際問題、現実ってそういうものだと思うんです。都合よく素敵なファンタジーに逃げられたりしないんですよ。わかりやすい仕掛けもないし、誰が善か悪かもわからない。そんな現実で生きているんだなって主人公にも私にも思いました。悪夢みたいだけど、そんな中で生きている実感が不思議とわいてきました。

つまり、この映画自体が現実から逃避する為に見るファンタジーでは無いように感じてしまったというのが感想です。むしろ現実で生きる覚悟を持たされるみたいな感覚です。

唯一の希望「マイメンの存在」

これまで、何も良い事ねぇ!とか言っちゃったわけですけど、唯一良かったと思った事はやはり主人公とアオサギとの関係ですね。最初はこいつ怖いしキモいとこばっかだしどうしようと思いました。

だって鳥の中に何かキモいの入っているんですよ。あと主人公がやったことではあるんですがクチバシに穴があくじゃないですか。何かあれも怖くて、ゾクゾクしました。かなり個人的な感覚なんだと思いますが、硬い部分を持つ生き物で、そこに穴があいているっていうのが……うぁぁってなって、あそこから水が出たりしたらキモいとか思ってしまうとキモさのドツボにはまりがちでした。うおおお、私の心の右手。

まあそんなこんなで、アオサギは最初はめっちゃ怖かったし主人公と行動してても喧嘩っぽくなってたりもしてたけど、結局助けてくれるんですよね。主人公が前に進むことしか考えて無くてアオサギのことなんて気にしていないそぶりでも何回でも助けてくれるんですよ。
で、最終的には「ともだち」っていう言葉に繋がるわけです。泣いた。マイメンじゃんって泣いた。
あと、主人公がもとの世界でともだちを作るイメージにつながったんですよね。やっぱね、イケてるネコじゃなくて良かった。キモいアオサギこそがマイメンですよ。リアルですよこれが。ありがとうアオサギ。

生まれつき与えられた環境の中で変えられない事も沢山あるけど、自分からともだちを作ることは出来るわけですから、それは凄く希望があることだなと思えました。

最終的に私にとっても、アオサギがリアルを体現しつつ希望を感じさせてくれる存在となってしまったわけでございます。

キモいっていってごめんねアオサギ。
でも、今考えてもキモいよな。やっぱ最初悪い感じだったしな……。うん。

以上、感想でした。



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