【掌編】 睫毛の先の尾根


脚が重かった。久しく忘れていた山の気配に俺は目を細める水が満ちている山の上の方からしたたり落ちてくる流れが滝を形作る滝は岩の上を流れ落ち川は更に落ちてやがて道になる段差の激しい道には木の根が張っている俺はその上を踏む木の根がなければまともに歩けはしない水に滲みた靴でどれほど我慢がきくだろう。先日の嵐で大きな木が倒れていた嵐と言うべきなのか今頃は台風というのだった台風の名は番号で名付けられている何とも風情のない話だしかし嵐に風情もなにもありはしないと言われれば全くその通り律を計って脚を動かす尾根を平地を歩くように脚を動かして歩く木の葉を踏めば脚が滑るしかしこれがなければ山は肥えぬ道理だ木と根とそしてこの葉ずれが山に水を蓄えているけぶる水の気配がする頂上は灌木の茂みこの程度の標高では気温が下がるほどでもない見晴らしはよくて下方にオーバーハングの天狗岩がよく見える飛び移ることは出来るだろうか帰る道はどこにもないが。いっそ帰れなくなるのもいい山の中で生涯を果ててもいいと一瞬だけそうも思う飢えればすぐにそんな考えは吹き飛ぶあるいはむしの餌食にでもなればあっという間だろう黒と白の見事な縞蚊が耳元をよぎる俺は片手でそれを掴む握りつぶすこれで殺生をしたとどこかの坊主ならそう謗るらしい生憎とそう言う国には生まれなかった。一枚岩の石が大きく張り出していたその上で世界を見回して360度の眺望を堪能する人の視界はどうしたって狭い魚眼の視界が手にいれられるなら目が顔の横についていても我慢出来るだろうかそれとも最初から人の目の構造がそうなっていればそんなことに考えも及ばないだろうかとりとめもない考えを追いながら林道を歩く足元には木の葉が濡れて滑るそのまま山の斜面を行き着くところまで落ちてみるか。それも雪山で滑落するほどの被害は受けまい冬の山に登る気はしない。

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