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科学の限界?宗教が優っている点

私は科学(物理学)信者です。

と言うと語弊があるかもしれませんが、物理学専攻でしたのでさまざまな物事を考える際の根っこの部分は科学由来です。

例えば、遺伝子的に遠かったから現在の夫に対して魅力を感じたのだろうと思っています。

夫に悩みを話した際にも、同意したり寄り添ってほしいという私の意に沿わず端的に事態解決のためのアドバイスを貰ったこともありますが、男女の脳の違いのせいだから仕方ないとも思っています。(生物学には全く明るくないのですが)

そんな"科学信者"の私ですが、実は科学にも限界があるのでは?と思っています。

林檎は重力があるので地面に落ちます。磁力があるので磁石はくっつきます。分子間力があるので私たち人間もバラバラにならずに形を保っています。引力があるから地球は太陽の周りを回っています。

このように、科学という言語でほとんどの自然現象を説明することが出来ます。

現代の学問としての科学(物理、化学、生物など全て)や科学技術は、「なぜこうなるのだろう?」と何に対しても疑問に思うことのできる"好奇心旺盛"な歴史上の人物たちが知恵を結集させて作り上げてきた人類の宝です。

一見完璧に思える「人類の発展において非常に役に立ってきた科学」ですが、やはり限界があります。

例えば。
なぜ、リンゴは木から落ちるのか?それは重力があるから。
ではなぜ、重力はあるのか?

ここで科学は口をつぐみます。
他の例でも構いません。

なぜ、空は青いのか?それは光が散乱しているから。
ではなぜ、光はあるのか?

これも同じことです。

科学というものは、事象を説明することは得意ですが、何故それがそこにあるのか、という問いには答えられません。

ここで登場するのが哲学や宗教です。
「神が創りたもうた。」
もはやこれしかハッキリと言い切れる説はありません。

世界がこんなにも美しく数式で表すことができるなんて不思議だと言う物理学者も居ます。

そもそも何故そこに在るのか。
突き詰めていけば必ず突き当たる疑問です。

宇宙は想像もできないような大きな存在が住んでいる部屋の片隅にある水槽の中に過ぎないのかもしれません。
その存在を神と呼んでいるのかも?
そういった点から見ると、人間はまだまだこの世界のことなど何一つとして解っていないのかもしれません。
なんて考えるとキリがありませんが、科学と宗教が上手く融合してくれるといいなと思うところです。

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