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新選組とは何者だったのか? 幕末の京を駆けた剣士たちの実像を探ってみよう

新選組というと、皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。2004年のNHK大河ドラマ『新選組!』(主演:香取慎吾)をご記憶の方も多いかもしれません。また今年は司馬遼太郎原作の映画『燃えよ剣』(主演:岡田准一)が公開されると聞きます。これに限らず、幕末を扱った小説やコミック、ゲームには必ずといってよいほど、浅黄(あさぎ)色(水色)に袖を白く山形に染め抜いた羽織を着た彼らが登場しますので、人気キャラクターといってもよいでしょう。今回は新選組と、彼らのハイライトシーンというべき池田屋事件の実際についてまとめた記事を、2回に分けてご紹介します。

かつては完全な悪役だった新選組

今でこそ人気キャラクターで、女性ファンも多い新選組ですが、かつての芝居や映画では、完全な悪役として描かれがちでした。というのも彼らは明治維新の敗者であり、勝者である明治政府の関係者からすれば、憎むべき敵であったからです。その傾向は大正時代以降も続き、映画化された『鞍馬天狗(くらまてんぐ)』『月形半平太(つきがたはんぺいた)』、昭和の『快傑黒頭巾(かいけつくろずきん)』などはいずれも主人公が勤王(きんのう)方であり、幕府方の新選組は敵役でした。それが戦後しばらくして、新選組を主人公とする司馬遼太郎の小説『新選組血風録』や『燃えよ剣』がテレビドラマ化され、少しずつイメージや評価が変わっていったように感じます。ある意味、前にご紹介した石田三成(いしだみつなり)の評価と似ているところがあるかもしれません。

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近藤勇と多摩の剣・天然理心流

今回ご紹介する記事は、池田屋事件を中心にまとめたものですので、新選組前史というべき、新選組結成前の近藤勇(こんどういさみ)らについてあまり触れていません。そこで多少、補足します。新選組局長の近藤勇、副長の土方歳三(ひじかたとしぞう)、組長の井上源三郎(いのうえげんざぶろう)らはいずれも多摩(現、東京都下)の出身で、近藤が4代目宗家を継承した天然理心流(てんねんりしんりゅう)剣術を学んでいます。やはり組長となる沖田総司(おきたそうじ)は多摩の生まれではないものの、幼い頃より近藤道場の内弟子として成長していますので、ほぼ同じでしょう。近藤と土方は農家の生まれ、井上は半士半農の八王子千人同心の出身ですが、多摩は徳川将軍直轄の天領であるため、徳川家への忠誠心が強い風土でした。

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そして近藤が市谷甲良町(いちがやこうらちょう)に開いていた道場「試衛館(しえいかん)」に、近藤の人柄を慕って集まってきた山南敬助(さんなんけいすけ)、永倉新八(ながくらしんぱち)、原田左之助(はらださのすけ)、藤堂平助(とうどうへいすけ)、斎藤一(さいとうはじめ)ら腕利きの浪士たち。近藤は彼らと意気投合し、幕府が募集している将軍警護のための浪士組に応募して、磨いてきた剣の腕を活かそうと京へ上るのです。さて、前置きはこのぐらいにして、和樂webの記事「え、応募資格があったんだ! 新選組の意外と知らないあれこれを超解説」をお読みください。

時代遅れの考え方なのか

記事はいかがでしたでしょうか。池田屋事件の詳細については次回、続きの記事をご紹介します。記事中でも触れましたが、彼らが目指したのは尊王攘夷(そんのうじょうい、天皇を敬い外国の圧力を退ける)の実現であり、その点においては敵対した長州藩などの志士たちと変わりません。決定的に違うのは、近藤らはあくまで幕府を肯定し、幕府のもとで攘夷を実行することにありました。そのために反幕府勢力を取り締まったのです。そうした新選組や会津藩などの幕府方に対して「先見の明のない、時代遅れの考え方」とする評価も少なくありませんが、大政奉還(たいせいほうかん)を行った徳川宗家を、新政府に入れるか否かで維新のぎりぎりまでもめたことを思えば、後付けの評価といわざるを得ないでしょう。維新後、土佐の田中光顕(たなかみつあき)は、亡き近藤の純粋な尊王攘夷の志を知って「我々の同志となるべき人物だった」と驚いています。勝てば官軍という視点では、見落としてしまうものが多いのではないでしょうか。


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