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江戸の「難読」地名

独特の読み方をする地名は全国にある。
江戸の地名も例外ではないのだが、そのまま
現在の東京で使われているものも少なくない。
あなたはすべて読めますか? サラッとどうぞ。

Q 以下の25の江戸の地名を読んでください

1.高輪
2.市谷船河原町
3.八代洲河岸
4.神田佐柄木町
5.神田多町
6.松枝町
7.安針町
8.小塚原村
9.本所相生町
10.石神井
11.練塀小路
12.采女ヶ原
13.金助町
14.巣鴨御駕籠町
15.牛込払方町
16.通油町
17.檜物町
18.新肴町
19.小日向茗荷谷町
20.千束
21.隠田村
22.佃島
23.鹿骨
24.麻布狸穴町
25.碑文谷

A 正解と地名の由来です

1.たかなわ(港区)
高台に縄のようにまっすぐのびる道から「高縄」という地名があり、江戸時代に高輪に転じた。

2.いちがやふなかわらちょう(新宿区)
かつて市谷にあった大きな池から川が流れ、その下流の河原に船が引き揚げられていたことに由来するという。

3.やよすがし(千代田区)
徳川家康がオランダ船リーフデ号の乗員ヤン・ヨーステンに屋敷地を与えたことに由来する。のちに八重洲河岸に転じた。

4.かんださえきちょう(千代田区)
幕府の御用を務める研(とぎ)師・佐柄木弥太郎の拝領屋敷があったことに由来する。

5.かんだたちょう(千代田区)
江戸時代以前、付近一帯は田畑が広がっていた。城下町の整備とともにそれらは埋め立てられ、田畑があったことにちなみ「田町」と称したが、のちに多町に転じた。

6.まつがえちょう(千代田区)
宝永2年(1705)、大奥の老女・松ヶ枝にこの地が与えられたことに由来する。

7.あんじんちょう(中央区)
オランダ船リーフデ号の水先案内人でイギリス人のウィリアム・アダムズ(三浦按針)にちなむ。安針とは水先案内人を意味するという。

8.こつかっぱらむら(荒川区)
平安中期、源義家が奥州征伐に赴いた際に討ち取った首を葬った、小さな塚があったことに由来するなど、諸説ある。

9.ほんじょあいおいちょう(墨田区)
幕府碁所の家元、本因坊家の屋敷があったことにちなむ。「相生」には碁の奥義は相手とともに上達することと、夫婦ともに長命であることの意味が込められているという。

10.しゃくじい(練馬区)
中世には豊島氏の拠点・石神井城が築かれていた。地名は昔、村人が井戸を掘った時、霊石が出土したことに由来するという。

11.ねりべいこうじ(千代田区)
練塀とは土と瓦で築き、上を瓦で葺いた土塀。地名は元禄年間(1688~1703)頃まで越後新発田藩溝口家の屋敷があり、その塀が練塀であったとも、河野長十郎の屋敷が練塀であったためともいう。

12.うねめがはら(中央区)
かつて伊予今治藩主松平采女正定基の屋敷があったが、火災で屋敷が焼失し、別の地に移転したため、采女ヶ原と称された。

13.きんすけちょう(文京区)
徳川家康に従って三河から移ってきた牧野金助が、本郷台のこの地に屋敷を拝領したことに由来する。牧野は御小人頭を務めた。

14.すがもおかごまち(文京区)
中仙道筋に御駕籠衆51人が屋敷を拝領したことに由来する。御駕籠衆は幕府専属の駕籠かきで、将軍や世子(せいし)を乗せた。

15.うしごめはらいかたまち(新宿区)
幕府の金銀、衣服、調度品の出納を管理する納戸頭には、元方と払方がいた。払方は金銀、衣服、調度品を外へ払い出す役で、彼らを住まわせたことで名づけられた。

16.とおりあぶらちょう(中央区)
旅籠(はたご)の多い大伝馬町、通旅籠町の東にあり、油商人が多く住んでいたことに由来する。彼らは旅人に提灯用の灯油を売っていた。

17.ひものちょう(中央区)
「檜物」とは、檜の薄板を円形に曲げ、底をつけた容器のこと。曲物(まげもの)ともいう。家康に従い浜松より移住した檜物大工の棟梁・星野又右衛門が、この地を拝領したことに由来する。

18.しんさかなちょう(中央区)
魚市場として栄えた老月(ろげつ)村が代地に移転した際、旧地にちなんで名づけたという。

19.こひなたみょうがだにちょう(文京区)
武蔵野台地の末端が南に向かって傾斜していることから、小日向の地名が生まれたと考えられている。江戸時代には茗荷が栽培されていたことから、茗荷谷と称した。

20.せんぞく(台東区)
浅草寺領の浅草田圃一帯を指す。束とは稲十把のことで、「千束分の稲が収穫できる田圃」という意味で名づけられたという。

21.おんでんむら(渋谷区)
課役を免れるために申告しなかった隠し田があったことに由来するとも、北条氏家臣の恩田某が住んでいたためなどともいう。

22.つくだじま(中央区)
将軍に魚を献上する役目を負って、摂津国西成郡佃村の漁師たちが移り住んだことに由来する。佃煮の発祥地として知られる。

23.ししぼね(江戸川区)
伝説では常陸国の鹿島大神が大和国に向かう途中、この地で連れていた神鹿が死んでしまった。そこで村人たちが神鹿を弔い、塚を築いたことに由来するという。

24.あざぶまみあなちょう(港区)
「まみ」とは雌の狸、アナグマの類を指すという。まみの棲む穴が坂下にある「狸穴坂」から名づけられた。

25.ひもんや(目黒区)
もともとは「檜物屋」で、後に僧が碑文谷の文字を当てたと考えられている。

※町を「まち」と読むか「ちょう」と読むか迷うところだが、江戸では町人地を「ちょう」と読み、武家の屋敷地は「まち」と読むことが多かった。ただし番町のように例外もある

参考文献:菊地秀夫『江戸東京地名事典』(雪華社)、中江克己『お江戸の地名の意外な由来』(PHP研究所)

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