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若年寄・田沼意知刃傷事件に使われた、「世直し大明神」の刀

江戸城内で起きたにんじょう事件といえば、
忠臣蔵のあさ内匠たくみのかみ上野こうずけのすけに斬りつけた松の廊下が有名です。
しかし、実はそれ以外にも刃傷事件はたびたび起きていました。
そのうちの一つで使われた刀のことで以前、相談を受けたことがあります。

若年寄・田沼意知を斬った刀

今から十数年前のことです。
仕事で知り合ったある方(Aさんとします)から、「プライベートのことなのですが」という前置きで相談を受けました。

Aさんの家に、先祖から伝わる一振りの刀があるそうです。昔からあるのではなく、奥様の実家か、親戚の家にあったものを預かったと聞きました。

「実はこの刀で人が死んでいるのです」

Aさんはそう言うと唐突に、ぬまおきともをご存じですか?」と問います。「もちろん、名前は存じておりますよ」と私は答えました。

江戸時代中期の幕府ろうじゅう・田沼おきつぐは、高校の教科書などにも登場する有名人です。

徳川10代将軍いえはるのもとで幕府の財政再建にあたり、重商主義政策をとって経済を活性化させ、その成果から「田沼時代」という呼び方もあるほどです。

一方で賄賂わいろが横行したことから、田沼への批判が高まりました。その田沼の息子が意知です。若くしてわかどしより(老中に次ぐ重職)にまで昇進、幕府高官として老中の父・意次を支えました。

そしててんめい4年(1784)3月24日、意知は江戸城内において突然、旗本・まさことわきざしで斬られ、8日後に絶命します。享年36。息子の刃傷事件を機に、父親・田沼意次の権勢も衰えていくことになりました。

「すると、その刀というのは・・・」と私が問うと、Aさんは「はい、佐野政言の刀です」と答えます。

「おぼえがあろう」政言の怒りとは

佐野ぜんもん政言かわ以来の譜代旗本で、500石。屋敷は現在、大妻女子大学が建つ千代田区三番町にありました。政言は時に28歳。

彼が意知を斬った動機にはいくつかの説があり、田沼家の先祖を粉飾すべく意知は佐野家の家系図を借用したが、そのまま返却しようとしなかった、田沼の家臣が佐野家領内の神社をおうりょうし、田沼大明神と勝手に名称を変えた、田沼意次のライバルであるまつだいらさだのぶにそそのかされた、などです。

私の個人的な印象では、一つ目、二つ目の説では刃傷に及ぶ動機としては弱く、老練な松平定信が背後にいたとする方が、説得力があるように感じます。

殿でんちゅう(江戸城内)で刀を抜けば、切腹、お家取り潰しを覚悟しなければなりません。政言はそうした犠牲を払ってでも、意知に一刀を浴びせずにはおられなかったことになります。

政言は意知に斬りつける際、「おぼえがあろう」と3度も叫んだといいますから、相当な怒り、恨みをいだいていたのでしょう。佐野にとって、何か名誉を傷つけられたと感じる出来事があったのかもしれません。

いずれにせよ、政言の刃傷は、意知へのプライベートな怒りから起きたものであったと考えられます。幕府は政言を乱心とし、切腹、及び佐野家かいえきの処分を下しました。

ところが世間はそうとらえず、賄賂を横行させる田沼を斬ったことにかいさいを叫び、政言を「世直し大明神」たたえたといいます。この事件直後から、こうとうしていた米の値段が下がったことも、政言のおかげだといわれました。

ちなみに佐野政言の刃傷事件以外にも、浅野内匠頭の松の廊下をはじめ、江戸城内における刃傷事件は都合9回も起きています。

どこかに預かってもらえないだろうか

まつせいざんの『かっによると、政言の刀は「脇指にして二尺一寸、あわぐちいっ竿かんただつななり」とあります。

一竿子忠綱は江戸時代げんろく期頃のせっ(現在の大阪府)の刀工。父は近江おうみのかみ忠綱を名乗り、一竿子は二代近江守忠綱です。

江戸時代当時でも高価な刀でしたが、佐野政言事件以来、一竿子の脇差の人気が高まったといわれます。なお現存するもので、重要文化財や文化財指定されているものがあります。

さて、Aさんの話に戻しましょう。

Aさんとしては、人を斬った刀を手もとに置いておくことに抵抗があり、どこかに預かってもらえないだろうか、ということでした。

まず刀を安全に保管することを考えれば、博物館に寄託するのが一番だと思うと私は申し上げました。史上有名な佐野政言事件の刀であれば、預かりたいという博物館は少なくないでしょう。

ただ、Aさんの表情が今一つなので、私は別の提案もしました。

「もう一つは、供養をして頂く意味で、だいなどのお寺に預ける方法もあります」

これは正直、気持ちの問題です。実戦に使用された刀や槍を個人で蒐集している方もいらっしゃるぐらいですから、人の血を吸った刀だから供養した方がいいのかは、所有者それぞれの考え方次第です。

ただ、私の母方の親戚の家では、大叔父が使った軍刀を、寺に預けています。

その軍刀も、人を斬ったものでした。そして家の床の間に置いておいたところ、あまりよくないことが頻発するので、寺に預かってもらったそうです。そうした話を母親から聞いていたので、Aさんに提案してみました。

その後、Aさんが佐野政言の刀をどうされたのかは、聞いておりません。また、その刀が本当に粟田口一竿子忠綱なのかも、確認できずじまいです。

もし一竿子忠綱であったのならば、一度実物を見てみておきたかったと、今になって思います。

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